でんちゃん (城野 恵)

呼吸するパン でんぱん 川根本町の山の上の小さなパン工房 楽健寺酵母(りんご、人参、長…

でんちゃん (城野 恵)

呼吸するパン でんぱん 川根本町の山の上の小さなパン工房 楽健寺酵母(りんご、人参、長芋、米で作った自家製酵母)の小麦パン グルテンフリーの米粉パン 平日、訪問看護師 元難病患者、パーマカルチャー、移住、食物アレルギー、麦っ子畑保育園、循環型の自然な暮らし

ストア

  • 商品の画像

    蘇のパンセット

    - 楽健寺酵母1斤パン - 丸パン10個 りんご、人参、長芋、玄米で作った自家製天然酵母で焼き上げたパンです。有機小麦使用で、材料は自然のものを使用してます。見た目は素朴ですが、食べると口一杯に広がる豊かな酵母の味を食べて、一日を元気に始められたらと思います。
    2,300円
    denpan
  • 商品の画像

    ケのパンセット

    楽健寺酵母 - 1斤パン - 丸パン10個 - ベーグル3個 - イングリッシュマフィン3個 自家製天然酵母、自然の材料を使って焼き上げてます。毎日のパン、ケのパンとして常備しつつ、朝のバリエーションを豊かにするセットです。
    4,200円
    denpan
  • 商品の画像

    米粉パンセット

    - グルテンフリー米粉1斤パン 2本 白神こだま酵母使用 材料は、米粉、洗双糖、天然塩、米油、酵母とシンプルです。
    2,400円
    denpan

記事一覧

固定された記事

私のルーツ

自分には生まれ直した、立ち帰る場所、記憶があります。 今は元気なのですが、2歳の時に腎臓の難病になりました。幼少時のほとんどを入院して過ごしました。 ステロイド…

ゆでたまご その2

看護学校を受験したのは、24歳の時。20年間患っていた難病が完治したからだ。主治医に「今までやりたくてもできなかったことを好きなだけやれ」と言われ受験することにした…

愛のエネルギー

沖縄にいた時に、下の子のアレルギーで病院に通っていた。と言っても数回だけど。アナフィラキシーを起こして救急搬送された時、対応してくれたのがアレルギーの専門医だっ…

やりたくないことで死なない

山に移住して、すごく思うことはよく都会で生きてきたな、ということ。正常な思考なんて働かないよなと心底思う。情報量が多過ぎる。半端ない。視覚的にも、聴覚的にも刺激…

京都で知ったコミュニティを考えるきっかけになった場所

20代の京都旅行でタクシーに乗った時、「京都の南側お願いします」とお願いすると「京都では、南側って言わない方がいいよ。嫌がる人いるから」と言われた。その時はそれが…

日本の子供はなぜ自己肯定感が低いのかな?

前の職場の同僚の子供さんは、24歳で仕事についていなかった。長年、謎の体調不良があった。部屋の蛍光灯の明かりが眩しすぎて頭痛が出るため、明るいうちに夕食をとり、早…

振り分けは生まれる前から始まっている

下の子が通った麦っ子畑保育園は、何十年もの間毎年、就学時健診の学びをしていた。 発達障害の子を持つ親の話を聞いたり、そういう悩みを抱えた人の相談者をしてる人の話…

怒りの感情はどこから来るのか

上の子は中学生から遠く離れた全寮制の中学に入った。中学生なのに早いね〜とか、凄いね〜と言われるが、小さい頃から早く自立して生きていけるようにを念頭に置いて関わっ…

パーマカルチャーを学ぶまでの流れ

家族で藤野のすどう農園で、土作り、ぼかし作り、種とり、苗作り、野菜作り、発酵食品など畑の勉強をした。 自宅では、畑がなかったので、マンション暮らしの我が家で色々…

どう生きたいかの入口

311の後、今の生き方を見つめ直した 当時大阪に住んでいた我が家は、震災直後に沖縄に転勤になったため、 原発については少し距離が出たが、食べ物については西以南のも…

意識に落とし込む

6年前,タイの洞窟で遭難事故があった。 13人の少年と25歳の青年のサッカーチームの集まりを 洞窟でやっていたところ、大雨による洞窟内の増水で 出られなくなった。 入…

呼吸でブロックを外す

リーダークラスも4回目くらいになったころか、3枚の胎児の写真が目の前に並べられた みんなで3枚の写真の中から響いたものを1枚選んだ そして、同じ写真を選んだ者同士で…

加藤俊朗先生の呼吸法

気功教室を辞める少し前に、図書館で服部みれいさんの日記を借りて読んだ その本は、みれいさんの日々のやったこと、食べたもの、思ったことなどが短く書かれた日記だった…

かとう公いち氣功教室

8年前、初めて気功教室に通った 何カ所か行ったが、どれもピンとこなかった その頃、自分のために時間やお金を使うことに抵抗を感じていた 今はどんどんやりたいことを…

魔女子との出会い

30歳の時、まだ独身で管理職になり施設を立ち上げていた この仕事が自分のなかでの黒歴史、思い出したくない いつか書くかもしれないが、寝ずに休まず働いていた 大会社…

のんちゃんの鍼灸

311の直後、我が家は大阪から沖縄に転勤した 当時は、原発から少しでも離れられるのが安心だった 7年前に沖縄から神奈川に転勤となった 311後より食べ物は西以南のもの…

私のルーツ

私のルーツ

自分には生まれ直した、立ち帰る場所、記憶があります。

今は元気なのですが、2歳の時に腎臓の難病になりました。幼少時のほとんどを入院して過ごしました。

ステロイドの大量療法やありとあらゆる治療をしましたが、全く効果がありませんでした。
ほぼ1年排尿がほとんどありませんでした。
ステロイドの副作用が酷くムーンフェイスで
肥満、成長が止まっていました。

一日の水分制限は200mlまで、無塩食が続き

もっとみる
ゆでたまご その2

ゆでたまご その2

看護学校を受験したのは、24歳の時。20年間患っていた難病が完治したからだ。主治医に「今までやりたくてもできなかったことを好きなだけやれ」と言われ受験することにした。看護学校は健康状態の査定が厳しい。高校卒業するときも受験しようかと考えたが断念した。

その頃、私は介護福祉士として特養で働いていたのを退職して、サックスを吹いてた。バイトに練習、セッション、バンド活動の日々を送っていた。看護学校を受

もっとみる
愛のエネルギー

愛のエネルギー

沖縄にいた時に、下の子のアレルギーで病院に通っていた。と言っても数回だけど。アナフィラキシーを起こして救急搬送された時、対応してくれたのがアレルギーの専門医だった。その縁で、調べてもらったり、注射をしてもらったり。その日は、少しずつ注射をして30分おきにアレルギー反応を確認していた。その間、子供と2人で病院内で時間を潰していた。

ママ友が私の見てないところでアレルギー食材を食べさせて、アナフィラ

もっとみる
やりたくないことで死なない

やりたくないことで死なない

山に移住して、すごく思うことはよく都会で生きてきたな、ということ。正常な思考なんて働かないよなと心底思う。情報量が多過ぎる。半端ない。視覚的にも、聴覚的にも刺激しかない。
最近、凄い変化してる、とか進化してるって言ってもらえるけど、多分、都会にいたらやろうやろうと思いながら、一生やらないで終わることが、何かやろうと迷わず始めて、進められているからだと思う。
都会にいると自分のことなのに、全てが物理

もっとみる
京都で知ったコミュニティを考えるきっかけになった場所

京都で知ったコミュニティを考えるきっかけになった場所

20代の京都旅行でタクシーに乗った時、「京都の南側お願いします」とお願いすると「京都では、南側って言わない方がいいよ。嫌がる人いるから」と言われた。その時はそれがどういう意味なのか分からなかったけど、その10年後、私はその意味を知ることになった。

結婚して大阪に住んでいた時に、まめもやしというNPOの仕事を頼まれた。京都の南口にある市営住宅の管理人をしながら、まめもやしのしごとをした。

かつて

もっとみる
日本の子供はなぜ自己肯定感が低いのかな?

日本の子供はなぜ自己肯定感が低いのかな?

前の職場の同僚の子供さんは、24歳で仕事についていなかった。長年、謎の体調不良があった。部屋の蛍光灯の明かりが眩しすぎて頭痛が出るため、明るいうちに夕食をとり、早々に寝ていた。電灯を使わない生活をしていた。普通の人には聞こえない電流の音がものすごい体中に響きわたりどこにいても常時つらい状況にいた。喘息もあり、アレルギーもあった。小さい頃から、好き嫌いではなく自分の体によくない物が分かり、特に肉、魚

もっとみる
振り分けは生まれる前から始まっている

振り分けは生まれる前から始まっている

下の子が通った麦っ子畑保育園は、何十年もの間毎年、就学時健診の学びをしていた。

発達障害の子を持つ親の話を聞いたり、そういう悩みを抱えた人の相談者をしてる人の話を聞いたり。その後は、みんなで意見交換をした。

小学校に入学する前年の秋頃、新入学児の家に就学時健診の案内のはがきが届く。これは、入学前に健診や簡単なテストを受けたり、先生に相談したりするものだが、主催が小学校ではなく、教育委員会となっ

もっとみる
怒りの感情はどこから来るのか

怒りの感情はどこから来るのか

上の子は中学生から遠く離れた全寮制の中学に入った。中学生なのに早いね〜とか、凄いね〜と言われるが、小さい頃から早く自立して生きていけるようにを念頭に置いて関わってきた。

今、何が必要でどうするべきか、考えて行動できるように。失望の世界でも常に希望の方に向かって考え、できれば、みんなを引っ張っていけるように。勉強なんかより、楽しく生きてほしい、そう、考えた。

入寮後、一晩寮生活、私達は別のホテル

もっとみる
パーマカルチャーを学ぶまでの流れ

パーマカルチャーを学ぶまでの流れ

家族で藤野のすどう農園で、土作り、ぼかし作り、種とり、苗作り、野菜作り、発酵食品など畑の勉強をした。
自宅では、畑がなかったので、マンション暮らしの我が家で色々挑戦した。ベランダ一面プランターで野菜を作り、種取りをし、種取りをした種を蒔き収穫した。野菜クズのコンポストをし、ゴミを減らして堆肥を作った。コンポストトイレを作って使用してみた。ソーラー発電をして、充電やテレビなどは蓄電を使用した。1年分

もっとみる
どう生きたいかの入口

どう生きたいかの入口

311の後、今の生き方を見つめ直した

当時大阪に住んでいた我が家は、震災直後に沖縄に転勤になったため、

原発については少し距離が出たが、食べ物については西以南のもの

を買うようにしていた

沖縄の私が住んでいたところは、学年の1クラス分増えるほど、自主避難の人が移住していた。

私の友人の多くは、原発の爆発の映像と同時に荷物をまとめて、西へ南へ移動した人が多い

それに反して報道は、後手後手

もっとみる
意識に落とし込む

意識に落とし込む

6年前,タイの洞窟で遭難事故があった。

13人の少年と25歳の青年のサッカーチームの集まりを

洞窟でやっていたところ、大雨による洞窟内の増水で

出られなくなった。

入口から4㎞、山頂からも同じくらい距離のあるポイント

掘削は崩れる恐れがあり、吸水作業もさほど効果がなかった。

その救出劇も素晴らしかったのだが、

私は、食べ物も飲み物もなく、排泄はそこらへんで、そして

かなり酸素が薄い

もっとみる
呼吸でブロックを外す

呼吸でブロックを外す

リーダークラスも4回目くらいになったころか、3枚の胎児の写真が目の前に並べられた

みんなで3枚の写真の中から響いたものを1枚選んだ

そして、同じ写真を選んだ者同士で集まり分かれた

結局、2チームになったが、
私は全体がふわふわしている黄色っぽい胎児の写真を選んだ

チーム内で何でその写真を選んだか、意見を出し合った

私は氣で飛ばされているときのイメージの写真だったからと答えた

氣で飛ばさ

もっとみる
加藤俊朗先生の呼吸法

加藤俊朗先生の呼吸法

気功教室を辞める少し前に、図書館で服部みれいさんの日記を借りて読んだ

その本は、みれいさんの日々のやったこと、食べたもの、思ったことなどが短く書かれた日記だった

みれいさんは、雑誌の編集をしていたこともあり、毎日色々なことをし、色んなものを食べていた

その中で、編集部みんなでやっている活動が瞑想、ヨガ、みんなで食事を作って食べる、ベランダ菜園、そして、呼吸法だった。

谷川俊太郎さんの呼吸の

もっとみる
かとう公いち氣功教室

かとう公いち氣功教室

8年前、初めて気功教室に通った

何カ所か行ったが、どれもピンとこなかった

その頃、自分のために時間やお金を使うことに抵抗を感じていた

今はどんどんやりたいことをするが、自分にお金を使うことに罪悪感を感じていた

毎週教室があり、少し高い。どうするか・・

色々みて、結局、かとう公一先生の気功教室に行く事にした

かとう先生のところには、朝から晩まで凄い人数のしかも重い病気の人ばかりが治療に訪

もっとみる
魔女子との出会い

魔女子との出会い

30歳の時、まだ独身で管理職になり施設を立ち上げていた

この仕事が自分のなかでの黒歴史、思い出したくない

いつか書くかもしれないが、寝ずに休まず働いていた

大会社の幹部にプレゼンしたり、論破したり、看護の幹部に半沢直樹並みに直訴したり、上司をリストラしたり・・・

多分、周囲に何だ!あいつ!?と噂されていたと思う

私も、もちろんしたくはなかったが、やれる人がいなくて仕方なくやるしかなかった

もっとみる
のんちゃんの鍼灸

のんちゃんの鍼灸

311の直後、我が家は大阪から沖縄に転勤した

当時は、原発から少しでも離れられるのが安心だった

7年前に沖縄から神奈川に転勤となった

311後より食べ物は西以南のものを食べ、気を使っていた

沖縄からみた関東はどうなってるのか未知の世界だだったが、みんな普通の生活をしていた

転勤後に、関東の人の心の中から原発が風化されてる気がして驚いた。ほとんどの人が、食べ物も水も空気も気にしている様子が

もっとみる