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疎遠になった友人はやはり疎遠のままだった話。#100

桜の季節になると思い出す人がいます。
Facebookをやっていた頃、やたらと写真を撮るのが上手なおじさんに好かれたことがありました。リアルではお会いしたことはありません。当時マラソンにハマっていたことなどを投稿していた私に、「桜の木の下を走る友香さんを撮りたい。」という名言を残しました。
登山に誘われた所で怖くなりブロックしました…。

しばらく疎遠になっていた友人がいました。
ちょうど年が一回り上で、毒舌を交えつつもお話が面白い人でどちらかと言えば私が懐いていました。
特に何があったわけでもありませんが5年位会っていませんでした。

それが昨年の秋位に、LINEのアイコンをそれまでの息子1人の写真から娘と2人で写っているものに変えました。
それに気づいてくれて「2人目も産まれたの!?」と連絡をくれたのです。

久しぶりの連絡に私も嬉しくなり、そういえば家を建てたあたりまでは連絡を取っていたけれどコロナ禍もありお招きできていませんでした。彼女の方から「ぜひおじゃましたい!」と言ってくれてトントン拍子に久しぶりに再会する運びとなりました。

しかし前日あたりに息子が発熱。
再度日程を調整するも、その日も発熱。
さすがに3回目をすぐ予定するのは何だか気が引けてきてしまいました。
その頃2-3週間ごとに発熱していたのでちょうどサイクルが合ってしまったのです。これでは永遠に会えそうにありません 笑

でもそれだけではないすぐにまた予定を決めるに踏み切れない何か引っかかりがありました。

久しぶりの連絡によって色々薄まっていた心がざらっとした記憶が。

直近では1人目が産まれた連絡をした時。
ちょうど彼女はコロナにかかって結構重篤な所まで行ってしまい入院までしてかなり大変だったようでした。
私の出産報告への返信がコロナにかかりいかに大変だったかというなかなかのボリュームの長文LINE。ちょっとひるみました 笑

産後って意外と色んな人への報告で忙しいんですよね…。経験済みの友人は気を使ってくれて向こうからサラリと返信不要だからねとあえて短めに返してくれました。

それからいくつかのちょっと心がざらついた記憶が蘇りました。

一緒にケーキバイキングに行った日の帰りだったか、その日はたまたま私の誕生日で、それは彼女も知っていました。
何気なく休憩で座ったベンチで長々と大昔の辛かった話をまるで昨日のことのような熱量でし始めてそれがなかなか終わらない…。聞いているうちに「今日誕生日なのに私…」と何とも後味悪く帰った日もありました。

人が出産した後だとかお誕生日だとかのタイミングで、私だったらただただ祝福する言葉を贈りたいです。たとえそのタイミングですっごく聞いてもらいたい熱量が高まっていたとしても、それはさすがに引っ込めて後日にします。というか、それならわざわざ話さないかな。

今回もし3度目の正直として無事会えることになったとして、またそんな思いをすることにはならないだろうか…?

むしろそれを察して息子が体張って発熱したなんてことはないだろうか?

昨年からせっせと開運のため掃除していたことで結界が張られた結果なのではないだろうか?

これだけ会えないのだから、そういうこと。なのではないのか?

会わないままの方がいい理由がどんどん浮かんできました。

なるべくごきげんで過ごしたい。
気のいい家にしたい。
そう思って日々過ごしているこの家で、今は会わなくていいのかもしれません。

5年も経てば人も変わって、もしかしたら今会ったらとても気持ち良く時間を共有できるのかもしれません。
会える人には会えるようになっている。
今本当に会うべきタイミングなら、どうしたって会えることになっていたと思います。

きっとお互いの何かがまた交差するタイミングが来たら、その時には神様があの手この手でタイミングを合わせてきて会うしかない状況を作ってくれるのでしょう。

その時が来たらきっとすぐに「今だ!!」と気づくはず。

それまでは引き続き、上がったり下がったりしながらも、この家を、家族が帰りたいと思う家にしよう。


今日も、

新しい一日が、

始まります。




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