とある学生の青い春のお話

愛しい高校時代にしたちょっとした青い春のお話です。

その人と出会ったのは高校の美術科に入学して少したった頃。クラスの中心的存在で絵が上手くてパソコンが弄れてまさに何でも出来る子でした。なんとなく一緒にいる子はいてもグループがあんまり存在するようなクラスではなかったので必然的にほぼ全員と喋るような環境で特にその子とは仲良くなりました。クラスは女子35人、男子5人というほぼ女子校のような環境でしたが、全員が絵を描けること前提で入ってきているせいもあり、人間関係のいざこざはほぼ無かったような覚えがあります。

ちょうどその頃、周りには沢山絵の上手い子、動画を作れる子、音楽を作れる子、手先が器用な子。今まではクラスに1人、学年に数人いれば良かったような存在が溢れるほどいて自信なんか喪失してしまっているところでした。

2年に上がってその子とは一緒にいる時間が長くなりました。その子の隣にいる時間が増えれば増えるほどに自分の力の無さに落胆し、落ち込んだりもしましたが、その子の隣に立つため、必死で努力しました。

絵も動画もデータ処理だって。その子の隣にいる時に不相応だ、なんて思わないぐらい得意になりたかった。

あなたに教えてもらうんじゃなくて、同じ立場で同じ目線で話せるようになりたかった。つり合ってないなんて思われたくなかった。

この感情が何かも分からないまま、2年の春はすぎ、夏を迎えました。学校祭があり、一緒に回ってものすごく嬉しかったことを覚えています。

けれど、その子と別の子がカップル役を演じていた時にどうしようもなく嫉妬してしまったのです。別の子のことも大好きで愛おしく感じていたはずなのにこの感情はなんなのでしょう。

ああ、これが恋なのかもしれない。

そこで、ようやくその感情を自覚しました。けれど、すぐに自ら、その感情を否定してしまいました。あまりにも初めての感情だったことと好きを伝えて今の関係を続けられなくなるぐらいならこの感情を隠してその子の隣にいられる方がいい、と思ってしまったのです。何より憧れと愛と恋の区別など私には付けられなかったのです。

そして2年が終わり、3年。コロナの影響で行事がほぼ消え去り、1番の花形であった学校祭まで中止となってしまいました。

後輩たちの学校祭を見る度に皆「やりたかった」「羨ましいね」と口々に話します。そのぐらい私たちにとっては3年間憧れ続けた存在なのです。

それは私たちにとっても例外ではなく、未だに学校祭のことが話題にあがります。きっと何十年経っても忘れられず、この憧れと苦しみは残ってしまうのでしょう。

季節は進み、秋に。いよいよ進路が本格始動し、私は早々に進路を決めました。元々ほぼ決まっていたようなものだったので専門学校でしたし、書類の提出だけで終わってしまいました。その子とは進路が別々になることは最初から分かっていましたし、そもそもクラスに友人に合わせて進路を選ぶ、ということを好む人がいなかったので、結果として同じ道に進んだ人はいても、進路がバラバラになることにショックを受けた人はほぼ居なかったと思います。

元々好きなことがあってその学校に入ってきている人達ですから、友人は二の次になりがちです。普通にイラストレーターとして仕事をしている子もいたりして普通の高校生よりも大人でいなきゃ行けない場面が多かった気もしています。今となってはもう少しだけ子供でいればよかったな、とおもってしまったりもするのですが。(事情持ちの子が多く進路が変わりやすかったため、半分以上の子がどこに行ったのか分からないまま卒業してしまいました。聞ける雰囲気ではありませんでした。)

結局、私はそのまま卒業してしまい、服飾学生として生きています。今の環境では人体デッサンも彫刻を作る能力もさほど重視されません。データ処理や絵を描く能力は有効活用されていますが、どこか皆変わり者扱いをします。

もう、皆が絵を描けるあの環境が戻ることはないのか。そう思うとほんの少しだけ苦しくなります。

絵を描く度、あの日常を思い出します。

友人には「彼氏作らないの?」なんて聞かれたりもしますが、あまり欲しいと思えません。

きっと私はどこかでまだあの子のことを引きずってしまっているのです。

はたして私はあの子に恋をしていたのか、それともあの子のことを愛していたのか、どちらだったのでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?