金蔵の最期

2015年12月19日に小鉄が亡くなった後、元気はあるけど体重の減少が止まらず、最高7.3kgあった体重が最後の診察では2kgになりました。

とはいえ、本にゃんは身軽になったのが嬉しいのか、おもちゃでどんじろうと遊んでいると乱入してジャンプしまくっていました。主治医からは「骨が脆いから絶対やめて」と言われる始末。

4歳の時から結石持ちでそこから腎不全、甲状腺機能亢進症と病院通いが続いていたものの、亡くなる2日前にも豚肉の紅茶煮で使ったティーバックを咥えて家中走り回り、亡くなる前日もうどんの汁に顔を突っ込もうとして最期まで元気でした。

金蔵といえば、その大声で病院の有名猫でした。今でも忘れられないエピソードの一つが、通院のたびに大声で騒ぎ過ぎてドアの外で待たされていた金蔵が歯石取りで入院した時のこと。

退院時に迎えに行き、タクシーを降りたら既に聞こえて来る声にあ〜と思いつつ。

私「うるさくしてご迷惑ではなかったですか?」
先生「あー。まぁ麻酔が効いている間は随分静かでしたよ」

そのやりとりだけで全てを察しました。

あと、金蔵が亡くなって2年後、どんじろうの通院でタクシーに乗った時、運転手さんに「あの元気な猫ちゃんはお元気ですか」と聞かれた時は驚きました。会話できないくらい騒いでいたから、きっとタクシー会社の営業所でも有名だったのね。

そんなお騒がせの金蔵ですが、息子が帰宅して出迎えた一瞬の隙に静かに旅立ちました。

亡くなる日も朝からご飯はあまり食べなかったものの、普通に歩いてトイレもして。21時半過ぎに息子が帰宅した時も「帰ってきたよ」と声を掛けて出迎えに行き、戻ったら呼吸が止まっていました。ウチの子になって15年近くあんなに毎日大騒ぎしていたのに、最期だけ静かに旅立つなんて。

2016年2月24日でした。金蔵は本当にピンピンコロリで理想的な旅立ちでした。


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