ビールはお酒じゃない

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◎ビールはお酒じゃない


たとえば「食器を洗う洗剤の使用量を控えなさい」とスタッフに指導するぐらい「節約」に気を使っている大きな宗教団体の施設長が、施設の厨房に、


「ビールはお酒じゃない(アルコール度数が低いから水やお茶みたいなもの)」


と貼り紙をし、夕方からビールを飲んでいたら、どうでしょう?
それは「愛」でしょうか。



施設長は、「うちは利益が少ないから洗剤を使う量は減らしている。これはエコ運動の一環でもある、みんなも節約しなさい」と言い、スタッフに指示を出していました。


食器を洗う洗剤は、1週間分でせいぜい数百円ですから、節約できる金額は、1日20円、多くても30円ほどです。
ビールは、ビール味の安いジャンルのお酒でも100円はします。


そして、そこの施設長は、「洗剤を少なめに使え」と言いながら、数十円節約する一方で、夕方から「ビールはお酒じゃない」と飲むんです。


彼は宗教団体の施設長です。
・・・なんかヘンですよね。


お酒は判断力を鈍らせ、言葉や行動の質を下げます。
スタッフや宿泊客のケガや病気、その他緊急事態など、イザというときに車も運転できなくなります。
「ビールはお酒じゃない」という貼り紙を貼っていても、実際はお酒ですから、車の運転はできませんし、ムリして運転をすれば、少なくとも酒気帯び運転になってしまいます。
そんな状態で事故を起こしたら、家族や周囲の人たちが失望し、途方にくれます。


やっぱり「愛」じゃないですよね。


そもそも、お酒は生きていくために絶対に必要なものではありません。
しかも、「ビールは水やお茶と同じ」と言うなら、水でいいんです。
水ならお酒より安いのでお金の節約になりますし、判断力も維持できます。
どうしてもというなら、ノンアルコールビールでもいいわけですし、ノンアルコールビールがマズイなら、やっぱり水でいいんです。


それでもビール(お酒)が絶対に必要だと言うなら、それは「中毒」だからです。


「ちょっとぐらいいいじゃん、楽しみなんだからさ」という考え方もありますが、お酒を飲まないと楽しめない人をみなさんはどう思いますか?
飲まなければ楽しめない精神状態を変えることができないのは、ストレスを溜めない生き方を実践できていないからです。
「そんな宗教指導者でも私は尊敬している、ついていく」という信者は、その指導者のレベルを超えることはできません。
つまり、愛にたどりつくことができないということです。
大切なのは、「きれいに飾られた言葉」ではなく、「行動」です。
お酒を飲んでいるようでは、愛をそそぐことはできません。
愛をそそげないということは、愛されないということです。


1日30円の洗剤を節約し、毎日ビールを飲む上記のような宗教指導者・・・
ビールの代わりに水にして、毎月その分の数千円を、困っている人に寄付する方法もあるはずですよね。
世界には、不衛生な状況の中、洗剤さえ買えない人もいるんです。


みなさんは、洗剤を節約する宗教指導者が、なぜ何倍もの値段の「ビール」を飲む必要があるのか、そこを本気で考えてみてください。
宗教もお酒も愛ではなく、同じカテゴリーの「痛み止め」だとわかるはずです。
よりストレスが溜まっている人は、これに加え、「痛み止め」の代表と言える、「過食・ペット・ギャンブル・過趣味・浮気」のうちのどれかをやっているはずです。


厨房に「ビールはお酒じゃない」と貼り紙をする人と付き合うと、愛から遠ざかります。


一応確認ですが、

ビールはお酒です。


・・・

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