230212日 葬儀
6時ごろ目が覚めた。
布団代わりのこたつの中で、きのうの通夜のことをnoteにまとめ、7時すぎにお母さんと一緒にパンをかじる。
普段は朝食を取る暇なんてない。
ホットミルクを出してくれて、いつもは食べんけどきょうは食べとこう、と気合いのようものを呟く。
カーテンを閉め切ったままでも、晴天なのがわかる。
きのうから暖かい日が続いて、ばあちゃん、やるなあ、と思った。
お母さんが数珠を持ってきて、珠の中を覗いてみて、と言う。
小窓に目をやり、朝陽に向けると、卯年生まれ、と書いてある。
やっぱりばあちゃんのじゃ、と言って受け取り、持っていく準備をしていた。
先月の入院費が二十万円を超えていて、お母さんが病院へ相談に行ったらすぐに亡くなった、と教えてくれた。
ばあちゃんらしい決断。
あと何日か生きていたら年金が25万円入ってきたけど、まあええわ、とお母さんは一人で笑っている。
百歳を過ぎた頃、ばあちゃんとイオンモールに行った時、ゲーセンで遊んでいる見知らぬ子に声をかけて、ばあちゃんは千円札をあげていた。
これで遊ばれえ。
施すのが好きなのか、子どもの笑顔が好きなのか。
たぶん、理由なんてない。
可愛いがあ。
10時すぎ、地元で有名な和菓子屋さんに寄って、お茶菓子を買った。
色違いの個包装のものを選んだら、お店のお姉さんが、赤色はやめておきましょうか、と教えてくれた。
葬儀場へ着いて、ばあちゃんの顔を見て、挨拶をした。
おはよう。
形はあるけど、この中にはいない気がする。
きのうは一緒にうちへ帰った。
おはよう、元気か、また千の風になってを聴かせに来たで、と言っているのは、自分でも変な感じがした。
ホールのBGMを消して、棺の上にスマホを置いて、繰り返し大好きな歌を流しておいた。
ええ歌じゃ。
助六を食べたりしていると、通夜に来れなかった親戚も集まってくる。
冠婚葬祭は意外に良いものなのかも知れない。
大阪から家族も到着して、ニヤニヤしている。
みんな嬉しそう。
お母さんも久しぶりの再会に大喜びだった。
ばあちゃんのおかげ。
楽しむに限る。
葬儀が始まった。
お坊さんは読経が上手なお方だった。
気持ち良くなって、ローソクの炎の揺らぎや線香の煙が流れていくのを見つめながら、ばあちゃんがいそうなところを目で追った。
見つからなかった。
そこに私はいません
長いお経が空間にいっぱいに溜まった頃、ばあちゃんも広がった気がした。
司会の女性が、ばあちゃんへの想いを代わりに読み上げてくれた。
誰にでも優しくせられえよが口癖でした、見守ってください、と伝えてくれた。
葉っぱで水を飲ませてから、棺がいっぱいになるまで、みんなの手で花を供えた。
ばあちゃんをたくさん触った。
ばあちゃんが顔だけになって、花と緑でぎゅうぎゅうになって、めちゃくちゃ楽しくなった。
一緒に自撮りした。
2人とも笑っている。
みんなでゆっくりと蓋を載せた後、1人ずつお別れをした。
千の風になって、をずっとかけた。
気がつくと、手首にあった数珠が無くなっていた。
花と一緒にばあちゃんが持って行った。
持って行ってくれて、ありがとう。
出棺で、長男と一緒に、棺を持ち上げる。
とても軽かった。
子供を四人も産み、行年百八を支えた丈夫な身体は、役目を終えた。
去年九月に転んで大腿骨を折って入院してから、半年かけて、心の準備をさせてくれた。
火葬場に入り、また一人ずつお別れを言う。
もうすぐ、形が無くなる。
悲しくなかった。
寂しくもなかった。
そこに私はいません
自分の中に、ばあちゃんはいる。
棺を眺めながらでも、ばあちゃんの顔は視えるし、ばあちゃんのしわくちゃな手の感触もあるし、声も歌声も、今は心にしっかり残っている。
喪主が点火スイッチを押して、みんなでホールに一旦戻った。
火葬場を出る時、親戚のおじさんが、ガスではなく電気だと教えてくれた。へえ〜
荷物の片付けをしたり、買ってきたお茶菓子を食べたりしてから、お母さんに言って、ばあちゃんが使っていた卯年生まれの数珠を譲り受けた。
ばあちゃんと交換。
人生の最強装備を入れた。
ばあちゃんの手に合った大きさなので、手首にはめても落とす心配がない。
1時間半ほどして、お骨を拾いに行った。
ホカホカの土台には、ばあちゃんの形は無くなっていた。
マジックみたいだなと思った。
足の指、かかと等、骨の説明にみんな興味津々で、かけらが全て愛おしかった。
大腿骨を支えた鉄の棒さえも、何事もなかったように鋼色のまま立派に残っていて、何だか感謝の気持ちが湧いた。
斎場の外に出ると、司会もいない。
お母さんが感謝を述べ始めた。
補聴器を着けた左側からそっと耳打ちして、喪主の長男へバトンタッチさせた。
上手く言った。
そして、解散。
骨壷を抱えて車まで向かうお母さんのことが心配で心配で、こけたらえらいことじゃ、と笑い飛ばすお母さんに途中で耐えきれず、もう俺が持っていくわ、とばあちゃんを代わりに抱いた。
一緒に歩いた時くらい、ゆっくりゆっくりと、狭い歩幅で進んだ。
ドライブが好きだったばあちゃんを車に乗せてから、参列者の車を何台も見送った。
日が暮れて、寒くなってきた。
車に乗り込み、大阪へと出発する。
車の外で、最後の別れの涙を見た。
車の中で、賑やかな夕食が始まった。
そして、みんな眠った。
高速道路であれこれと一人で考え事をした。
聞きたくない声が頭の中で膨らんだ頃、急に家族が起きて、車のスピーカーから、千の風になって、が小さな音で流れ始めた。
家族に尋ねても、誰もスマホを触っていなかった。
音を大きくして、考え事はやめた。
ばあちゃんは、まだしばらくはこの世にいるので、何度か会いに来てくれると思う。
千の風になって
善は急げ🏃♀️