瞑想の効果と他人癒し

(読了目安6分)

「瞑想」は、仏教の修行のひとつです。
「瞑想」を崇高なものだと信じ、瞑想を人生の目標のようにしている人も少なくない印象です。
しかし、「長く愛される人生」という意味では、瞑想を卒業することが大切です。
今回はそんな内容でいこうと思います。


まずは「瞑想の効果」についてです。


「瞑想の効果」ってどの程度だかわかりますか?
脳科学的なものはちょっと置いておき、一般生活での瞑想の効果です。


・・・「瞑想の効果」、考えてみてください。


「瞑想を極めていくことができれば、それはそれは素晴らしい世界、そして素晴らしい自分に出会え、人生が幸せに満ちるわね」



なんて、思いますか?


ではヒントです。


開運グッズや金運グッズの効果は、「それを売っている店が倒産する程度」でした。
グッズに効果があるなら、売っている店は大繁盛しますよね。
しかし現実は、売っている店が倒産するケースもあるんです。


同じように、「瞑想の効果」をひとことで言えば、「お坊さんでも悩みから解放されない程度」です。
瞑想に効果があるなら、その道のプロと言えるお坊さんは、平和に暮らしているはずです。


しかしお坊さんの現実は、一概に「平和」とは言えません。
「お酒」を飲むお坊さんもたくさんいますよね。
瞑想もお酒も、「変性意識状態」を作り出すという意味で同じです。
そして、お坊さんがお酒を飲んでいるということは、「瞑想よりもお酒の方が効果的」と証明しているということでもあるんです。
しかも、仏教では「ほぼ禁じられている」と言ってもいいお酒を、ストレス解消のために飲んでいるわけですから、「瞑想だけじゃどうにもならない」「瞑想は無力」、こう証明しているということがわかると思います。


お坊さんにまつわる事件については、これまでに何度か書いてきましたが、もし瞑想が崇高なもので効果が高いなら、世の中のお坊さんは事件を起こすことはありません。
しかし実際は、一部のお坊さんではありますが、社会的に問題になるような事件を起こすんです。
これでは「瞑想の効果なし」と言っているようなものです。


たとえると、

「精神科医がうつ病になる」

「管理栄養士が太っている」

「健康食品を売る会社の社員が自社製品を食べない」

などと同じです。


長く愛されたいなら瞑想を卒業する必要がありますが、たとえあなたがやらなくても、パートナーが瞑想マニアだと、いろいろと問題が起こります。
仮にあなたが結婚して、家庭を持ったとします。
夫婦ゲンカをするたびに夫が瞑想していたら、ちょっと気持ち悪くないですか?

「お酒は飲まない夫なんですけど、ストレスが溜まるとすぐに瞑想なんです・・・」

なんていう愚痴が出るかもしれませんし、これじゃ夫がお酒を飲むのとあまり変わりません。
子育て中の忙しい時に、夫が一人で瞑想してしまう可能性もあるんです。


「瞑想しなくちゃ愛にたどりつけない」、こんなことでは日常生活そのものがおかしくなるわけですから、「瞑想は人生の目的ではない」とわかるはずです。
つまり、瞑想しなければならない生活をするのではなく、日々、瞑想しなくてもすむような生活を送ることが大切なんです。


お酒も瞑想も、それをやったときは気分転換になります。
しかし人生の目的は「気分転換」ではありません。
ですから、気分転換しなくてもすむような生活をすることが大切なわけです。
「病気になったら治す」ではなく「病気の予防をすることが大切」、これと同じことです。


「瞑想」をしている段階では、まだ「自分癒し」の途中です。
そして、「自分癒し」では、長く愛されることはありません。
長く愛されるには、「自分癒し」の先、つまり「他人癒し」ができる状態じゃないといけませんよね。
とはいえ、他人を傷つけるだけの「他人つぶし」の人生よりも、他人に迷惑をかけない「自分癒し」の人生の方がよほどマシではあります。
しかしみなさんは長く愛される人になりたいんですから、「他人つぶし」は卒業し、「自分癒し」も卒業し、「他人癒し」の段階を目指してください。


以下に続きます。


◎ではどうすれば?


「他人癒しをしましょう」となると、「ねえマスター、他人癒しってどうすればいいの?」となりますよね。


心配しないでください。
人は、日常生活の中で「他人癒し」ができるようになっています。


みなさんはもう、物事の原因を外側に向けてわめき散らす「他人つぶし」の段階は卒業しましたよね?
「他人つぶし」をしてしまうと、他人の心を傷つけるのと同時に、自分の心も傷つけます。
そのことに気付き、自分の心を癒すのが「自分癒し(自分の中に目を向けること)」です。
この段階で瞑想することは悪くないと思いますが、瞑想を人生の目標にしてしまうと大変です。
つまり、自分の心の傷を癒すだけになってしまい、その先の「他人癒し」ができなくなるからです。
瞑想はあくまでも、愛にたどりつく旅の通過点です。
自分の心をしっかり見つめることができたら、次は「他人癒し」です。


瞑想も含め、宗教というのは、幸せな時に始める人はいません。
ということは、人間にとって宗教は「痛み止め」なんです。

「あなたは悪くない」

「あなたは愛されている」

「あなたは完璧な存在」

宗教はこうやって安心させてくれますが、結局は傷を癒すためのベッドを用意してくれるだけで、その後、具体的にどうやって人に愛をそそぐかは示してくれません。
宗教では「他人に迷惑をかけてはいけません」と教えてくれますが、「あなたは口臭が強いから歯を磨きなさい・貧乏ゆすりは他人が不快だから直しなさい・肥満は愛ではないからもっと痩せなさい」などと具体的には教えてくれないんです。


つまり、宗教が担当できる部分というのは、「自分癒し」までであって「他人癒し」は、宗教の担当から外れます。
宗教の修行のひとつである瞑想の効果は、「お坊さんも悩みから解放されない程度」、ということを忘れないでください。
これがわかっていれば、きっとやるべきことが見えてきます。


◎まとめ


今回お伝えしたかったのは、「瞑想の効果は、お坊さんでも悩みから解放されない程度」「長く愛されたいなら他人癒しができる人になってください」ということです。


瞑想は、宗教から生まれた修行のひとつで、「自分癒し」の範囲内のものです。
ですから瞑想は、愛に近づくための通過点だとわかると思います。
つまり、瞑想が「目的」のままだと、愛にたどりつけないということです。


また、たとえば10人程度が集まる瞑想道場で、口臭が強い女性が瞑想に励んでいる姿を想像してみてください。

瞑想が終わったあと、

「私はありのままでいいと思った」

「宇宙を感じた」

「神は実在する」

などと力説しながら満足していたとしても、マスターには表面的な言葉に聞こえます。
それよりもマスターは、胸を張って歩く爽やかな息の女性に愛を感じます。

極論すると、

「瞑想をしている暇があったら歯磨きをしましょう」

「瞑想の時間を口臭の研究と予防の時間にあてましょう」

ということなんです。


これは宗教や瞑想をしても気付かないことですが、長く愛されるための本質です。

・・・

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