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KokugoNote 番外編      終業式を迎えて

ご無沙汰していましたが、あれこれ書きものは続けていて、後日、少しずつ転載しようと思っています。

クラスの子とのお別れに、こういうメッセージを贈りました。

教室でバタバタしながら伝えた言葉を改めて書き起こして、Google classroomに載せたのです。
大したことを書いているわけではないのですが、16歳の子たちの悩んでいることのひとつ、人間関係について、次年度の4月に編成される新クラスの時のストレスを少しでも緩和でこればよいなあという思いで、書きました。

少し長いです。

皆さんへ

新型コロナ禍から始まり、入学式も経ないまま、いつの間にか始まり、ドタバタで教室移転を繰り返し、最終的に 程よい環境に落ち着いた終業式になりましたね。
本当に皆さんはよく努力したのです。偉いなあと思いました。

自分がもし今、高1だったら、学校を続けられただろうかと考えると、正直、微妙だなあと振り返って思いました。 部活動も大会や練習時間が縮小されたり、練習試合がダメになったり、学校行事もできるかどうかが曖昧になっ たり、何の因果か奈良まで遠足に行くことになったりして、てんやわんやでした。

けれども、先生たちは先生なりに、 とても不恰好なことですが、何とかうちの学校に来て良かったなあと思ってもらえるようにしようと努力したのです、 たぶん。

皆さんもこういうギクシャクした足取りで、くねくね曲がった道を歩むときがやってきます。面倒だなあ、嫌だ なあと困りながらも進んでいくものなのです。(先生も若い時、30 歳前後の頃はそうでした)

今日、教室の白板に書きましたが、「ダメ出しするのは簡単、褒ほめる点を見つけてこそ上級者!」なのです。

皆さんがこれから出会う人たち(年齢や性別、職業、国籍、宗教の別を問わず)に対して、きっと愚痴や不満をこぼして しまうことがあるかと思いませんが、そういう時は「いかんいかん、初心者レベルで満足してしまった!!」とひとり猛 反省会を開催し、気持ちをリセットして、「良いところを発見してやろう!」 という意気込みに切り替えないといけません。

そして、とても高い位置から「ふふふっ、彼らを育ててやろう!これは天の与えしミッション(使命)だ!」という少し厨二病的な気持ちが大切です。そのハードルが高ければ高いほど、自分のレベルが上がると思って、挑 んでいく気持ちでやっていくと良いです。

けれども、人間は感情の生き物なので、合う合わないということもあるかと思います。

白板に書いたことですが、「誰にでも親切に、気の合う人とは仲良しに、合わない人とはそれなりに。」ということを心がけてください。
何かのご縁があって同じ場所に集まったのだから、困っている人に親切にするのは人として当然です。
趣味や関心ごとが合えば仲良くなるのには時間はかかりません。

重要なのは「合わない人とどうやっていくか」です。これは例えを上げましたね。クラスは電車の車両と同じで、向かっている方向が同じであるだけで「その列車の車両の人全員と仲 良くなる」のは現実的ではないのです。電車の中で、音楽を聴いたり、車窓を楽しんだり、友だちと話をしたり、本を読んだり、ゲームをしたりするのは、何も問題ありません。
皆と仲良くなれれば良いですが、そうならなかったとして も、それは自然なことです。
合わない人がいても無理に関わらなくて良いのです。お互いに気分を害さない生活が できれば、問題ありません。

平和に過ごすためには、距離を空ければ良い。誰かのことに構っているほど、人生を無 駄にしている時間はありません。

文豪の三島由紀夫はこう言っています。「誰かのアラを探しているときは、醜い自分の姿を見ないで済む。」と。

だから、文句を言いたくなっているときは、気をつけてください。きっと距離が近すぎるの です。そういう言葉を吐かなくて済むくらい、遠ざかりましょう。新鮮な空気を吸いにいくことが肝心です。

最後にあれこれ伝えましたが、メッセージはきっと半分くらいの人にしか基本的に理解されないものと割り切ることが 大切です。これが最後のメッセージです。

春季読書オススメ本でも紹介しましたが、「すとんと腑に落ちる」瞬間が 来るのはタイミングが重要です。

1回でピシャリと届く場合もあれば、10回伝えてもダメでも11回目で届いたりす る場合もあります。けれども、100回、200回と、必要なメッセージは皆さんに届ける予定です。

子どもを育てるというのはそういうもので、学校の先生だろうが、親だろうが、近所の人であろうが、通りすがりの人であろうが、関係ありません。
「同じことを何度も言わせるな」と未熟な大人はそういう弱音を吐きますが、そういう人については「あんただって一度で何もかも理解できた訳ではないだろう」と心の中で思っておけば良いです。(口に出したら揉めそうなので止めておきましょう)

― 誰だって、失敗する権利があります。ありとあらゆる「敗北者」にはもういっかい人生を やってみる「権利」があるのです。 ―

ジェームズ・フィッツロイ(2021)『ガメ・オベールの日本語練習帳』青土社 61 頁

赤点取ってもいいじゃん、単位を落としてもいいじゃん、部活を辞めてもいいじゃん、課金で失敗してもいいじゃん と自堕落な方向へ向かいつつも、心のどこかでは本当にこのままで良いのだろうかという問いが、つきまとうもの です。

親や先生、コーチ、親友からの期待を無意識のうちに感じてジレンマに陥って、それが不安や恐れとなり、体 の不調となることはよくあるのです。
そういう時は上の言葉を思い出してください。何度でもやり直せば良いのです。
生きている限りは何度でも立ち上がれます。
人生のうちに何度か起きる大きな失敗が、最初に来たからといって、それがいったい何だと言うのでしょうか?

高校以降は、それぞれが自分の生き方を見定め、自分の目標を持ってそれに向かって具体的に動き出すものです。

隣の席に座っている人と同じ進路・人生を歩む訳ではなく、大学へ進んだとしても同じ会社に勤める訳でもなく、フリーランスで活躍する人もいれば、卒業後、世界を放浪してから就職する人もいるのです。(海外、特に欧米では 高校卒業してから世界放浪したり、働いてお金を貯めたりしてから大学へ入学するのは通例なので、20 歳を超え てから大学生になるのがほとんどです)

だから、何も焦らなくても良いのです。皆は人生 100 年の世代です。そのうちの16 年しか生きていません。学校へ通うのも人生の1/5程度です。そうであるからこそ、また学び直したいな あと思ったときの基礎を今のうちに作っておくことが必要なのです。

先生は35歳で大学院へ通いました。学校の先生を13年勤めてから、もっと知りたいことが出てきて、そのためのスキルや知識、経験を身につけるには、独学では難しく、外部で活躍している人たちと繋つながる必要性が出てき たからです。

さらに子育てのために育児休暇を7ヶ月、取得しました。子どもの成長していく様子を間近に見て、「育つとはどういうことか」を知るためです。男性で長期の育児休暇を取ったのはうちの学校で、先生が初めてだったそうです。

これは個々の家庭事情によるので、何が偉いとかダメだとかいう話ではありません。けれども、体験しないと解らないことは、皆さんが思っている以上に、そして先生が想定している以上に多いものですし、新しいことに挑戦しないと自分の世界は広がらないものなのです。

もし皆さんがまだ夢や目標を見つけられていないのだとすれば、やることはひとつしかありません。

新しいことに挑戦すること、例えば、知らない駅で降りたり、触ったこともなかった楽器を演奏をしてみたり、今まで興味のなかったことに手を出してみたりすることです。

「行ってみたけれども面白くなかった。やってみたけれども、つまらなかった。」そういう経験値を積み重ねて、なお、その中で楽しむにはどうしたら良いのだろう?と知恵を絞ることで、成長ができるのです。

同じように、新しく挑戦する友だちを見つけなさい。そうして、一緒に多くの壁を乗り越えなさい。卒業式で、さらに成長した姿を見られる のを楽しみにしています。

ご縁があれば、また会いましょう。

2021年3月18日 よく晴れた午後に

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