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台風による大停電の朝

月曜日は、いつも始発バスで木更津の地元をかすめる奴(高速バス)に乗り込んで東京駅に向かい、都内のコンサルティング先の会社に向かうのが日常だった。だが、その日は起きても部屋が真っ暗だった。エアコンも止まっているどうやら停電しているようだ。昨夜通過した大型台風の被害は甚大なものらしい。ブレーカーを確認するために懐中電灯を捜して照らしてようやくブレーカーではなく停電だということも再確認した。水はでる、ガスもでる。ニュースなど唯一の社会との接点はスマホの情報だけだった。交通はボロボロらしく会社メールにも各人が大遅刻する旨の書き込みが続いていた。行けるのかどうかさえも危うい。私はといえば、東京から海隔てた千葉県という島にいることから、島からの脱出というか通勤あるいは帰宅のためには一番都合がつけられそうなアクアライン経由のほかの高速バスが10:00以降には走りそうだという案内を見つけて、行動を起こすことにした。
電気のない中で、復電した際のコンセント類をいったん抜くという対処をした。次回来るまでにエアコンがつけっぱなしになっても困るので、大元で切るしかなかった。

いつもなら東京駅に抜けるバスについては、安房鴨川から山を越えてくることもあり、さすがに運休だった。JRについても恐らく線路にかかる樹木やごみなどの処置が確認できるまでは走りそうもないということは確かだったし実際その通りだった。ともあれ、ほかのアクアラインを抜ける高速バスが再開しそうだという情報は力強く、いつ戻るともしらない電気を待つよりも行動を起こして出社あるいは帰宅の道を選択することが望ましいと感じた。しかし停電の状況は横浜の自宅も変わらないらしいと細君との電話で確認が取れた。台風一過の天候は、青空だったが大風で自宅の木もなぎ倒されているという事や、窓にびっしりと張り付いた飛んできた葉っぱが物語っていた。

ともかく木更津駅まで向かって、路線バスないしは徒歩で行くしかなかったし、朝飯もどこかのコンビニで何か買うことが出来ればくらいに甘くかんがえていた。家を出て、近くの道に出てと愕然としたのは途方もない飛来物の量だった。枝も含めて狭い道をおおっていた、身近なコンビニには車がたまっていたので立ち寄ってみたところ停電につき閉店していた。最寄りの交差点を見ると信号機が消えていた。最寄りの路線バスのバス停に向かって歩いてみても信号が消えている交差点では手を挙げて運転手の方のヘルプをもらいつつ渡るという流れだ。しばしまってもバス停にバスは来ない予定時刻をしばらく過ぎても来ない。おそらく信号機が消えている段階でほかにも支障がある区間もあるのだろうと、駅まで徒歩で4キロの道のりをカートを引きながら進むことにした。

信号機が点いている交差点近辺を目印にして、コンビニを捜しつつ向かうのだが、それでも停電影響で休業か売り切れのコンビニをみつつ駅までにお握りも買えずに一時間かけて汗をたらたら流してようやく木更津駅に到着するということになった。信号機の停電は半数以上におよんでいた。ようやくついた駅周辺も停電蔓延していて喫茶店もレストランも休業していました。JR駅敷地にある喫茶店BECKSは停電はなかったようなのですが台風でウィンドウを損傷していてお休みでした。駅敷地のコンビニも案の定売り切れの様相でしたが、改札口半分にシャッターのおりた駅ナカのコンビニには遠目にもお握りが見えたので迷わずゲットしました。

高速バスの運行はアクアライン的には問題が無かったのですが、下道の信号機が停電で使えないことがバスの運行を阻んだようです。ともあれ、一度は10:00運行開始を聞きつけた人達でターミナルは人が溢れて、電車の運行については目処がたたないという朝の発表の間でバス再開に皆さんの期待値は膨らみました。そこに新たな一陣が溢れてきました。カートを引き回す不思議な集団です。インターナショナルな会話から何処かの国の修学旅行なのか?と思う風景でした。日本語を話す同じ制服の仲間も出て来て、その集団の先生とおぼしきフィリピン女性もカートを引いて登場して学生たちも皆さん英会話をされてました。ようやくインターナショナルスクールの生徒たちで停電で学校や寮の設備が使えなくなったという事が判明しました。

スクールバスで30名ほどの単位で新たな学生たちが来て駅周辺は大混乱の様相となりました。でも、全寮制という様式で暮らしている学生たちは粗相もなくすんでいたのが幸いでした。高速バスの運行会社の方が事態を重く見て全面運休の説明をされました。複数のバス会社が共同運航している路線なので、きっちり決めたルールは、信号機が停電で稼働していないので安全運行出来ないというものでした。バス会社の方々の信号復旧が叶えばというフレーズが耳に残りそれでも列を作っていました。少しずつ列を離れていく人が出て来ていつしか先頭集団としてベンチに座るようになりました。ネットではJRが18:00頃を目処に内房線を運行再開するという通知があり、昼を回り影になったベンチで最悪18:00頃までまちバスが来なければ内房線で帰るというシナリオが固まりました。

バス停に後から来て時刻表や、全面運休の貼り紙をみて困惑する人達に自分達の座っている理由などを説明を繰り返しました。生徒を沢山帰宅させようとした学校の先生方がどうも生徒たちが自宅に帰る方法が無いようだとの事態に漸く気付き更に混迷を深めていきます。ある先生が「おい、西口から新宿行きのバスは走っているぞ」と言いました。正確には誤解でしたが、事態の一面を切り取ったものでした。西口からのルートは、東口からとは異なるため信号機の停電も影響が違うのかと、つい納得して生徒や私たちが西口に流されます。不思議なのは西口からは渋谷、東京、新宿といったルートへの高速バスがあるのですが、新宿行きだけが走る理由は特に無い筈なのです。

その少し前、東口にある横浜羽田方面の高速バス停のベンチには、先頭から横須賀にいく女性、私、本厚木に向かうという件の学校の英語の女性講師が座って互いにたわいもない話をしていた。インターナショナルスクールの生徒さんのクラス構成とかいろいろだ。レギュラークラスとインターナショナルクラスの2つがあるそうで不思議な集団について納得したりしていた。さて、新宿行きのバスが走っているという話がこの件の学校のほかの先生が話をしていたのを三人で理解して、西口ルートでは信号機の停電が少なかったのかといった推測を生み、西口発の他の路線例えば東京駅行きなども走っているのではという淡い期待をもって18:00のJR再開まではまてないという判断もあって三人で向かうことにした。

木更津駅はもともと西口から発展してきた駅なのだがアクアラインが出来てからはJRを使う人が減りめっきり駅前がどちらも廃れてしまっていた。そんな中で高速バスを誘致したのは当然のことともいえた。英語の先生には新宿駅行きのバス停を教えて。残りの二人は東京駅行きのバス停に移動した。案の定そこには全日運休の張り紙がしてあった。バスターミナルをぐるっと一周して英語の先生のもとへ戻りバス停の表示を見ると少し違った張り紙がしてあった。「町田線は運休します、新宿・渋谷線は信号機が復旧するまでは運休します」といった趣旨の張り紙だった。そこには既にインターナショナルスクールの学生達が誘導されて列をなしていた。バス停のポールには電光表示板にメッセ―ジが流れていて確かに「町田線は本日運休します・・・・渋谷線は本日運休します・・・」を繰り返していた。そこには新宿線運休のメッセージはなかった。このことが「新宿線は走っている」と評した先生の理由だったらしい。

しかしながら、新宿線と渋谷線の違いにおいてアクアラインに乗るまでのルートの差はないので明らかに電光表示板の間違いと思えた。予定時間になってもこない新宿線のバスのあり様から生徒の誰かがバス会社に電話をして確認したらしい。真実に辿り着いた生徒たちはタクシー乗り場に行列するようになっていきました。18:00まではまだ90分ほどあったので待つ場所をもう一度橋上駅舎か、東口に移動しようとデマに流された三人は言葉を交わすでもなくちりぢりに戻っていきました。半分シャッターを下ろした木更津駅の改札では、18:00再開と思っている人たちが駅員に再確認をしているような風景が見て取れた。跨線橋の通路は窓が開いて風も通るので飲み物を買って時間を待っていると、今度は期待していたJRが木更津までの内房線の再開のめどは今日は立たないという悲しいアナウンスを流した。そのアナウンスをかき消すような放送として木更津市役所が発令した警報の解除についてのメッセージが優先度の低さも含めて邪魔となっていた。

駅員さんたちのアドバイスは千葉から姉ケ崎までのルートは19:00から再開できそうだというもので、蘇我からは京葉線が普通に走っているというものだった。タクシーなどで蘇我または姉ケ崎まで行けばというのが彼らの今日のベストチョイスだという。ともあれ既にタクシー乗り場にはインターナショナルスクールの生徒たちで溢れている。その先生方も生徒たちを野に放った責任を感じてバスを仕立てて姉ケ崎まで搬送するといった案などを話しているのが聞こえるが、どうみても遠目に状況を見守りつつ直接タクシー会社に電話を続けるしかないようだった。

木更津地区にある四つのタクシー会社は、今風なアプリで呼び出せるものに対応しているのは一社のみで、残りの三社は旧来通りの電話受付の方式だった。さらに状況としては木更津地区に蔓延している停電から、電話が通じない会社、電話に出られない会社、電話が通じても今日はほとんど配車できるほど出社していないといった内容だった。アプリの会社もつながらない状況だった。茜色の空がきれいだったと思っていたらとっぷりと暮れてしまった。列から離れて困っているように映ったのか親切を気取った若者が状況の説明をしにきた彼曰く、どこまでいかれるんですか、蘇我までなら一万円位でタクシーで行くしかないですね、姉ケ崎までいっても電車が走るかどうかはわからない、このままここで夜明かしですかといった内容を話してくる。「白タクだ」と思った。「ありがとうございます、はいそのつもりです」関心のない振りをして流した。カモられても困るのだ。それよりも一万二千円も払えば、おそらくは羽田空港まではつくはずなのでそのほうが余程早くて安く帰れるはずなのだった。電話攻撃は何も成果を生まないので、タクシー行列の最後尾にならぶことにしたら、いつのまにか横須賀に帰る女性も並んでいた。これで相乗りで更に半額化が達成できる。長い長い行列もいつしかタクシーが来るよりも別の救済便がやってきた生徒たちや関連する人たちの先頭集団が徐々に崩れていった。

タクシー自体はなかなか来ない。ようやく自分たちが先頭になったのだがやってきたタクシーは見たことのないタクシーで稲毛から内房線が走らないので木更津までのってきたお客さんを連れてきた市外のタクシーだった。こうしたタクシーは地元以外では戻る方向のお客さんしか載せてはいけないルールがあるので断念した。ようやくタクシーに乗れたのは20:00を回っていた。地元のタクシーだったので安心して乗り込むことができた。運転手さんによると今日の出社状況は各人の停電状況などで大変だったのとガスの充填を行う装置が停電で使えないといったこともあってなかなか車を出せないという状況でもあったそうだ。タクシーの運転手さんにも高速バスやJRの運転状況は逐一入っていたようでJRが18:00再開できなくなったということから、これは大変だと思ったが、自分の車両のガスがなくなってきていたので、その車両をいったん本社に返して、本社にあった車両の中でガス充填量が少しでも多いものを探してようやく出てきたら今の時間だったということだった。タクシーで向かった金田の入口までの道は停電のおかげで、とても見たことのない暗い道の先に、アクアラインを走る車の明かりが見えてほっとした。快適に心地よく進んだ車両は羽田空港まで一万円を割る額で到着して私は5000円で自宅に向かうことができた。横須賀に向かう人とも空港で分かれて思った以上に最後がスムーズに終わったことに互いに安心しあった。でも木更津地区いや千葉県全体の停電状況を引き起こした大型鉄塔二つの倒壊は数日では復旧もしないと思われて地元の方々のご苦労についてはさらにしのばれた。

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