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「共通テスト「国語」における記述問題導入中止を求める緊急声明」コメント集(3)

 2019年11月28日(木)~12月5日(木)に行った署名活動には、署名とあわせて、800通を超えるコメントが寄せられました。いずれのコメントも、この問題への深い理解と教育に対する真摯な問題意識に貫かれたもので、「発起人だけで共有するのはもったいない」と感じるものばかりでした。ごく一部ではありますが、代表的なものを抜粋し、ご紹介いたします。

 個人情報が特定されないよう配慮したつもりですが、コメントの削除を希望される方は、発起人会メールアドレスまでご連絡ください。 

 (3)は、この間の「教育改革」や、教育政策の決定プロセス、公教育の民営化に関するコメントをまとめてみました。教育とはどうあるべきか、「読解力」「表現力」とはどのようなものか――。見識ある見解が多く寄せられています。

ともかくも民間業者を導入すればよく、面倒な問題は後回し、受験生の事情などどうでも良いという、文科省の対応はそのように見えてしまいます。
無理なことを強行するな。将来、この世はどうなるか心配だ。若い世代の教育は、大切だ。力技は無意味だ。
記述式にも反対だが、民間に大学入試ビジネスを託す政策そのものに反対します。入試問題の質と採点評価の平等性が担保されず、大学教員がそこに携われなくなったら、研究者・教育者の自治が独法化以上に崩壊することを強く危惧するからです。
なぜ変える必要があるのか、納得のいく説明なしに変えていこうとしたいとしか思えない。
説明してます、わからないのは知力がたりないからだ、なんてバカの台詞です。わかるように説明するのが『できる人』なんじゃないでしょうか。それとも、それができない『できない人』の自分たちが受けた教育・入試だから変えましょう、ということなんでしょうか?
センター試験は規模と形式と信頼性において卓越した試験であるけれど、その内容が手放しで最良のものとして絶賛されているわけではない。その上でセンター試験は現存の選択肢においての最適解で、それを超える試験でないのに新制度を導入する意味が、理念上も財政上もありえない。
大学入試は実に多くの学生の人生がかかっている重大なイベントです。何よりも信頼と平等が担保されなければなりません。また、高校生に求める〈学力〉の方向性を左右してしまう以上、一度立ち止まって検討し直す必要があるのではないでしょうか。
「自己採点力」なるものが必要だそうですが、思考力・判断力・表現力が檻に閉じ込められるだけです。また、学力中下位層は質問の意味を読み取る力が弱いので、これだけきつく条件を縛られてしまうと上手く解答できないのではという気がします。上位層の力が不当に低く評価される恐れだけではなく、中下位層がどうにか言葉を絞り出そうとしても条件と上手く合致せず、部分点ももらえなくなるという事態が発生するのではという懸念もあります。自己採点力をつけるために教育をするのではありません。国語教育の目的は日本語の運用能力を高めることです。それを評価するのが入試です。おかしなキャッチフレーズに踊らされて教育そのものが歪められることがないよう、共通テストには断固反対します。
教育は国家百年の計でしょう。熟考願います。
英語民間試験、国数記述、及び主体性評価の三点は、日本の中等教育の土台を破壊する政策です。阻止に賛同いたします。
国語科の教員を目指す者として署名致します。
現場をみて、生徒を見て、なんでも構築しないと、的外れなことしか、できません。
ことば・文学・教育を蔑ろにした蛮行の極みだと思っています。断固反対します。
日本文学研究者として、すべての分野において重要な文学軽視は知性の劣化を招来します。その加速度は目に余ります。入試の国語にはいろいろ問題があります。「読み」は多様であっていいのに、出題、正答は考慮すべきでしょう。
当事者とされた経験から言わねばならぬ問題と考えています。
地方住みにとって、この十年あまり続いている教育の「改革」とやらは、子ども達の将来に大きな影を落としています。教育機会の公平性確保の観点からも、現時点での記述式導入はまったく受け入れられません。
読む力・書く力、いわゆる国語力の低下は、教育界に身を置かなくとも、実感することがあります。国語力の向上は、質の高い労働力の確保にもつながるため、喫緊の課題と言われていることも理解できます。ですが、共通テストに記述問題を導入すれば、学生の読み・書き・考える力が向上するとするのは、あまりに短絡的であるように思われます。もっと伸びやかに、文学を楽しむ場を作り出してこその、読む力・書く力・考える力の向上だと考えています。その上、採点に公平性が担保されない現状で、記述問題を導入するのは、受験生に不安と不利益を与えるだけであるように思われます。よって、共通テスト「国語」における記述問題導入の中止に賛同します。
高校教育の改良は、性急な大学入試方法の変更によって達成されるものではありません。見直しを求めます。
理念のために生徒の人生を犠牲にしてもよいと考える方は教育に携わるべきではありません。
教育は国力です。経済に引き摺られて本質を後回しにする人材がトップに立たないよう、真面目に議論をお願いしたいです。
「記述が必要なこと」「50万人の選抜テストに必要なこと」がごちゃごちゃに議論されていることに悪意と危機感を感じます。まぜるな危険です。
すでに推薦、AO,一般選抜と3種類の間口が用意されています。制度破壊のため検証なき実験に我が子を差し出すことはお断りいたします。学生の受験制度をいじくりトリクリダウン効果を期待するのではなく、人口ボリュームの大きい成人・高齢者・社会人(有権者、納税者)へのリカレント教育に注力してほしいと思います。人権意識改革、IT技術の更新、環境問題への知と実行力の集結など、学生よりイノベーションの即戦力として貢献でき役に立つでしょう。署名活動、ありがとうございます。強く賛同いたします。
少なくとも、いまの国の国語教育に対する取り組み方、共通テストの在り方には、反対の立場を取ります。何かを変えたいと思うこと、そのために試行錯誤することは大切なことと思います。したがって共通テストをめぐる動向にも、全面的な否定ではなく、一定の理解はもっているつもりです。
しかし、たった数行の文章の解釈の違いで揉めたり、ちょっとした答弁でも正しく受け応えができないことを経験している方々にとっては、いまのこの事柄に対する準備がどれだけ散漫なものか、身をもって分かっているでしょう。日本語の難しさも、それによって書かれた解答を精緻に、共通の価値基準のもと解釈することの、どれだけ難しいことか。
繰り返しにはなりますが、いまのままで強行することには、私は反対の立場を取ります。もっと時間をかけ、周到に準備しなさい。何かを変えたいと本気で思うのなら。
国語は学びの土台石、数学は科学の精髄。教育は百年千年の計。拙速杜撰な思いつき試験で毀損してはならない。
人しか資源がないといわれるこの国で、教育をないがしろにし、あまつさえ食い物にしようとしているとしか思えない、このごろの教育政策に怒りをおぼえます。
本声明に賛同します。
条件を与えず自由にさせてくれる教育を海外で受けてきたもので、こんな制約の多い記述式などあり得ない、信じられない。

 この後も、頂戴したコメントを適宜追加していくつもりです。
 ひきつづき、大学入学共通テストへの記述問題導入「中止」に向け、みなさまと声と知恵とを合わせていきたいと思います。
 

▼本コメントにかんする問い合わせは、下記の発起人会メールアドレスまでお寄せください。
 kokugostop2019[*]protonmail.com →[*]を@に変えてください

               

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