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「共通テスト「国語」における記述問題の導入中止を求める緊急声明」活動の記録(1)

 2019年12月5日(木)「入試改革を考える会」記者会見

 この記者会見で、発起人のひとりである木村のコメントが代読されました。文面は以下の通りです。

                         福井県立大学 木村小夜

 新しい入試制度に対する様々な懸念に対して、萩生田文部科学大臣はこれまで「受験生の不安を解消するよう努めていく」といった内容の答弁を繰り返しています。しかし、先月末の国会では、民間業者の採点体制の致命的な不備、試行テストでの採点の杜撰さ、業者に厳正さを求められないまま迷走する文科省の姿勢ばかりが日々明らかになり、大臣の言葉とは正反対に、受験生の不安は一層募るばかりです。

 生徒や学生の書いた記述答案・レポートの採点は、高校・大学教員にとって日常的な業務の一つです。さらにほとんどの教員は、何らかの形で入試作問・採点業務に携わったことがあり、誰もがこの大規模な入試への記述問題導入の無謀さ、結果の無残さをよくわかっています。今回、声明文に寄せられた多くのコメントには、こうした現場の声が明確に示されています。さらに、幅広く様々な方々から、入試や国語という科目への深い理解に基づいた、記述問題導入への不安、不信、怒りが集まっています。

 このような、教育現場やそこに関心のある人々にとってはあまりにも自明の愚策が、なぜ実施段階にまで至ってしまったのか。決定のプロセスに、本当の意味での専門家はいたのでしょうか。まず、現行のセンター入試にそもそも問題があるのかどうか、なぜ変える必要があるのか、そして、各大学が個別試験で記述問題を多数出題してきたことをどう考えているのか。こうしたことを具体的に説明して頂く必要があります。

 また、仮に今回の記述式を延期して形を変えてみたところで、多少の改善によって、事は全く解決しません。元々、自己採点も採点も無理、さらにそのために記述問題の質を犠牲にするなどという本末転倒が起きる。この入試体制は最初から破綻しています。全てを白紙に戻し、中止すべきです。

 何かを書くということは、一定の分量のまとまった文章を読み込むことと同様、自分の思考過程とじっくり向き合い、言葉と格闘する力を本来必要とします。内容の薄い断片的な文章をつまみ食いする一方で、問いかけ文や条件の方を一生懸命読み取り、ひたすら箍(たが)に押し込むような記述の訓練をする、それが、読み、書くことだ、と若い人達に勘違いさせてしまう、そんな入試を実施してはならない、と考えます。

                              (以上)



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