Kokugo_Note 高2現代文B・国語表現 #50


 まとめようと思いつつ、授業で復習ばかりしていたので、先延ばしになってしまっていた。ひと月以上前の内容なので、少し曖昧になっているところもあるが、再度、整理したいと思う。

 今回は、石黒浩さんの『ロボットとは何か〜人の心を映す鏡』講談社現代新書、2009年からの抜粋文章が教材だった。

 構成としては、筆者の問題提起による3つの問い、すなわち、
「ロボットは人間を支配しますか?」、「なぜそのような危険なものを私たちは受け入れてきたのか?」、「高度情報社会にあって、私たちはどれほど相手のことを考えているのか?」から始まる。

「ロボットによる人間の支配」については、主題としては古くからあるもので、SF映画、例えば、スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』1968年 でもそうだが、よくロボットが意志を持ち、人間よりも先んじて行動するという展開があり、当時の人々の危機感を煽るには、充分な効果があった。ゾンビ映画である『バイオハザード』のレッドクイーンなどもその文脈に位置づけられるだろう。
 現実的には、2010年代からの第3次AIブームから、今や身近になったSiriや Alexaなどもあたかも意志を持って対応してくれているように感じることがある。

 石黒さんはロボットに危機感を覚える人は、ロボットの可能性を大きく感じ取れる人だと見做して、「新たな人種のようなもの」「人間の心を映す鏡」だと評価し、この研究は「人間とは何なのか」を知るために行うのだという主張を貫いている。

 今回の授業では、ロボットの研究が、なぜ人間を知ることになるのか?を考えさせることが主眼である。
 それは研究者という存在を理解してもらうためであり、様々な学問領域において、行き着く先は、「私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」「私たちの存在理由は何か?」「私たちの住む世界はどうなっているのか?」など、普遍的な問いに繋がるからである。

 YouTubeにアップされている石黒さんの対談動画などを視聴しながら、研究する姿勢や手法、試行錯誤などを確認してもらった。

 典型的な評論文(例えば、外山滋比古さんや、山崎正和さんの文体)ではないので、大学入試対策には適切だと思わないのだが、何をどのように研究していくのか、を伝えることはできたと思う。

 また、高度情報社会になり、世の中がますます便利になって自己本位の考え方に染まり、相手のことをいったいどれだけ想像して対応しているのか?私たちは目的だけを達成しようとする機械になりつつあるのではないか?情報交換ばかりする部品になってはいまいか?という警鐘は、子どもたちにも届いたようだった。

 商品を購入するとき、外食をしたときに、ありがとうの言葉もなく、お金を投げて渡す人もいたり、返事もなく、黙って眼前から去っていったりする人たちが増えていると聞く。

 幼稚園や小学校では、こんにちは!初めまして!よろしくね!という人と人とが関わる最初の挨拶があるのに、歳を重ねるにつれてどんどん忘れていくのは、この社会では、人間不信が進行している証左なのだろうか?

 笑顔で「こんにちは!」と呼びかけられて、高い壺を買わされそうだと不安になったり、NHKの支払いは済んでいますと答えた方が良いのだろうかと思案したり、冷たく、間に合ってます!と言い放ったりして、ひとりの時間を邪魔しないでくれと考えてしまう世の中の歪さは、社会が人と人の交流の場ではなくなりつつあるのだと思う。
 それを救ってくれるのがロボットなのかは解らないが、ドッグセラピーならぬロボットセラピーが流行するのもそう遠い未来ではないのかもしれない。

 もう一本、上田 篤さんの「通潤橋」『橋と日本人』岩波新書、1984年 を勉強した。日本には様々な工法による橋のカタチがあることを学び、なぜそのような工法に至ったか、歴史的考察が添えられた文章だった。サイフォンの原理も、小学校の理科で学んだことを思い出させて、地理的条件を活かして、重力に抵抗する方法や知恵を学習できた。京都府は木津川の上津屋橋、通称 流れ橋の紹介も行い、上田さんのエッセイを示した。建築に興味のある子は少なからずいるので、進路選択のきっかけになれば良いと思い、短時間のコマ数で扱うことにしたのだった。

第2学期中間考査の範囲はこれでおしまい。

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