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KokugoNote #32読書記録

こんにちは!
岡田淳さんの1988年の児童文学作品で『びりっかすの神さま』という小説があります。あまり小説を読まないのですが、ある人が感動したと言うので、買ってみました。結果はとても深い内容で、見事な作品でした。小学校4年生で読んでいたら、もっと違った生き方ができたかもしれないとも思いました。

以下、ネタバレですが、概要をかいつまんでのあらすじなので、実際の作品を読んでみてください。どういう人にオススメなのかというと、競争が好きな人、クラスや学年順位などを気にする人、自分さえ良ければ良いと考えてしまう人、人の話をじっくり聞けない人、勉強が苦手な人などは特におススメです。そうでない人は、先に述べた人の気持ちを理解する上でおススメです。

あらすじ。

1番になるために頑張ることを目指すのではないという主題から、ビリになれば小さな神さまを見られるという設定から物語は始まります。
小さな神さまといっても見た目は冴えない中年男性で翼が生えていて、ふわふわ飛びながら、軽口を叩いたり、冗談を言ったりする神さまです。
彼はビリの子の恥ずかしさや悔しさを糧として元気になります。
主人公の始(はじめ)は転校してきた小学生ですが、なぜか神さまの姿が最初から見えます。
次第にビリになればはっきり見えることが判ったので、テストで頑張って0点を取ったり、給食を一番遅く食べたり、走るのも遅くしたり、努力をします。
神さまを見たいがためにわざと手を抜くことは、努力する人に対する侮辱ではないかという隣の席のみゆきの台詞に、動揺し、考えます。
「皆でビリになろう!」
小さな神さまは誰がビリになるか事前に判るので、神様の見える子どもたちはテレパシーを使いながら、最低点を皆で取ろうとします。
結果的に勉強を心の中で教え合ったりして、皆が満点を取れるようになっていきます。
担任の市田先生は成績順に座席を決めたり、競争を煽って努力させるタイプの人ですが、訳の分からぬ協調にとうとう休職することになります。
クラス内では皆がうまく競争しないで協力し合えるのですが、恒例の徒競走、クラス対抗リレーでは、そうはいきません。
隣クラスに足に障碍を持った子がいたのですが、どうしたら良いのだろうと皆が話し合って悩みます。
なぜビリになろうと思うのかというと、小さな神さまがビリの子のエネルギーで元気になるのを知っているので、どんどん元気がなくなっていくのを目の当たりにしたからです。

この小さな神さまは言います。
「本気で、走れよ」

主人公の始(はじめ)のお父さんは仕事で頑張り過ぎて亡くなったので、お母さんは頑張らなくていいと始に良く言い聞かせていました。
始は気付くのです。
1番になろうとして頑張るのではなく、本気になることが大切なのだと。

勉強でも、部活動でも、プライベートの生活でも何についても言えることですが、誰かの評価や基準に合わせて傷つかないように生きようとすればするほど、自分が本当にしたい生き方から遠ざかってしまうものです。今までも何度も繰り返し言ってきたことですが、自分は何をしたら心から満足するのか、そういう状況をどうやったら作り出せるのか、よく考えてみなくてはいけません。

岡田淳さんの他の作品も読んでみようと思います。それにしても児童文学、恐るべしです。

以前、講談社だったか、世界少年文学全集のキャッチコピーに「早く読まないと大人になっちゃう」というのがありましたが、大人になってから読むのと、子どものうちに読むのとではまるでインパクトが違います。

皆さんも、心がまだ若いうちに読んでみてください。

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