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タイムマシン

こんにちは。

前回の続きとして実際に訪れたときのことを書こうと思います。

双葉町の玄関口である双葉駅で降りました。この駅で下車したのは僕を含めえて3人で、お互いの目的が何となくわかりました。

まず感じた違和感は、まったく音がしないことでした。普通、町に入れば車の走る音や他人の足音が聞こえるはずです。それが全くなく、どことなく気味が悪かったです。

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(駅改札に設置されている放射線量の表示)

駅の改札を出ても、乗客の3人とNHKの取材班以外は誰もいませんでした。ぶらぶらと町を歩いていると、恐らく商店街だった場所に出ました。以下はその場所の画像です。

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この時点で、上の画像から分かるようにこの町の時間は、2011年3月11日から動いておらず、9年間止まったままです。

しかし、オリンピック聖火リレーが開催されると看板が伝えるのです。この時に感じた2つ目の違和感は、町を散策するにつれて大きくなっていきました。詳しくは次の記事にて記述します。

とりあえず、まったく情報がないので太平洋側に向かって歩きました。

そこで目についたのは幼稚園と思われる建物です。

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ドアが開かれていたので、職員室の中に入ることができました。

この場所に足を踏み入れた時は鳥肌が止まらず、後ろから頭を殴られたような衝撃が走ったことをはっきり覚えています。

多くの物があちこちに散乱しており、9年前の当時の人々の動きが想像できると思います。先生方が子どもの命を守るためにいち早く行動したのでしょうか。食べた食器、タッパーに詰められた漬物までもがそのまま残されていました。

11日に貼られたニコちゃんマークの磁石からは、園児のお別れ会が予定されていることを示しています。無事に最後まで開催されたのかはわかりません。

歩みを進めていると、気になるものを見つけました。

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この場所の放射線量を表示しています。

東京、新宿の一時間当たりの放射線量は0.0366マイクロシーベルトです。

一方でここでは1.391マイクロシーベルトであり、単純計算で言えば、双葉町の放射線量は新宿の約38倍です。

しかし、一番最初の画像から分かるように双葉駅での観測量は「0.091」。

同じ町であるのにこの差って何なんだろうと思いました。

もちろん、放射線の影響だけでなく、地震の直接的な影響もこの町では顕著に現れています。

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この建物は資生堂の系列店のようでした。いつ建物が倒壊してもおかしくありません。

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写真にうつっている建物はほんの一部にしか過ぎず、あちこちで物が崩れていることが確認できました。

このあたりから僕は、好奇心よりも大きな恐怖を感じるようになっていました。

たまに車が通るものの、そのほとんどが現場の作業員の方々のものであり、そうでない人はほとんどいません。

僕が偶然見なかったのか、人以外の生き物を確認できませんでした。

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9年前の洗濯物が取り残されています。

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ほんの一部ですが、以上が福島県双葉町にて僕が体験したことです。

帰りの電車がタイムマシンのように見え、止まった時間から現在に戻ってきたような感覚を覚えました。

読んでいただきありがとうございました。

次の記事では僕が感じた違和感について記述しようと思います。



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