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KokugoNote #12 高2現代文・国語表現

今日のおさらい。20200121〜22

1 語句の意味調べ作文のまとめたプリントを配布した。
  良い例文の特徴をよく見て、短文作成の達人になりましょう。
   H田君やN野さん、K音さんは、丁寧な表現を心がけているので、伝達力のあるメッセージを送っています。他の人も良い例文を作成していますが、クリーンヒットを安定して
飛ばせている訳ではありません。心がけることは、一度作ってみてから、もう一度見直して
うまく伝わるかなあ、誤解されないかなあ、ここをつけ足しておいた方が良いかもしれないなあと推敲(すいこう)することです。好きな作家を見つけてその癖を真似するのもひとつですが、文章修行するなら、山田ズーニーさんや飯間浩明さんの著書は参考になると思いますよ。

2 見田宗介「幸福について」内容確認
 2-1 形容詞「おもしろい」(文章中に用いられていた表現)
  筆者の価値観を表しているのが、形容詞です。何を「おもしろい」と思うのかは人それぞれで、箸(はし)が転がるのを見て「おもしろい」と思う人もいれば、ミルクボーイのお笑いが「おもしろい」と感じる人もいるし、サッカー観戦こそが「おもしろい」という人もいます。「おもしろい」にも、ゲラゲラ笑うことの他に、着眼点が鋭いなというものや皮肉で用いる場合もあります。いずれにせよ、「おもしろい」をどういう意味で使っているのか?何を「おもしろい」と感じているのか?をはっきりさせないといけません。

  今回は、49頁の「100点満点の幸福感がある」人たちは明確な不満を持っていて、
 「80点の幸福感がある」人たちはそれほど強い不満を抱えていないという現象でした。

  「おもしろい」と筆者が感じたのは、普通、逆ではないのか??と考えたからです。
  辞書で調べてみても、「欲求の充足感がある状態」=「幸福」という意味なので、
  おかしいなあ、先の調査結果とは矛盾しているなあと感じつつも、
  いや、この肌感覚は真実に違いない、「幸福」を再定義するべきだと思う訳です。

   無意識のうちに自己欺瞞を抱えているのではないか?
   幸福なのだから、不満を持っているはずがない、今思っている不満は何かのエラーだ
  と思い込む訳です。「自己欺瞞とは何か?」自分が傷つかないために、自分自身が納得のいく説明を無意識にしてしまうことだという説明をしましたね。
  ここで、セルフ・ハンディキャッピングという心理学用語を紹介しました。
  他にも、例えば、高価な買い物をして、実はその買い物が思ったほど満足が行かない場合、自分が損をしたと思いたくないので、あれは良い品だったと友だちに言ってしまうことがあります。そういうのも、自己防衛の一種です。

   ここで、H田君の鋭い質問が入ってきました。

   「自己欺瞞」というのが自己防衛本能で、人にはそのような本能が根付いている筈(はず)なのに、それでもなぜ人は傷つくのか?

   先生が考えるに、それは相手に何かを「期待をしてしまうから」だと思います。
   自分ひとりで生きていくことはできないのだけれども、自分がすべきことを誰かがやってくれるだろう、自分はこのようにもてなされて当然だろう、誰もが私に最低限の敬意を払うべきだ、などと無意識のうちに期待をしてしまっています。それが為されないときに、人は傷つきます。
   例えば、LINEで既読がついて返信がないとき、なぜ返信しないのか、が気になるでしょう。それは相手がすぐに返信することを期待しているからです。いつも仲良しだったA岡君が、今日は冷たかったとき、なんだよ、チッと腹を立てることがあるかもしれません。それも期待していたからです。
  人はそれぞれ事情があって生きていて、あなたの感情に配慮して行動してくれる訳ではありません。先生は基本的にこのような考え方をしています。「世の中は自分を満足させるためにできている訳ではない。」だから、手伝ってもらったり、返信をもらったりしたら「ありがとう!」と思いますが、手伝ってくれなかったり、返信がなかったりしても、特に傷つくことがありません。もともとは自分がすべきことで、安易に誰かを頼りにしてしまうのは自分勝手な行いだと考えているからです。こういう考え方は、「アドラー心理学」や「解決思考型ブリーフセラピー」という心理療法で身に付きやすいです。人によって相性があるので必ずとは言えませんが。
 ただひとつ言えるのは「他人の評価軸に合わせて生きるのは常に不安に苛(さいな)まれる」ということです。誰にどう思われるかなど、関係がないのです。72億人のうち200人、300人に悪く思われたって、それが何だと言うのでしょう?世界は広いのです。周りの人たちが自分の器の大きさをはかれるものさしを持っていなかっただけかもしれません。
気にせずにどんどん、自分が熱中できるものを探究するのです。先生にとっては、それが学問でした。今は週に3冊程度の読書になってしまいましたが、それまでは毎日一冊読んでいて毎月5万円ほどは書籍代に使っていました。皆さんはどうですか??

  

さてさて、話を戻しますね。

もう一度、内容を確認すると、筆者の見田さんの興味は、こういうものでした。
アンケート調査で、100点満点の幸せを抱いている人が、明確な不満を持っており、80点の「まぁ幸せだ」という人は、不満をほとんど持っていないのは、いったい何故なのか??
というものでしたね。

どうして疑問に思っているのかと言うと、幸せ=欲求の満たされた状態であるという常識があるためです。社会科学や社会政策もこの前提で、研究が進められています。「目標が到達した、静的な状態」、山頂に登った時の満足感のようなものです。

ところが、過去の偉人たち、思想家や哲学者、文学者たちは全く違う意見を述べています。
例えば、ゲーテは「たいていの物事には耐えられるが、幸福が続く日々ほど耐え難いものはない。」というようなことを述べています。

一見何を言っているのだ??と思うかもしれませんが、実際には、皆さんも確かにそうだなあと思い当たるところが多々ある訳です。例えば、部活動のオフ日は嬉しいですが、6ヶ月オフを与えると言われたら、それは違う!と思う訳です。ハンバーグが好きだと言っても、毎日三食ハンバーグを出してくれる母さんには、不安さえ覚えると思います。
極端な例ですが、逆説的なゲーテの言葉は、真実味があるのではないかと実感している自分に気が付くことになります。

ここで、あれ?どうして、欲求が満たされたら幸福だと思っていたのだろう?と考えると
「自己欺瞞」だなと発見する訳です。
つまり、欲求が満たされたのだから、あれほど欲しかったものを手に入れたのだから、
不満を感じている自分がおかしいのだ、幸せの絶頂にいるに違いない!
と思い込んでしまうのですね。

アリストテレス、スピノザ、パスカルは、ずばり、幸せは活動の中にある、目標に向かう途上にこそ感じられるものだと喝破(かっぱ)しています。

目標に向かう中で、どのような幸せのイメージを思い描くことができるか、
その時が一番幸せなのです。だから、幸せになるというゴールよりも、
幸せに向かうというプロセスが大切なのではないか?というのが見田さんの見解でした。(最終段落)

もう少し、身近なものにしましょう。クラスでバイクに乗りたい!と言っていた子がいたので、その子を例に取ります。
バイクに乗りたい!どうしてもKawasaki Ninjya H2 SX SEに乗りたい!という強い願望があったとして、Kawasakiにまたがってツーリングをしている姿を思い描く訳です。
道の駅などで、同じバイク乗りたちと出会って、仲良くなってまた遠出をするのです。
夏の日、入道雲がもくもくと立ち上る空の下で、まっすぐな道をひたすら風を切って走っていくのはとても気持ちが良く、純粋な喜びがそこにあります。こういう想像の感覚が、「活動そのものの充足感」です。

しかし一方で、欲求が満たされたという仮定で考えてみましょう。
念願のKawasakiを手に入れた途端、こうなります。学校から帰ってきて、果たしてどこを走れるのだろうか?先生に見つかったらどうしようか?赤信号で止まってばかりで全然スピードも出せない、思ったよりも燃費が悪い、飛び出してきた小学生をはねてしまったらどうしたらいいんだ?その前に早速、初期不良なのか修理に出さないといけない、そう言えば後ろに乗せる彼女もいない、ガソリン代のためにお金が減っていく、アルバイトをして勉強どころではない、SNSにアップしてみなの賞賛を得たいが、バレたら停学になりそう、、などなど不安と不満でいっぱいになってしまうという訳です。

難しいところですね、手に入れたいのだけれども、手に入れた途端に魅力を失ってしまうものの扱いは。皆さんは(生きている人たちすべてですが)一生この課題と向き合って行かないといけないので、何事も完全に手に入れてしまわないようにすることが大切です。

という話でこの文章はおしまい。
では、振り返り課題をして、自分の考えを整理することにしましょう。では、また!




   

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