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【無】次の本に向けて

諸事情があって書くのを延ばしている次の本。
そろそろ書き出していい時期になって来た気がします。

まだエンジンがかかる感じではないけれど、そろそろという予感。

頭の中は結構整理がついた感じです。
今に繋がるところまで話ができると思います。
で、今に繋がるから、今書けないという状態です。
その状況がそろそろ変わるかもしれないということだろうと思います。

佐賀の鹿島、茨城の鹿島、千葉の香取、鹿児島の鹿屋はいずれも「カ」で始まりますが、この「カ」はウバイドの言葉で「大きな集団」を意味し、その集団とは倭人のことを指します。
タカスのことではありません。

ただし、鹿屋には南方のポリネシアからタカスが入っているので、鹿屋には高須という地名も残っています。
とはいえ、鹿屋の上層はタカスではなくウバイドです。
ウバイドと倭人とタカスが存在したのが鹿屋ということになります。

鹿屋は大隅半島側で、大隅には大伴氏の後裔の肝付氏が根付きますが、これにも意味があります。
無意味に肝付氏が根付いたわけではありません。
真方衆も関連します。
肥後と鹿屋はこれで繋がります。
インドの王女が朝鮮半島にやってきた古代の逸話がありますが、これはカムフラージュみたいなもので、本筋は鹿屋です。

博多、香取、鹿屋、焼津、若江。
諏訪+茅野。
吉備、讃岐、阿波。
尾張。
糟屋、安曇野。
肥後、鹿島。
井伊谷。
そして、広域丹波。

これらの流れが、現代にまで繋がります。

物部は皇統への血統潜入を図ってはいません。
モノノベも皇統を詐称する野心はありません。
物部上層部もモノノベ上層部も重要な國體構成員です。
なぜそう言えるかは、ここ数か月以内に本にして出せると思います。

イカガシコオは実在した人物。
高倉下も実在した人物。
五十猛も実在した人物。

歴史の謎解きはやはり楽しいです。
実は、こうやって上記のことを書きながら、新たに分かったこともあります。
こういうことも、今まで書くことを制止されていた結果だと思います。
ようやく書く気が湧いてきそうな予感がします(笑)

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