『日本の統治構造』(中公新書で学ぶ現代日本の政治④)

 今回は『日本の統治構造 官僚内閣制から議院内閣制へ』(飯尾潤、2007年)を取り上げます。ちなみに、同書は第29回サントリー学芸賞第9回読売・吉野作造賞に選出されるなど、高い評価を受けています。
 タイトルからうかがえるように、本書は選挙制度から官僚制度まで、中央政治から地方政治まで、海外との比較も含めて日本の統治構造に関する多岐にわたる論点を扱っています。これまでのノートで取り上げた3冊との関係で見てみると、『日本の選挙』が選挙制度についての詳論、『自民党』が政党政治に関する詳論、『首相支配』が政治改革を経て小泉内閣に至るまでの政治史であったとすれば、本書『日本の統治構造』は議院内閣制(特に日本独特な官僚内閣制)に関する詳論であると言えると思います。そして、議院内閣制が選挙による議員選出から政党政治を経由して官僚による行政までの一連の政治制度であることからわかるように、本書はこれまでの3冊の内容やそこで提示された論点をコンパクトに要約・消化しつつ包括している力作です。それに加えて、これまでの著書では中心的に扱われていなかった官僚制について詳しく論じていることが特徴と思われます。
 すでに出版から10年以上の時を経ているため、内容の古さを心配するところですが、本書は理論的な政治研究に基づいているので、一定の普遍性を持っていると言えます。モデル化された議院内閣制(あるいは官僚内閣制)を本書の読解を通じて頭に入れる一方で、現在の政治的意思決定がどのようになされているのかを、日々のニュースなどから読み取り、どこがモデル通りでどこがモデルとずれているのかを観察してみると良いのではないかと思います。著者の飯尾潤は政治学者(政策研究大学院大学教授)であり、御厨貴や北岡伸一らと共に小沢一郎の『日本改造計画』の執筆に携わった一人であるとされます(wikipedia)。

 今回のノートでは、基本的なモデルとして議院内閣制とは何なのかということを確認し、その擬制としての官僚内閣制について理解していきます。その上で、日本の政治体制にどのような改革が求められているのかを確認しようと思います。なお、例によってこの記事は本書の正確なレジュメや要約ではなく、私なりの公民学び直し勉強ノートである旨あらかじめお断りしておきます。

議院内閣制

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 議院内閣制の最大の特徴は、政党体制として英国のように小選挙区制による二党制になっていようが、北欧諸国のように比例代表制による少数派政党による連立政党になっていようが、議会が内閣を信任している点にあります(選挙制度については第1回のノートで扱いました)。有権者は選挙を通じて議会の正統性を確認し、それを根拠にして議会は内閣を信任しています。
 議会においては、議決が安定的に行われるための安定的基盤=政党の存在が不可欠とされています。多数派を占めた政党(または連立政党)は、その幹部が内閣を構成することで、政権党=政府になります。内閣の長たる総理大臣は、自らの代理人として国務大臣を選任します。国務大臣は省庁の官僚を選任し、執務補助を受けます。官僚の特徴は国により異なりますが、基本的には政治から独立した国家試験などの一定の水準をクリアした職能集団として機能します(米国ではこれと異なり時の政務担当者が部下を自由に選任するという方式です)。例えば、英国の官僚は国王に忠誠を誓う政府の一員で、国王の代理人である国務大臣の指揮命令下に置かれます。注目すべきは、有権者から官僚まで選任関係を示す矢印が一貫して続いているということです。つまり究極的には有権者は官僚の行動をコントロールしています。これが議院内閣制の大まかな機構です。
 行政権を行使する内閣は、その根拠を法律に求めなければなりませんが、議院内閣制においては内閣と議会は一致しているので、内閣はいわば思い通りに政策を実施できます。そのため、有権者は選挙の時点において将来の首相候補や、少数政党の連立相手、そして政権が実施する政策を知っておく必要があります。仮に自ら正統性を与えたはずの議会が思いもよらぬ首相を選び出し、政権が思いもよらぬ政策を実施すれば、「議会に正統性を与えた」という意識は有権者のなかに生まれないからです。政党はマ二フェストを提示し、政権獲得後はこれを実施し、一方で有権者はそれを事後評価し、次なる政権選択を行います。また、野党は政権党の政策を批判したり、代替案を示したりして、次の政権奪取を狙います。これが期待されるサイクルです。もちろん、政権党が十分に民意に応えているならば、その政権が100年続こうが特段問題ないのです。しかし死活的に重要なのは、政権交代というオプションが常に有権者の手にあるということです。

 議院内閣制においては、多数派を占める政党や連立政党が政府となります。つまり、議院内閣制は三権分立を保障する政治体制ではなく、議会の信任により権力を政府に集中させる体制であることを認識しておくべきです。制度上で三権分立を実現しようとしたのは大統領制の方です。ところが、日本では「首相のリーダーシップが発揮されるように議院内閣制ではなく大統領制にすべきではないか」といった声があります。しかしこれは誤りです。本来、議院内閣制に基づく首相の権限は大統領より強いはずだからです。
 ではなぜ日本の首相にはリーダーシップがないと言われるのでしょうか。端的にいえば、それは日本の政治体制が議院内閣制のようでいて議院内閣制ではないからです。実は、日本では(官僚)内閣制が明治時代から脈々と続いてきたために、戦後日本国憲法が制定されたことでそのポテンシャルが生まれたにもかかわらず、本来的な議院内閣制が実現されていないのです。

官僚内閣制

 第二次世界大戦前の政治体制においては、内閣は議会の信任関係にはなく、いわゆる超然内閣として存在していました。明治憲法においても内閣については何ら規定されず、現象として政党内閣が成立したことはあったものの、これらは法的基盤を持たず脆弱でした。この点、日本国憲法制定による民主化の本質とは、まさに議会の信任による内閣の成立という形式が保障されたことでした。しかしながら、いわゆる55年体制下で自民党の派閥政治が長く続いたことで(派閥政治については第2回のノートで扱いました)、異なった政治体制が発達し、そのことにより「議院内閣制」に対する誤解が広がりました。

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 まず、自民党の長期政権において総理大臣とは自民党総裁のことであり、総裁の選出は自民党内の総裁選挙によりました。これが衆院選のタイミングと異なる時期に行われていたので、有権者の間に「選挙により首相を選任している」という意識が希薄になりました。他方で、総裁が交代することにより国民に擬似的な政権交代を感じさせるという効果もあり、現状の政治体制が維持されたという面もありました。
 また、内閣総理大臣の代理人である国務大臣の選任についても問題がありました。大臣ポストは党内派閥の提出する入閣リストと当選回数に基づいて配分されるものでした。入閣者の裏には派閥や利益団体がいて、彼らのために動くというモチベーションもありました。つまり、入閣者には「総理大臣から委任を受けた代理人である」という意識が希薄でした。また、多数の入閣希望者にポストを供給するための1年交代制があったために、閣僚としての実務能力が身につく前にその座を譲らなければならなかったことから、閣僚は官僚の言うがままに動かざるを得ないといった状況もありました。このような要因から、閣僚は省庁の代表として振舞うことが普通になっていました。すると、場合によっては内閣は総理大臣と各省庁の代表者が対立する場となってしまいます。内閣が議会ではなく省庁からの代理人の合議体と化しているという意味で、官僚内閣制と呼ばれる体制です(図の赤枠の変化に注目してください)。

 ここで問題なのは、議会が官僚内閣制の外に置かれているということです。これは議会の多数派が必ずしも政府を意味しないということであり、日本ではこのような多数派政党を政権党と区別して与党と表現します。官僚内閣制では、省庁から上がってくる議案を政府が閣議決定しても、議会=与党がそれを可決するとは限らないということになります。しかしこれは政府=政権党である議院内閣制では考えられない話です。
 そこで、政府の決定が議会で通過するようにするために与党(自民党)党内に事前審査制度を置くという政府・与党二元体制が高度に発達してきました。このプロセスにおいて省庁と与党とのすり合わせが行われます(詳しくは第2回のノートで扱いました)。官僚側から見れば、与党政治家に案件を「ご説明」に上がることで支持を得て理解者=族議員を増やして回るという仕事をこなす必要がありますし、政治家はその機会に官僚側に注文を付けて行政に介入することも可能です。そうして、利害関係者の調整に奔走する官僚と行政的な注文をつける政治家という倒錯した役割分担が見られるようになったのも興味深いところです。
 最終的に党の決定に党議拘束がかかるとともに政府提出法案が閣議決定されれば、政府と与党の見解が一致し、当該法案が国会を通過することになります。嫌な言い方をすれば、あたかも議院内閣制が実現されているかのように議会を取り繕うための水面下でのインフォーマルな辻褄合わせが行われた結果だということです。このようなプロセスを経て国会に提出された法案の審議における問題は、まず、その水面下の調整を経て官僚によって書き上げられた法律はほぼ完成形なので審議過程での法案修正の可能性が狭められていること、また、党議拘束のタイミングが法案の国会提出前であることが国会審議を形骸化させていることなどです。
 また、議院内閣制の観点からは、国会審議において政権党の提出法案が通過することは当然のことです。例えば、英国では法案通過は当然の前提としつつも、国会審議においては政権党が法案の内容を国民に広く知らしめ、また各政党が当該政策に対する姿勢を明確に示すことで、次の選挙の参考にしてもらうようにするアリーナ型の審議が行われています。ところが、日本では「三権分立による議院内閣制」などという言葉が普通に通じてしまうように三権分立の神話が根強く残っており、国会審議に政府は関与すべきではない、議員が立法すべきだ、野党は法案成立を阻止すべきだという意見が出てきます。その結果、例えば、政府は国会審議日程に関与することはできず、もし期日までに議決できなければそれで法案は廃案になります。また、国会の粘着性という概念があり、法案審議で与党が野党に配慮することによる法案不成立が生じるという奇妙な現象も観察されました。

 もう一点、官僚内閣制においては省庁が有権者からの信任を受けていないことも指摘できます(有権者からの矢印が省庁にたどり着かない)。これを克服するために、日常的には省庁は所管事項に関わる案件に関して各種利益団体から意見を聞いたりしていますし、また政策立案のために審議会を設け、ここにテーマごとの権威のある専門家や社会的成功者を据えることで、民主的正統性に替えようとします。そして審議会での議論を経て政策を立案することで、政府のマニフェストの代替案を作り出す仕組みを形成しています。しかしながら、この民主的正統性を持たないことは逃げようのない問題です。

どうすべきなのか

 憲法上、議院内閣制は可能です。したがって、本書のサブタイトルのとおり「官僚内閣制から議院内閣制へ」政治体制を移行すればよいということです。
 まず、有権者が政党の選択を通じて議会を信任し、それを根拠に内閣が成立するという手続が選挙によって保障されるべきです。政権選択と選挙の連動ということです。有権者が政党を選択するのは、その政党が民意を組んだマニフェストを練り上げているからです。この点、選挙前に出馬候補も政党のマニフェストに合意しているべきで、多様な意見を選挙時に提示して当選することは良いこととは言い切れません。マニフェストとともに政党が首相候補も有権者に提示すれば、選挙において政党・首相・政策を一度に選択することが可能になります。
 こうして成立した内閣および総理大臣の実質的な権力は、民主的正統性を備えているので強力です。この強い権力を持つ首相を機軸にして、国務大臣そして省庁の関係を上意下達へと変えるべきです。また、首相の執務を補助する内閣官房の機能も強化されなければなりません(首相支配への移行は第3回ノートでも扱いました)。実際、近年の官僚にとっては、首相の手元で重要な政策を立案・決定することが「働きがい」になっており、官僚内閣制原理が失われているといえます。
 議院内閣制の実現のためには、このマニフェスト・サイクルが回っていくという成功体験を積み重ねていく必要があります。そのサイクルの中で、有権者が政党への同一化を高めていくことも重要です。今の日本では公明党や共産党のような特殊な政党を除いては、「自分は〇〇党だ」という意識は希薄であり、政党同一化が進んでいないのは明らかです。これが克服されれば、政党政治が確立されることになります。政党の側としては、社会に深く根を下ろし、社会の利益・意見を集約しつつ、その変化に柔軟に対応することが求められます。
 加えて、マニフェスト・サイクルの実現において参議院の問題も無視できません。日本では、衆参ともにほぼ同じ内容の選挙方式で時期を分けて実施されているわけですが、これではせっかく民意を汲んで実現した衆議院の議決が参議院によって阻止されるようなねじれ国会を生む危険性を常に孕んでいます。つまり、この観点から言えば、参議院は廃止して一院制にするか、または参議院の権限を縮小して衆議院の方針に反対しないようにするかしなければならないのです。他方で、参議院に調査機能や合議機能など独自の役割を充実させつつ、また政党色を弱める選挙方式をとるなどして、民主制を補完することが求められます。

今回のノートは以上になります。お読みいただきありがとうございました。

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