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ゆでたまご その2

看護学校を受験したのは、24歳の時。20年間患っていた難病が完治したからだ。主治医に「今までやりたくてもできなかったことを好きなだけやれ」と言われ受験することにした。看護学校は健康状態の査定が厳しい。高校卒業するときも受験しようかと考えたが断念した。

その頃、私は介護福祉士として特養で働いていたのを退職して、サックスを吹いてた。バイトに練習、セッション、バンド活動の日々を送っていた。看護学校を受験することにしてから、バイトを減らし、日中、図書館に行って4時間勉強した。高校生活は通ってはいたものの授業中は、隠して音楽を聞いているか、本を読み続ける学生で授業の記憶は好きな英語と数学くらいだ。教科書も卒業と同時に全て処分し、塾に行くわけでもないので情報も全然なかった。今のようにネットで情報という環境ではなかった。とりあえず、問題集を何冊か買い、それを何度もやり潰すことにした。

そんな矢先、父親が家に帰ってこなくなった。(今は別の生活をしているが和解。詳しくは、呼吸でブロックを解除するというブログに書いています)母親が抑鬱状態になり、生活費が入らず生活が苦しくなった。受験勉強、サックスどころではなく、初めは血迷って勉強をやめ就活をした。兄は、自由に独身生活を謳歌していて、家のことなど我感ぜず状態だった(現在は、結婚してとても家のことをやってくれる)。色んな感情がごった返してどうしようもなく辛い状況だったが、祈って祈って父親の存在を心が騒がない遠い場所に置くようになった。そして4時間だけ勉強する、バイトもする、サックスも吹く、という生活に戻し、生活を変えないで父親の帰りを待つことにした。

看護学校の試験は、一次、二次に分かれていて、一次の筆記試験(国、数、英、理系の4科目が主)二次は小論文と面接だった。会場に行くと、こんなにも受験生がいるのかと圧倒され、とても合格するとは思えず、気落ちした。最初に受けた学校は試験の前に適性検査なるものがあり、大量のスピード計算をさせられ、それだけで疲れてしまった。もちろん、不合格だったのだが、本命の学校は一次には合格できたものの、複雑な経歴を持つ私の面接は面接官が把握しきれず、思ったように説明が伝わらず落ちた。そこしか合格できる自信がなかったので、ショックで見間違えじゃないかと2回くらい発表を見に行った?

3校目は、倍率が桁違いに高かった。会場に行った時点で、無理だわと半分諦めて学科は見直しもろくにせずに受けた覚えがある。それでも一次は合格できた。さて、二次。小論文は色々あるけど、当時は尊厳死だったり、安楽死だったり、これからの医療だったり、在宅医療だったりのテーマが多くてそういう題材で、文をまとめていた。この学校の小論のテーマは「愛についてあなたが思うところ」を書きなさい、だった。課題文は、向田邦子さんのゆでたまご。

私はとても父親に似ている。物の見方、感動するポイント。父親が母親に何か言おうとしたとき、その言葉を私が同じタイミングで言っていると父親に言われたこともあるくらい。その父親に中学か高校の時にこれとてもいい話だから読んでみてと渡されたのが、ゆでたまごだった(ゆでたまごの内容は前回の愛のエネルギーというブログに書かれています)。いわば、父親との思い出の作品なのだ。会場で私はそれを泣きながら読んで、文をまとめた。

偶然とは思えないゆでたまごとの出会いに、この学校に行くんだと希望を感じたものだ。さて、面接。自分の会場から出てくる人出てくる人泣いて出てくるのだ。何、何、何ーー?何で泣いて出てくるのー?心が騒ぎまくりだ。自分の番になった。

入るなり、「挨拶はいいのでさっさと座ってください」と言われ、のっけから答えにくい質問の連打だった。そう、この学校は1校目と違い、書類の全てを熟読し、ある意味よく考え込まれた質問を投げかけてきた。私の弱みは、難病、健康診断(その頃、家庭がめちゃくちゃで体調が良くなく、尿蛋白が±で出ていた。3回、再検したけど−にならず、医師と相談して±ならと提出した。他校はそんなこと見もしてなかったけど)、複雑な経歴(色んなことをやっていて、全然違うことをしていたりするので、常識的な人には理解できないと思う)だ。

面接官『あなた、難病で尿蛋白出てますけど、看護師の仕事重労働ですが、できますか」

私『医師に完治の診断受けてますし、自己管理できているので可能と判断します」

面接官『ちなみに何病院の何先生の診断ですか」

答えると「多摩地区の病院でいい診断するところ聞いたことがないんですが」とバカにした表情。

すごい偏見。すごい差別。何だ、この人。

どんな看護師を目指すか、なりたいかの質問に臨床経験を積んでから、いずれ在宅をやりたいと答えると、軽く鼻で笑われ、

面接官『在宅こそ、体力勝負ですけど、あなたにできますか」

その後も体力のことの質問が続き、あんまりしつこいので腹が立ってきた。

私『お言葉を返すようですが、現時点では医師の完治の診断を受けておりますし、幼少時より体が弱かったため人一倍体調管理に気をつけておりますので、先のことは分かりませんが、現時点では大丈夫としか言いようがありません。それは、みんな同条件ではないでしょうか」

と同じ質問ばかりしつこいんだよーと半ば喧嘩腰で答えていました。帰り道、やってもーたーと失意の中家路についた訳であります。友達にその話をすると、「やばいって、悪いけどそれ落ちたわ」と言われ、そうだよねーという感じでした。が、結果は合格してたのです。

向田邦子さんの数ページのゆでたまごという文が自分の人生に与えた影響が大きかったので、書いてみた。短い文で語られる、愛とは、温もりで、小さな勇気で、自然の衝動なのだ。三浦綾子さんは好きと愛するの違いを、好きは感情で愛するとは、意思って言ってたけど。何かが動くというか、動かされるというか。偉大なものとかでなく、すでにそこにあるものなのかな、とふと考えたりした日なのでした。

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