小倉で暮らした大文豪・森鴎外

みなさんこんにちは!

小倉活性化プロジェクトのKokurallyです!

毎週月曜日に、小倉の歴史・文学・産業に関する記事を公開しています。

今回は、夏目漱石と並び近代文学史を代表する作家、森鷗外と小倉の関係について紹介します!

1.森鷗外ってどんな人?

森鷗外といえば、高校時代に「舞姫」を習ったなぁ、という方も多いのではないでしょうか。

古文のような難解な文章で、読破するのも一苦労…なんて思い出のある方もいるでしょう。

それもその筈、鷗外は1862年(文久2年)生まれ。江戸が終わりを迎えようとするそのさなかに生まれました。同じく国語の教科書でお馴染みの、太宰治や芥川龍之介とは時代が全く違うのです。

1862年に石見国(現島根県)に生まれた鷗外は、1874年に第一大学区医学校予科(現東京大学医学部)に入学します。

この学歴の通り、実は鷗外はものすごい高キャリア。医学部卒業後は陸軍軍医となり、軍医監の最高位である軍医総監まで上り詰めました。

1884年にはドイツ留学も経験します。先述の「舞姫」は、この時の経験を元に書かれたと言われています。

そして小説家と医者以外にも、翻訳、評論などでも活躍し、いずれも高い評価を得ています。本物の天才ですね…。

2.森鷗外と小倉

森鷗外が小倉にやってきたのは1899(明治32)年の6月8日。軍医監として第12師団軍医部長に任命され、3年近くを小倉で過ごしました。

しかし小倉に赴任した当初、鷗外はこれをものすごく不服に思っていました。

なぜかというと、鴎外はそれまで、天皇を守る近衛師団の軍医部長や、軍医学校長として活躍していたから。簡単にいえば、中央のめちゃくちゃ高い地位で仕事をしていたのです。

それなのにいきなり九州地方の小倉へ赴任というのは、事実上の左遷。同じ近衛師団の仲間や、彼を慕っていた部下もこの決定には非常に驚き、ストライキもやりかねない状況でした。

鷗外本人も憤慨し、親友や家族が止めるまで辞職の決心をしていました。

ちなみにこの左遷は、先輩や同窓生からの嫉妬が原因でした。医学界、文学界の両方で名声を得て部下からの信頼も厚かった鷗外を面白く思っていなかったらしいですよ。

小倉赴任直後は不平不満が溜まりに溜まってイライラしていた鷗外は、「隠流」の号を名乗るほどひねくれてしまいましたが、時が経つにつれ上官の信任を得て、公私の友人もでき小倉での生活を楽しめるようになりました。宣教師からフランス語を学んだり、古代インドの文語である梵語や、ロシア語を独学で勉強したりと充実した毎日を送っていたそうです。

鷗外の小倉での生活は、次のようであったといいます。

午前九時に出勤して午後三時に退出すると、洋服をかえてフランス語の教師のところへ教わりに行き、六時に帰って湯に入ってから夕食し、直ちに葉巻一本をくわえて散歩に出る。一本がなくなるまで小倉の町をあちこち歩きまわると、丁度一時間位たっていて家に九時ごろ帰り着く。それからフランス語のノートを清書し、また梵語の勉強を少しやると十時半か十一時になり、直ちに寝るというのである。

これは普段の日のことで、火曜と土曜は、フランス語を習うかわりに、師団長をはじめとする師団の将校のために、クラゼヴィッツの「戦争論」の講義をしに出掛けた。

(福田清人・編、河合靖峯・著『人と作品 森 鷗外』より引用)

もうこのスケジュールからものすごく小倉での生活をエンジョイしていたことが伝わりますね。小倉で生活している間に、二度目の結婚もしています。見合い結婚の時代だったため小倉で知り合った女性ではありませんでしたが、結婚式を東京で挙げた後は、妻を伴いすぐに小倉に帰りました。

鷗外の小倉での私生活の様子は、「鶏」「二人の友」「独身」などの作品からうかがえます。

3.小倉で聖地巡り

小倉には、鷗外が約1年半を過ごした家を復元した森鷗外旧居と、彼の名を冠した鷗外橋があります。

森鷗外旧居は、小倉北区の鍛冶町にあります。もともと高級軍人用の借家で、鷗外は赴任当初の1899年からの1年半をこの地で過ごしました。明治時代の町屋形式をとった家屋で、建築物としても貴重です。

この家は、先述した小説「鶏」の舞台となっており、作中にこの家の間取りが記されています。

鷗外橋は、小倉を南北に流れる紫川に架かかる橋です。鷗外が小倉に赴任していたことに因んで名付けられました。水鳥が羽を広げたような美しい流線型をしていることから、「水鳥橋」とも呼ばれています。

橋の西側には、六角柱の石柱で作られた森鷗外文学碑があります。

また、冬には紫川周辺がイルミネーションで彩られ、鷗外橋も同様に豪華なイルミネーションで飾られます。

森鷗外と小倉の関係、いかがでしたでしょうか?

まだまだ書ききれないくらい、鷗外と小倉のエピソードはたくさんあります。

インターネットや図書館で、または実際にスポットを訪れたり、皆さんも色々な形で鷗外と小倉に触れてみませんか?

小倉が舞台になった鷗外作品を呼んで、小倉の風景を辿る…なんてことも楽しいかも!

あなたも鷗外のように小倉の町をのんびり散歩してみては。新しい発見があるかもしれません。

○参考文献

福田清人、河合靖峯「人と作品 森鷗外」清水書院(1966)

高橋敏夫、田村景子「文豪の家」エクスナレッジ(2013)

高橋敏夫、田村景子「文豪の素顔」エクスナレッジ(2015)

「文豪聖地さんぽ」一迅社(2016)

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