天上の人にならないように

 昨今、コロナウイルスの件もあり、国・国民・企業はもっとこうすればいいのに、という批判や要望を目にすることが増えた。
 もちろん、政治や国民の行動について一切の批判をするなとは思わない。他者による批判によって、自分が取るべき行動が明確になることはある。コロナウイルスによって生じる問題はどれも切迫した命や生活にかかわる問題だし、それらの問題について要望を出すことは極めて重要なことだと考える。
 ただ、机上の空論で他人にダメ出ししてるだけだなぁと感じる意見もないわけではない。

 安全圏から「こうすればいいのに」「あなたはこれができていない」「もっと落ち着いて、完璧な答えを出せばいいのに」と他人を批判・指示・評価するだけの人を、私は「天上の人」と呼んでいる。

 スピリチュアルや霊能、あるいは一部の宗教の世界では、心が穏やかであることが良しとされている。スピリチュアルの世界で言うところの「高次元の世界」というのは穏やかな世界を指す。
 心が穏やかであることはもちろん悪いことではないし、心を穏やかに保つことで解決する問題も沢山ある。イライラや嫉妬、ネガティブな感情に翻弄されているならば、心を穏やかに保つことはストレスを軽減させて冷静な解決策を探し出すことに寄与するだろう。
 だが、「心を穏やかに保てばすべての問題が解決する」というのは明らかに間違いだ。人生の様々な問題を解決するには、実際に泥臭い試行錯誤をする必要がある。

 理論上は「こうすればうまくいくはずだ」と明確に筋が通る計画でも、実際にその計画を実行するとなかなかその通りに行かない、というのは枚挙にいとまがない。寧ろ、人生に計画通りに行くことなど殆どない。誰もが自分の人生を計画通りに運営することができていたら、占い師なんていう商売が成り立つはずがないのだ。
 人生には、どんなに努力してもイレギュラーが発生する。逆に言えば、どんな馬鹿馬鹿しい問題に苛まれている人であろうとも、当人なりに何らかの努力をしているということだ。
 私は、「天上の人」というのは、そのことを忘れている、あるいは知らない人だと考える。各人がそれぞれの課題に向かって努力する中で、問題が発生したり思うようにいかなかったり、イライラしてしまうことは仕方がないことだ。寧ろそれは、各人が問題に向き合っている証拠であるとすら言えるだろう。
 そのような他人の努力を認めないから「ああすればいいのに」「こうすればいいのに」「もっと心を穏やかに保てばいいのに」などと言えるのだ。

 これはとあるスピリチュアル関係の人の悪口なのだけれど、
 私が一生懸命、ああするべきか、こうするべきかと悩んでいたところに「それはエゴよ。心を穏やかに保ちなさい」と突き放すように言われて、普通にムカついた。
 あなたは天上の穏やかで美しい世界で下界を見下ろしているのかもしれないけれど、私は下界で必死に試行錯誤してもがいているのだ。
 私はこうはなるまいと思いながら、じゃあ占い師としてどうしていけばいいのか。

 まずは方法論として、
私は、「どうしてそのような思考に至って、どうしてそのようなイレギュラーが起こったのか」を遡ってお客様に共感しながら、「こういう選択肢もあるんじゃない?」「こういう考え方もあるんじゃない?」と提示していくことが大切だと考える。
 いわゆる「寄り添い」というやつだと思う。それができないと、呑み込めるものも呑み込めなくなる。改めてそういう伝え方を磨いていく必要があるなと思ったのが、一点。

 それから、生き方の問題として、
 常に何らかの分野について、精進する必要があるように思う。
 もっと言うならば、常に何らかの分野について、挑戦して責任を負う必要がある。
 先述の通り、責任を負って試行錯誤するということはイレギュラーに遭遇して失敗を経験するということだ。
 それをしなければ、「人間は誰だって何らかの問題に立ち向かっている」ということを肌身で理解することができない。それを肌身で理解することができなければ、何らかの問題に立ち向かっている人間に敬意を持って接することはできない。
 日常を必死に生きて、その中でどうしても解決できない問題があって頼ってくださっているお客様に対して敬意を持つことができないというのは、占い師として致命的な欠陥だろう。
 だから、他でもない占い師こそが、人生において自ら率先して責任を取って様々な問題に立ち向かわなければいけない。立ち向かうということがどんなに泥臭くて、めんどくさくて、心をかき乱されることなのかをしっかり理解しなければいけない。

 天上の世界から地上を見下ろしている間は心穏やかでいられるだろうし、もちろんそのような観点は人生の中で必要なものだ。
 けれど、私たちが生きているのは雲の上ではなく、大地の上なのだ。そこには様々な問題もあるし、穢れもある。
 それでも、私たちは問題や穢れの中で生きていかなければならないのだ。潔癖症でいるだけでは何も解決しない。

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