迷惑をかけたくないという思いの正体
教育や子育ての話で、
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日本人は
「人に迷惑かけちゃダメ!」
と子どもに教えることが多い。
それに対しインドでは
「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」
と教える
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という対比の話をよく目にします。
とても良いことだと思います。是非実践していただきたい。
そうやって育てられた人達が造った国の、日常を描いたムービーがこちら
さて今日はその、これからの子供達の話ではなく、
「迷惑をかけてはいけない」と育てられた我々がどう生きるべきか
のお話。
ことあるごとに「迷惑をかけてはいけない」と育てられてきた我々は、
「人に迷惑をかけたくない」を前に持って来すぎて、変な忖度をしがちになっています。
・ここで私の質問のせいで話の腰が折れてしまうのは嫌だ。
・ちょっと気になることがあるけど、私の思い違いだったらはずかしい。
・ここで私が懸念点を発言することによっておおごとになり、すべてのスケジュールがひっくり返るようなことになったら責任とれない。
などと考え、口を閉ざし、結果ほんとうに「大きな事故」「本当の迷惑」につながるような行動を選択してしまっていた、なんてことはないですか?
「大きな声でしゃべってたらダメ」と言われた経験から、人前で声をあげること自体を恥ずかしく思ったりする人も多いと思います。
「迷惑をかけたくない」という言葉に都合よく置き換えている場合も多いのではないでしょうか。
自分が間違えたことをやってしまい「迷惑をかけたくないので・・・」
というのは、相手のことを考えて言ってるように見せかけた、ただのかっこつけ。体のいい逃げ言葉。
自分が間違えたことを言ってしまい「責任を取りたくないし、そもそも責任が発生すること可能性全てから逃げたい、それに馬鹿だと思われたくない」・・・だから口を閉ざそう
というのが本当のところなのではないでしょうか。(ほとんどがこのケースだと思います。)
・「自分が我慢すれば丸く収まる」
・「自分は我慢して相手に譲ることが常に美徳」
本当に尊い犠牲の場合もありますが、こういった自己犠牲の精神も、その美しさに「傾倒」してしまいがちで、本来の向かうべき本質から逸れていってしまい、「自殺」や「自虐的犯罪」へと進んでいってしまうことがあります。
これらの話のすべての根が、
日本人は「人に迷惑かけちゃダメ!」と子どもに教える。
というところにある!!!
というのはちょっとだけ乱暴でしょうか。乱暴ですね。
でもたまには自分の考えの本質、なぜこう感じた、なぜこう考えたかに対して、深く向き合ってみることをお薦めしたい。
香道では香を「聞く」と表現するのをご存じでしょうか。
香木の香りを通じて自然や地球の声を聞き、自然と一体化し、自身と向き合い「心の声を聞く」のです。
感情の渋滞しがちな現代社会、時々自分の心と深く向き合うことが重要なことのように思います。
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書いたのは変な忖度の人 藤本 太朗