「君と夏が、鉄塔の上」を読んで

私の生家の隣には鉄塔が建っている。気付いた時にはその場所に佇んでいて、風景の一部としてすっかり溶け込んでしまっていた。ちなみに私は生家に住み続けている。つまり、人生の半分以上を鉄塔の隣で過ごしていることになる。だからきっと、この本を手に取るのは必然だったのだと、今は思う。

この本は、主人公の伊達成実が、同級生の帆月蒼唯、比奈山優とともに経験した一夏の冒険譚である。鉄塔好きの伊達と、幽霊が見えるという比奈山。「鉄塔にまつわる幽霊の話って知らない?」という帆月の言葉がきっかけで、彼女が知りたがっている「鉄塔の上の子供」について調べていくことになる。

私が一番印象に残っているのは、「街は成長するんだ。生きている。そして、細かな所で死んでいる」という木島の台詞だ。この言葉は作品のどの部分にも生きている。新しい京北線93号鉄塔の陰で、古い93号鉄塔は取り壊されて役目を終え、所謂死を迎える。リバーサイド荒川も、作中では工事が中断になっているものの、街の成長、生の象徴である。それは物も人も同じことだと、作中の文字一つ一つがこちらに語りかけてくるかのように感じられた。
夏の暑い日に祖母に作ってもらった素麺、遊んで怒られたお寺の木陰、山で触れた湧水の冷たさ。そして同級生たちの顔。読み終えた本を閉じて振り返れば、過去に置いてきたものがたくさんあるような気がした。終盤、帆月が言っていた「今は三秒だけど、これが五秒になって、十秒になって、そのうち……思い出さなくなって……」という台詞が心に突き刺さる。忘れたい思い出も、忘れたくない思い出も、忙しない日々の生活の中で等しく川へ流され海へ辿り着き、人々の心から消えて亡くなってしまうんだろう。自分がどう思っていようと、相手がどう思っていようと、お構いなしに。
それでも、伊達はきっと帆月のことも比奈山のことも、そして明比古や椚彦のこともきっと忘れないと思える。帆月との繋がりを鉄塔の連なりで教えたように、94号鉄塔のある公園が、93号鉄塔が皆の記憶を繋いでくれる。そんな希望を、信濃変電所への道を伝える伊達の言葉から感じ取ることができた。

私の家の隣には鉄塔が建っている。どこに行くにも、空に聳え立つ鉄塔が目に入る。私の中で、鉄塔の無い風景はもう死んでしまって思い出すことはできない。けれど、伊達が建て替え前の93号鉄塔の最期を写真に残したように、私は自分の命が亡くなるその時まで、側に建つ鉄塔と空の風景を覚えていたいと思う。