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KokugoNote #6 高2現代文・国語表現

今日のおさらい   20200114

※この日は評論文とはどういうものか、1年クラスでも説明したので、重複しているところが多々ありますが、少し表現変えて伝えてみようと思います。

さて今日は評論文の読み方を確認しました。
評論文というものは、筆者が何かを評価して論述しているものを指します。       評価というのは、皆さんにとっては、値踏みするもの、価値を認めるものという印象が強いかと思われますが、もう少し補足が必要です。筆者の価値観による見解で、その何かの良し悪しを識別して、それで終わりというものでもないのです。根拠や事例を持って、その評価の妥当性を担保(たんぽ)して、この文章を読む人たちに納得してもらう必要があるからです。良いと見做(みな)したものをさらにどのように応用できるか、ダメだと見做したものをどのように改善していくのか、その提言が必要になります。              身の回りの人たちで考えてもらっても、ダメ出ししかしない人の意見に耳を傾ける人はいないですよね?物事の両面をちゃんと見て判断できているか、そのことが評論文を読む上でもとても大切なことなのです。

高校生が目にする文章の多くは、改善すべき何かは社会の様々な出来事です。狭い学校空間から広い社会へと、俯瞰(ふかん)的に眺められるようになるには、やはりそのような上空から全体を見渡すことのできる鳥の目を持つ人の文章に触れることが何よりも大切なことだからです。

「現代社会でどのような課題があるのか?」と「それに対する筆者の評価はどういうものか?」という、ひとつのQuestionとひとつのAnswerで成り立つのが、評論文だと理解しておきましょう。

さて、今回取り扱う文章、見田宗介氏の「幸福について」というタイトルですが、まずは
筆者は幸福について考えるきっかけがあったのだろう、と受け取るのが自然です。何かの不幸に見舞われたのか、幸福であることに恐れをなしたのか、あれこれ推測したくなりますが、主題が「幸福とはどういうものか?」ということを押さえておく必要があります。どのようなタイトルであろうが、まずは、What?をぶつけてみるのが基本です。

まず冒頭を読み進めていくと、とあるデザイン学校のアンケート結果(あなたは今、幸福か?どのくらい満たされているのか?という問い)が出ていましたね。その結果に筆者は違和感があったことから始まります。「まぁ幸福だ」と感じるグループは殆(ほとん)ど不満がなかったのに、「幸福度100%」の人たちは明確な不満を抱えていた、という不思議な現象です。筆者はここに、一体何故(なぜ)なのだろう??と疑問を持つ訳です。これが、問題意識だというのは、皆さんも解ってもらえるでしょう。

常識的には、100%満たされているなら不満などないはずではないのか??なぜ不満を持っているのか??それなら幸せではないのではないのか??という疑問です。

※皆さんも、この「違和感」というものを大切に守り続けなくてはいけません。何かおかしいなと思ったら、それについて、とことん考えてみることです。それをしなくなると、だんだん感覚が麻痺してしまって、おかしなことをそのまま思考停止状態で受け入れてしまいます。「そういうものだ」という押し付けで慣れていくと、主体性を失う大人になっていきます。自分の感性は自分で守ってくださいね。

※ちなみに、2018年に実施された内閣府の調査結果『子ども・若者白書』でも、韓国・アメリカ・イギリス・スウェーデン・ドイツ・フランスと比較しても、日本の若者の自己肯定感はひどく低かったのです。
https://s.resemom.jp/article/2019/06/19/51090.html


話を戻しますね。                                 筆者の疑問に対する回答は、幸福という観念を捉え直そうというものでした。それは最終段落を読めば解ります。要は、一般的に想定されている「幸福になること」という目標が大切なのではなく、「幸福について」どれだけ豊かで深いイメージを思い描けるかであり、その場所を目指している活動の中にこそ幸福は宿っているのだ、というものでした。
これがAnswerですね。


けれども、このAnswerはどうもピンと来ないのではないですか?
「豊かで深いイメージ」とは例えば、どのようなもの??皆さんは解りますか?
先生はよくイメージできません。
「九条ネギの乗った、チャーシューの山盛りの、バリカタのラーメン」は、豊かで深いイメージですか?冬の寒空の下で、赤提灯のともる屋台で、彼女や彼氏と食べるラーメンだったら?親友と些細な行き違いでこじれたけれども、仲直りできた後のラーメンだったら?いったい、どういう状況なら、そのイメージは幸福なものだと言えるのか、をあれこれ考えてみることが必要なのかもしれません。


皆さんも、お金とか、友だちとか、愛情とか、バイクとか、一般的な単語でパッと解決させるのではなくて、もっともっと細かく想像力を働かせてみてください。明日はそういう授業にしたいと考えています。


※補足。
先生の幸福感は、不安や悩みを持たないことで成り立っています。不安や悩みというのは、まだ実現していない未来のことや、どうにも動かしようがない過去のことに振り回されるために、生じます。なので、
「先のことは解らないから今できることを一生懸命考えて行動しよう」
「過去は変えられないから変えられる未来に向けて今、行動しよう」と割り切ってしまえば良いのです。また、周りの人の人生と自分の人生は違っているのだから、何か言われたとしても、「それはあなたの問題で私の問題ではないから心配ご無用!」と割り切ってしまうと良いのです。こういう風に先生はバッサバッサと割り切ってしまいますが、弱い立場にある人を助ける方針は揺るぎません。強くなったら放ったらかしにします。来る者拒まず、去る者追わず、です。周りの人をある程度、信頼していることもありますが、期待をしている訳ではありません。こうしてくれたらいいなあと思うことはないので、基本的に不満を感じることが少ないのです。自分でやればいいだけだと思うからです。そういう考えをベースにすると、誰かが手伝ってくれたら「ありがとう」をすぐに言えるようになります。
(俺がやろうと思っていたのに余計なことするなよと考えてしまう人は、まだまだ若造ですね。周りの人たちを育ててやろうという器量がないからです。自分ひとりで強くなってもダメで、皆でハッピーになる方法を考えるのが、大人の考えなのです。)

話し始めたらまだまだ続いてしまうので、また授業で質問することを心がけてください。

では、また!

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