イライラしないという気使い

(読了目安7分)

まず簡単な質問です。

みなさんは、イライラしている人と一緒にいたいですか?

一緒に・・・いたくないですよね。


イライラは、表情に出たり、動作に出たり、無言のプレッシャーになったりして周囲の人に伝わります。


人は、イライラしている人とは一緒にいたくないわけですから、「イライラしないこと」は、周囲に対する気使いのひとつと言えます。


では、もうひとつ。


たとえば、「私は気使いができるのに、あいつは気使いができない!」と「あいつ」に対してイライラする人がいますが、みなさんはそんな人と一緒にいたいでしょうか。


そうですよね、やっぱり一緒にいたくないはずです。


「私は気使いができるのに、あいつは気使いができない!」とイライラしている人は、「イライラしないという気使い」ができていないんです。
「イライラしないという気使い」ができていないわけですから、「気使いができない」という意味で、結局「あいつ」と同じなんです。


最も大切な気使いは、タバコをくわえた人に火を差し出すとか、次のビールをつぐとかではなく、「安定した態度を貫く」という気使いです。


「私は気使いができるのに、あいつは気使いができない!」と心を乱す人は、気使いができない人と同じですから、自分の価値を落とします。
これはもちろん自分に対する愛ではないので、愛されることはありません。


◎気使いの種類


気使いの種類には大きく2つあります。
「恐怖ベースの気使い」と「愛情ベースの気使い」です。


<恐怖ベースの気使いについて>
恐怖ベースの気使いは、相手のご機嫌を取ることで、自分を守ろうとするものです。
暴力や暴言で自分をいじめようとする人に対する、「先回りの防衛反応」と言ってもいいかもしれません。
この気使いは、自分を守ろうとするわけですから、当然「ストレス」を伴います。
また、周囲から見ると過剰な気使いに見えてしまい、「あの人、なにをビクビクしてるの?」という疑問を持たせてしまいます。
主人の周りを離れない小間使いのような立場に見えてしまったり、気を使われている側が気を使う側をいじめている風景に見えてしまうこともあります。


また、権力欲がある男性の本能を呼び覚ましてしまうこともあり、その場合は主従関係になります。


恐怖ベースの気使いのひとつに「褒められるため」という欲があり、これも、褒めてもらうことで自分への被害を最小限に抑えるための防衛反応です。
言い換えると、相手から攻撃されないための「服従反応」と表現することもできます。



恐怖ベースの気使いの根本は、幼少期の親との関係にあることがほとんどです。
みなさんは、「暴力を受けて育った人が、自分の子どもに暴力をふるう」という話を聞いたことがあると思います。
「暴力の連鎖」と呼ばれているものです。
また、お酒を飲んで浮気・暴力・借金をする親にさんざん苦労した子どもが、親を批判しながら同じことをしてしまうというのも聞いたことがあるはずです。
恐怖ベースの気使いをする人も、親の暴言や虐待で苦労したにもかかわらず、やがて子どもに対して、親からされたことと同じことをする場合がほとんどです。
親から愛されたと信じるためには、親と違うことをしてはいけないため、たとえ虐待を受けてイヤな思いをしたとしても、自分も子どもに対して親からされたことと同じことをしてしまうわけです。


ですから、子どもへの虐待は、「自分は親から愛された」と信じたい人の、心の叫びとも言えます。
また、子どもがいない独身女性は、自分と同じ気使いを子どもに求める代わりに、他人に求めてしまいます。


「親を否定しながら親と同じになっていく」という悪循環から抜け出すには、親の考え方を卒業し、愛を実践する必要があります。
親も人間ですから、愛の判断を間違えることはあります。
「親には完璧であってもらいたい」という気持ちは誰にでもありますが、親の不完全さを認められれば、自分の不完全さも認められ、楽になれます。
「親のやり方は愛ではなかった」と、親の人間らしい弱い部分も認めてあげ、「自分も人間の一人で、間違えてもいいんだ」と考えてみてください。
そうすれば、なにより自分への愛になり、あなたは親のやり方を卒業できます。



<愛情ベースの気使いについて>
愛情ベースの気使いは、「相手に協力したい・人の役に立ちたい」という優しさから来るものです。


この感情は、愛をそそごうとする気使いですから、決してストレスは溜まらず、むしろ元気が出てきます。
マスターは妻に優しい気持ちで接しているので、妻もマスターに対して優しい気持ちで接していると信じることができます。
「妻の優しさを信じることができるのは、マスターが妻の役に立ちたいと思っているから」とも言えます。


ここで大切なのは、「マスターがどうしているか」です。
いくら妻が「私はあなたに優しく接しています」と言っても、マスターがそれを信じることができなければ、妻の優しさはマスターに伝わりません。
「優しさの証拠を見せてくれ!」とマスターが妻に言ったところで、妻ができることには限界があり、たとえ妻が頑張っても、マスターが満足しなければマスターの要求は増すばかりです。
妻の優しさを感じるかどうかは、マスターが優しい気持ちで妻と接することができるかどうかにかかっているわけです。


そうなんです、「優しい気持ち」というのは、自分が優しい気持ちになることでしか体験できないんです。
ですから、優しい気持ちで人と接することができない人が、人の優しさを感じることはできません。
もちろんその優しさ、つまり「気使い」は、恐怖ベースではなく愛情ベースである必要があります。
恐怖ベースの気使いは、本当の意味での気使いではなく、ただの「防衛反応(服従反応)」でしかないからです。
防衛すれば相手から警戒されることは容易に想像できます。



◎まとめ


「私は気使いができるのに、あいつは気使いができない!」こう考えるとストレスが溜まり、イライラします。


イライラは表に出ます。
「イライラしない」という高度な気使いができていない人が、他人のことを感情的になって批判すると、自分の価値を落とします。
愛情ベースの気使いができる人は、相手に対してイライラしません。
愛をそそげる人はその時点で愛されているため、相手に愛を求めることはないからです。


「私は細かい気使いができる」と自負している人は、周囲に対して「なんで気使いができないの!」とイライラするかもしれませんが、周囲の人はそのイライラを望んでいません。
ですから一歩進んで、「イライラしないという気使い」も実践してみてください。
それが本当の意味での細かい気使いです。


また、自分の気使いが「恐怖ベース」か「愛情ベース」か考えてみてください。
「私の気使いは愛情ベースの気使いに決まってるわよ」と言う人は、自分は相手に見返りを求めていないか、そして自分の価値観を押し付けようとしていないか考えてみてください。
見返りを求めたり価値観の押し付けをしているなら、なぜそれらをするのか考えてみてください。
きっと「寂しさ」がキーワードになるはずです。
そしてその寂しさはどこから来るのか考えてみてください。
愛をそそがず、ただ愛を求めるだけの自分を発見できるはずです。
そのとき、大人の愛は先払いだと理解できれば、「イライラしない」という最高の気使いができるようになります。

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