230210金 命日


早朝6時すぎ、お母さんから着信。

来たかと思って、電話を取った。

無言ですぐ切れた。

眠気は飛んで、もしかして寝ながら携帯を触ってしまったのかも、と考えた。

再び着信。

さっきばあちゃんが死んだ、と声を詰まらせて言う。

物心ついた頃から、ばあちゃんとずっと一緒にいた。

中学に入るまで、ずっと2人切りで過ごした。

育ての親。

去年12月に会いに帰った。

年が越せるかどうか、という状態だった。

一月六日に百七歳を迎え、もう一か月も経った。

長生きな人の生命力。

千の風になって、という曲が大好きなので、頭の中で毎朝毎晩ばあちゃんに話しかけて、何回も一緒に聴いている。

ばあちゃん、聞く? と尋ねると、

聞くよ、ええ曲じゃ、と答える。

一か月くらい毎日毎日ばあちゃんと頭の中で会って、一日に何回何回も話すので、そこにいるみたいになった。

千の風になって、の歌詞に、「そこに私は居ません」とある。

何度も聴くうちに、頭の中に、ばあちゃんが住むようになった。

いつでも逢えるようになった。

5時19分に亡くなってから、お風呂に入れてもらったらしい。

九十過ぎで亡くなったばあちゃんの弟が、きのう命日で迎えに来てくれたらしい。

良かったな、ばあちゃん? と聞くと、

ええ、良かったよ、よう来てくれた、と嬉しそうに感謝を言葉にする。

土曜夕方の通夜までに岡山に帰って、日曜午後の葬儀に出てから、大阪に戻ることにした。

ずっと一緒にいられる。

ばあちゃんが段取り良くしてくれるとずっと思っていた。

もうじいちゃんと会ったのかと考えると、まだのような気がする。

葬儀が終わる頃、久しぶりに再会できる気がする。

微笑ましい。

夜、おもろ塾へ向かう道中、享年百七と書かれた前で、早すぎる……と悔しがったらウケそうと思いついて、ニヤニヤしながら歩いた。

ばあちゃん、おもろ。

ばあちゃんの遺伝子が自分の中にあると考えると、元気になって、感謝して、優しく暮らせる。

形のあるばあちゃんをちゃんと見る。

触ったり直接声や曲を聞かせたりしよう。

待っとるか。

待っとるよ。

何でなのか、ずっと悲しくない。



そこに私は居ません

眠ってなんかいません


そこに私は居ません

死んでなんかいません







誰にでも優しゅうせられえよ。


善は急げ🏃‍♀️