【吉野家のおしるこ】

えぇ、今日もおひとつよしなにお付き合い願います・・・。

最近は街のあちこちに色んな食べ物屋がありまして。ねぇ。

朝から夜遅くまで、何でも食べることができますな。

あたしは実は九州の山奥で生まれ育ちましてね、もちろん食べ物屋も何軒かありましたが、全国チェーンのお店は私らが子供時分はありませんでしたな。

当然、牛丼なんてぇものもずっと食べたことが無かったんです。私が初めて吉野家に行ったのは、関西に就職してからでした。

あたしは新入社員で、毎日夜遅くまで残業しておりました。若手社員はみんな残業してましたね。残業代もあまり出なかったですが、当時はサービス残業が当たり前でした。

で、ようやく仕事が終わると、気の合った者同士、連れ立って帰っちゃったりする。帰りがけに晩御飯を食べたり、ちょいと一杯ひっかけたりするのがささやかな楽しみでしたね。

その日も仕事が終わって、帰ろうとすると、ひとつ上の先輩が、「一緒に帰ろう」と誘ってくれました。

その先輩はクルマ通勤をしていて、おんなじ独身寮に住んでおりました。

寮では晩御飯が出るのですが、夜9時で終わりなんです。それに間に合わなかったら、自分でどっか行って食べないといけない。

その日も9時を過ぎておりましたんで、先輩はご飯に誘ってくれました。

先輩「今日は吉牛でも食っていくか。いい?」

私「はい!いいです!でも俺、吉野家行ったことないんです」

先輩「お、そうか、じゃあちょうどいいや。一回、食っとけ」

てな塩梅で、先輩の車で吉野家に乗り付け、二人して暖簾をくぐりました・・・。ってウソ言っちゃいけない。吉野家に暖簾はありませんな。自動ドアを入りました。

ご存知の通りの、カウンターに固定の丸椅子がありまして、先輩と並んでそこに腰掛けます。

目の前にはショウガの入った小さな箱やら、箸箱があります。それに、冷蔵のショーケースがあって、玉子やら漬物の小皿なんぞが並んでいたように思います。

初めて入った店というのは、やっぱりこちらも緊張しますな。

特に「吉野家」なんてのはテレビコマーシャルもやってるような、有名な店です。全国に知れ渡ってる。相当な売り上げがあるでしょう。

私はそこへ、初めて来た。ここで小心者の私は、まず店の雰囲気に飲まれますな。「粗相があっちゃいけない」なんてね。

こちとらお客なんだから、もっと鷹揚に構えときゃいいんですが、そこは田舎者の悲しさ。

メニューも、目移りしちゃって、全然頭に入ってこない。見ているようで、見てませんな。ああいう時は。

当時の吉野家は、今みたいに豚丼やらカレーやらのメニューはないんです。まだ狂牛病騒ぎの前でしたからね。いたってシンプル。

でも初めてのあたしは、何を頼んでいいか、分かんねえ。

で、私が決めかねてる先に、先輩が先に注文をしましたよ。

先輩「『牛丼並』と、『おしるこ』」

店員「はい」(そして、私の方を見る)

私「『牛丼並』と、『おしるこ』」

店員「はい」(そして、奥に消える)

・・・私ね、内心、驚きましたよ。

牛丼と、お汁粉?

妙な組み合わせだな~って。

この先輩、東京の出身なんです。ちなみに、東京大学卒です。変わってます(笑)。変わり者なのは知ってましたが、牛丼と一緒に、お汁粉を食う?この夜中に?

でも、そこは新参者かつ田舎者の悲しさ。おまけに後輩に当たりますから、ここは先輩の注文と同じものを頼んでおこう、そしたら間違いはないはずだ、と。

やがて牛丼が出てきました。店員さんは、私たちの前に丼を二つ置くと、冷蔵ショーケースの中から白菜の浅漬けの皿を二つ出して、私たちの前に並べました。

先輩は浅漬けに醤油を垂らして、牛丼の上にショウガを乗せて、食べ始めます。もちろん私も同じようにして、食べます。

やがて私らは牛丼を食べ終わり、お茶をすすります。

いつまで経っても、お汁粉は出てきません。

私はいぶかしく思いますが、先輩は気にする素振りもありません。

先輩が「じゃあ、帰ろうか」と言うので、私も同じようにお代を置き、店を後にしました。

そこで私が先輩に、「お汁粉はどうなったんですか?」と聞かなかったのは、ナイス判断でした。私の臆病な性格のせいか、背後霊が「そこは無視」とささやいてくれたおかげかは分かりませんが、とにかく恥をかかなくて済みました。

勘の良いお方はもうお分かりですね?

そう、先輩が頼んだのは、『お汁粉』じゃなくて『お新香』だったのです。

九州の山の中で育った私は、「お新香」なんて洒落た(?)呼び名は知らず、あれは「漬物」としか認識していませんでした。

しかし店員さんもよく私に聞き返さなかったもんですな。まさか『お汁粉』を頼む客がいるとは思ってもみなかったんでしょうね。

今も吉野家に行くと、もういっぺんお汁粉を頼んでみたい衝動に駆られる私でした。

(今も『お新香』はメニューにあります)