社交不安障害と私の過去

今回の『社交不安障害』という診断は腑に落ちるものがあった。

「小学生」
 地元の少年野球チームに所属をしていた。学校のない土日は毎週グラウンドで練習。練習をしても下手くそで試合がある日は毎回ベンチでした。時間が経つにつれて、練習中や昼食などでメンバーに仲間外れるようになった。最終的に、練習に行けなくなりチームを辞めた。形としては仲間外れ(いじめ)ではあるが、もう少し日頃からチームメイトと話せていれば…。

 「中学生」
 中学に入学すると部活動でソフトテニス部に所属した。入部してはじめの頃はしっかり練習に取り組めていた。段々と小学生時代の少年野球チームの頃と同様なことがあり、部活動を辞めた。

「高校生」
 農業高校に入学をすると全生徒がクラブ員となる。高校2年生の時クラブ員の学校代表を決める選挙がありました。私はその選挙に立候補をした。全校生徒が体育館に集まり皆の前で演説をする機会があった。壇上には応援者・立候補者が上がる。応援者が演説をしたあと、自分が話す番がきた。マイクなしでみんなの前で大声で話したものの高い声は裏返り、とてもとても恥ずかしかった。よく大勢の前で話せたなとおもう。

「大学生」
 大学に入学するとボランティアサークルに所属した。同期には私を含めて5人のメンバーがいた。大学2年生の秋に来年度の学生代表を決めなければならなかった。私は「大学1・2年で経験してきたことをよりよくしていこう」という思いから学生代表になりたいという思いがあった。結果的に学生代表にはなったが、他のメンバーとは何も話しあわず勝手に決めた。学生代表を務めた年は代表らしいことは何一つせず周りのメンバーに迷惑をかけてばかりだった。ほんとは話しあって決めなければならないところを勝手に決めたのはほんとに申し訳ない。

「社会人」
 大学卒業後、農業生産法人に就職をした。入社して職場に慣れる、初めての一人暮らしに慣れる生活が始まった。職場では、植物の管理・収穫を黙々とやる日々で同部署、他部署の人に分からないことを聞きにいったり、雑談をしたりすることが出来なかった。その上、植物の成長に合わせてヒトが行動するため休みがほとんどなかった。働いていくうちに心はおかしくなり、退社をした。・・・。


 これまでを振り返ると、何をやっても中途半端で何一つやり遂げたことがない。その原因は大勢の中にいることが苦手であったり、日常生活の中で雑談や意見を伝えようと思ったときに、不安や恐怖があり、私の想いを何も伝えられなかったりと『社交不安障害』の症状に当てはまるようなことばかり。(このせいにばかりしていはいけないけど・・・。)

迷惑ばかりをかけてきたけど、ここまで生きてこれたのは私の周囲でサポートしてくれた人たちのおかげ。感謝しています。

         


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