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短歌・詩 / 書評 / 歌詞の解釈 / 国語教育 / 考えたこと さまざまなことを言葉で紡ぎます。

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短歌 連作「ひかり」

連作「ひかり」 手分けしてずっと探しつづけている 恐竜博の脱出経路 山手線、終日運休のホームに遠い目をして並ぶ人たち 「君の歌い方で歌ってごらん、高らかに」(あれ、僕、どうやって歌ってたっけ) ひかり集めるひかりのスローな動きは 憧憬の街にだけ現れる 女生徒の頬にさしたる日のひかり 志望理由書を清書す ___ 作者コメント 「ひかり」について、複数の角度から描写した。「ひかり」の本質はひとつではないはずだ。 ◯手分けしてずっと探しつづけている 恐竜博の脱出経路

    • エッセイ「夏の到来」

      エッセイ「夏の到来」 ◇  業務には、処理という言葉が似合う。  日々の業務は、処理的にこなされる。  失敗しないように、できるだけメカニカルにこなす。そして、淡々と暮らす。できるだけ目立たず、傷つかないように。  私たちの日常は、そのような(無意識な)ふるまいの連続によって支えられている。文学的でロマンチックに生きていくことは、なかなか難しい。  だからこそ、私はそのように生きる人に、またその運動そのものに、憧憬の眼差しを向ける。 ◇  文学的に生きるということは、傷つ

      • 〈キンモクセイ〉の現象

        赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって なぜか無駄に胸が騒いでしまう帰り道 フジファブリック『赤黄色の金木犀』より ◇ キンモクセイの香りは、私たちに無情に夏の終わりを告げる。マスク越しにでも知覚できる、痛烈な甘い香り。マスクのせいで、微細な香りを感じ取れなくなった2021年の今、キンモクセイは代替不能の存在である。キンモクセイの芳しさにより生じる、手のほどこしようのない、胸がしめつけられるような気持ちは、いっそう切実だ。 ◇ 夏の終わりは、夏好きな私にとって寂

        • 書評 村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』とはどのような物語か

          『ダンス・ダンス・ダンス』は、「喪失感に苛まれていた『僕』が現実世界に自分の居場所を見出す」物語だ。 「僕」は、出会う人間に通過されゆく存在である。入口と出口を有しているが、長時間留まることのできる内部空間を有していない。「僕」を通過していったのは、妻、イワシ、キキ、メイ、五反田君である。皆、「僕」に留まることなく、そこを通り過ぎていった。  本作品の舞台である、新「ドルフィンホテル」は、「僕」と同様、長く留まることを考えて設計されていない場所である。「ホテル」というもの

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        短歌 連作「ひかり」

          詩「ひかり」

          秋。子どもの投げるボールの軌道を、目で追う。 ボールはふんわりと、わたしの投げるそれよりも、いくぶん優しく、郊外の公園を。 やわらかく、淡く、子どものゆびの、小さなくつの、鼓動。 ボールが、小さな手から放たれる、その全て。 そこに見出される、ひかりの、つぶ、かけら。 ただそのとおりを受け取った。つぶの、かけらの、そのひかり。 赤らんだほお、風にそよぐ髪、そうしたたしかさ。 きりのない、例示。 ひとりの子どもの、その、いのち。 それをとらえるわたしは、その子の、ひかりのす

          詩「ひかり」

          歌詞解釈 「擬態/ Mr.Children」

           『擬態』には、「思い描いた自分にはなれてはいないが、必死に努力をして日々を生きる「自分」の姿」が描かれている。  まず、手掛かりとして、1番サビ部における「自分」と、2番のAメロ部における「相棒」を対比して考えたい。  ここに登場する「相棒」とは何(誰)をさすのだろうか。 「相棒」とは具体例な人物を指し示してはいない。 仮に、具体的な人物であるとするならば、「相棒」を「うらやましい」と考える態度は、Cメロ部「富を得た〜何かに擬態したものばかり」と矛盾をきたす。なぜなら、

          歌詞解釈 「擬態/ Mr.Children」

          短歌 一首評 穂村弘「夜明け前誰も守らぬ信号が海の手前で瞬いている」

          夜明け前 誰も守らぬ信号が海の手前で瞬いている (穂村弘『手紙魔まみ夏の引越し(ウサギ連れ)』より) ___  本来、信号というものは、規則、規範を示すメカニカルで無機質な存在であり、人間と対をなす存在だ。しかし、ここに登場する信号は、そのようなイメージに固定して読み取ってはならない。  この信号は、海の手前にあり、それを誰も守っていない。ということは、存在そのもののが意味をなしていない、ということである。日中は役に立っているのかもしれないが、夜明け前には、無意味な存在

          短歌 一首評 穂村弘「夜明け前誰も守らぬ信号が海の手前で瞬いている」

          短歌 連作「線」

          連作「線」 朝食の目玉焼きを切り分ける王妃のナイフの鈍きひかり 神宮のスケートリンクの滑走の軌跡は幾何学模様となって 『雪国』の冒頭文に傍線を引きたる君の、その横顔の コート上、"falut"のジャッジ ー 客席の静寂を理解せし少年の目よ 通い慣れた校舎向こうの秋夕焼 約束の数だけが増えゆく 海沿いの帰還困難区域は夜更け 隣で寝息を立てるわが子を __ 作者コメント ◯朝食の目玉焼きを切り分ける王妃のナイフの鈍きひかり 切り分けるという行為は、線を引くとい

          短歌 連作「線」

          歌詞解釈 「群青日和 / 東京事変」

          https://m.youtube.com/watch?v=gD2mhJ3ByGQ  「群青日和」は、言わずと知れた東京事変のデビュー曲だ。訴求力のある歌詞ではあるが、難解であるのも事実だ。Aメロ部「今日が青く冷えていく東京」と最終部「青く燃えていく東京の日」という対比表現が気になり、歌詞の解釈を行った。  冒頭部から考えるのではなく、サビ部およびCメロ部の解釈から考え、前半から解釈した。 本曲において、サビ部やCメロ部はメロディーに高揚感があるため、他の部分と比較し、主

          歌詞解釈 「群青日和 / 東京事変」