あなたは五戒を誤解している!――『セルフ授戒で仏教徒──五戒・八戒・菩薩戒、インド直伝実践マニュアル』をめくってみると

画像1

いつも内容紹介を目いっぱい書く編集者です。当社HPの書誌情報に内容紹介が長々書いてあったら、わたしが担当した本かもしれません。
毎回目いっぱい書いているのですが、本書にはそれでも書き切れない、仏教好きのツボをつくところがありますので、そこをちょっくらお伝えできればと思います。
表向きのことは本書の長い内容紹介にまとめましたので、そちらをご覧ください。

0.五学処(五戒)の第1「離害生命」をチラ見する

「五戒なんかわざわざ説明する必要ないっしょ。不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒ったら、読んで字のごとくでしょ? 五戒は誤解のしようなんて、ナイナイ。これ以上、なんか言うことあるの?」というご意見が多数を占めると思うのですが、そんな甘い料簡では〈インド直伝仏教徒〉にはなれません。
個人的には「離欲邪行」(いわゆる不邪婬)の内容を知ったのが一番衝撃的体験だったのですが(あらゆる抜け道を考えて、逐一塞いでいる!)、「国書刊行会の品位が下がる(お前なみに)!」と却下されたので、ここでは「離害生命」(いわゆる不殺生)について書かれた部分をご紹介します。

命あるものを殺してはならない。簡単そうですが、その「生命」の範疇って、どこまでなんでしょう?
本書では、説明が一番詳しい唯識派の論書『瑜伽師地論』の翻訳を中心として、五学処(いわゆる五戒)の内容を解説していきます。『瑜伽師地論』では、

唯識派が用いる説一切有部の阿含経の文を引く。
② 一々の単語を註釈する。
③ その註釈を補足する。

という形で説明されますので、本書でもその順に翻訳を掲載しております。
では、阿含経の該当部分の訳文を見てみましょう。

この世で、ある者は、じつに、生命を害する者である。暴虐であり、血塗られた手を持ち、殺すことや屠ることに執着しており、あらゆる有情(“生きもの”)に対し、本物の生類に対し、羞じらいがなく、憐れみのなさに陥っており、果ては羽虫や蟻という生類に至るまで、生命を害することから離れない。

1.植物は有情か?

さてここには「あらゆる有情に対し、本物の生類に対し、……果ては羽虫や蟻という生類に至るまで」とありますが、植物は有情・生類に入るのでしょうか?

「お母さん、今度の週末に庭の草むしりをしないとな。庭のあの樹も大きくなりすぎて手入れが大変だから、切り倒してもらおうか」
「でもお父さん、『あらゆる有情』ってあるんだから、草むしりも樹を切り倒すのも、ダメなんじゃないの?」
「うーん、そんなこと言ったら、家庭菜園の野菜は収穫できないのかなあ……。これじゃ農家はインド直伝仏教徒になれないじゃないか!」

まあまあ、そうおっしゃらずに、ここは本書の「本物の生類に対し」の註釈訳文を見てみましょう。

他ならぬ彼ら(ニルグランタ)は、さらに、次のように言っている。”たとえば樹木などのような外界の諸物(植物)は生類となっているものである”。そのことへの対処として、「本物の生類に対し」と言うのである。

ニルグランタとはジャイナ教徒のことです。ジャイナ教では植物も「有情」とみなします。しかし、仏教では植物を有情とはみなしません。これは現存するいずれの部派の文献でも共通した見解です。仏教にとって植物は「本物の生類」ではないのです。これで仏教徒は安心して草むしりができます。

2.乳酸菌は有情か?――有情の最小限

「よかったわ。じゃあ、お父さん、週末の草むしり、お願いね。」
「お母さん、植木屋さんに庭木伐採の見積、頼んでおいてよ。さて、いつものヤクルトちょうだい」
「あら、乳酸菌って目に見えないけど生きものよね。『果ては羽虫や蟻という生類に至るまで』ってあるけど、乳酸菌は大丈夫かしら?」

本当に心配性な奥様ですね。肉眼で確認でき、布で作った水漉しに引っかかる程度の大きさまでが「有情」です。目に見えない微生物やウイルスなんかは、OKです。見えないものまで気にしてたら、生活が成り立ちませんからね。
でも、出家者のなかには、見えちゃう人もいたんです……。かのシャーリプトラ(舎利弗)は天眼で見えちゃったので、メシが食えなくなりました。本書によると、説一切有部の『十誦律』に対する註釈書『薩婆多毘尼毘婆沙』にはこうあります。

ある時、シャーリプトラは、清浄な天眼によって、空中に〔肉眼では見えない〕虫が、あたかも水辺の砂、あたかも器の中の粟のように、無辺無量にいるのを見た。見てのち、〔虫の生命を害しないために〕食を断った。二、三日たって、仏は命令して食べさせた。およそ、虫まじりの水が規制されるのは、肉眼によって見られるもの〔である虫〕、漉水囊(“水漉し器”)によって捉えられるもの〔である虫〕に限られるにすぎない。天眼によって見られたもの〔である虫〕は規制されない。

こんなのが見えちゃったら、持戒してなくても、シャーリプトラ並みの慈悲心がなくっても、「あんなのやこんなのが、息をしてるだけで体の中に入ってくる~!」となって、気が狂うかもしれません。
さてこれでご安心いただけましたか? カルピスでもヨーグルトでも塩麴でも、どうぞ安心して召し上がってください。抗生物質を飲んでも大丈夫ですので、安心して病気になれます。でも「たまには贅沢して活造りでも」ってのは、アウトですよ。踊り食いはもってのほか。『瑜伽師地論』の補足には「薬で殺すのもダメ」ってあるから、虫下しはダメなのかな?

3.おわりに

いかがでしたか。なかなかかゆいところに手が届くでしょう? ほんの数ページ分をご紹介しただけでこれですから、本書をお読みになると、どんな記述に出くわすことやら。
また本書は表が充実しており、諸学派の説が出典つきで、分かりやすく簡潔にまとめてありますので、使いやすくなっております。索引も充実、調べものにも便利です。
本書を使って、ぜひセルフ授戒に挑戦してみてください。

「課長、今日は布薩日ですから、わたし、正午から明日の日の出まで、何も食べられないんです。お昼休み、1時間早くしてもいいですか?」
「あら、今日はお化粧してないなって思ったら、あなたもなの。わたしもなのよ。いっしょに1時間早く、お昼にしましょうか」

「アニキ、明日は布薩日だから、仕事は休みですね」
「おお、そうだな。インド直伝仏教徒の泥棒稼業ってもの、ツレエもんよ。なんせ、つねに離不与取が受けられねえからな。布薩日ぐれえ、八支全部を受けたもたねえと、仏教徒の名が廃るってもんよ。せっかく、今はなき経量部の優婆塞になったんだからよ!」

ってな日が来るかもしれませんね!

                          文=編集部(今)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?