KokugoNote #11 高1国語総合

閑話休題(かんわきゅうだい) 20200122

高2現代文・国語表現のエントリを#偶数にしているので、ちょっと足踏みをします。この時もまだグループワークの最中なので、それぞれの活動を見守ることで、終わってしまいました。

さて、今回は授業で話をしなかったことをここに書こうと思います。

グループワークというのは、実際にはなかなか難しいものです。ある程度、気の合う仲間で集まったからと言って、集中して取り組めるかというと、そうでもないからです。

仲が良いからお互いに甘えて、「お前がやれよ」、「いや、ここはお前の腕の見せ所だ」、「いやいや、俺はこれは苦手だから、あれをやるから」、「そんな簡単なことばっかり、せこいぞ!」みたいな馴れ合いが続いてしまうものです。

これは子どもだからという訳でなく、大人でもよくあることで、要は、責任を取りたくないのです。自分はなるべく無理をせずにしたいことだけをしたい、そのことで誰かの負担が大きくなったとしても、それはうまく立ち回ることができなかった人の不運というものだから仕方がないのだと、自己中心的な理屈を振り回す人が少なからずいます。

別に某国の大統領の悪口を言っているわけではないのですが、こういうことは皆も目にすることはありませんか?電車の中で老人や妊婦さんに席を譲らない人たち、道端でゴミやタバコの吸殻をポイ捨てする人たち、道いっぱいに広がって歩く人たちなど、それ以外にも多々見られる事象です。

犯罪ではないから大丈夫?自分がしなくても誰かがしてくれるからそれでいい?     他のことで頑張って役に立つようにするから見逃して?小さなことじゃないか?

よく心得ておくことです。

人生は自分が巻いた種から育ったものを、自ら収穫しなくてはならない時期が必ず来ます。これは自然の摂理で、誰しもが体験することです。

自分勝手という種を巻いた人は、他の人から自分勝手な振る舞いをされる結果を受け取ります。他人の心を傷つけるという種を撒いたら、同じように傷付けられる結果になるでしょう。ニンジンの種を撒いたらニンジンが、ダイコンの種を撒いたらダイコンが収穫できるように、自分勝手な振る舞いに、それを支えてくれる人たちが現れることがないし、人の心を傷つけたら、それを許してくれる人たちが迎えてくれることはありません。怒りの種を撒いたら怒りが、悲しみの種を撒いたら悲しみが訪れるのです。

グループワークの時にあなたが撒いたのは、怠惰の種ですか?責任転嫁の種ですか?依存の種ですか?それとも、協力の種ですか?信頼の種?笑顔の種でしょうか?

社会は誰かとの協力関係によって成り立っています。学校もそうだし、クラスも部活動もそうです。自分の果たすべき役割をきちんとこなしてください。不機嫌にではなく、皆が楽しめるように、です。正直に、誠実に、気持ちをちゃんと伝えて、自分ができること、助けてほしいこと、一緒にたどり着きたい目標地点のことなど、を話し合ってください。

いつまでも子どもではいられないのです。傷つかずには大人になれませんが、それでも強くなってほしいと思います。先生たちは皆さんがその試練を経ていく時に支えるために側にいるので、いつでも質問してくださいね。

では!





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