謝るのはあの人・無事故

(読了目安5分)

「私は悪くない、謝るのはあの人よ」

「私はなんの問題も起こしてないわよ」

と考えている女性に読んでもらいたい2つの短編です。


車の運転にたとえた内容になっています。



◎謝るのはあの人


「私は悪くない、謝るのはあの人よ」と言う女性のほとんどは、自分のことを見ていません。


そして、自分が見えていない状態で他人を責めるのは、本人にとって悲劇です。


相手を責めると自分も相手もストレスになりますし、自分の価値を下げることになるからです。


人は成長するにつれ、「周囲に迷惑をかけていることに気づかない時代」、そして「迷惑をかけていることに気づいてビックリする時代」、次に「自分のことは自分でできるようになる時代」、そして「自分のことは卒業して社会貢献できるようになる時代」・・・こんな時代を経て、愛を発信できる大人になっていきます。


車の運転だって人生と同じですよね。


初心者のうちは、自分が周囲に迷惑をかけていることにさえ気づかないほど運転に必死です。


人生で言えば10代までがそんな感じです。


やがてバックミラーを見るゆとりが出て周囲が見え、自分が何をしているかわかったとき、「私ってこんなことしてたの?!」と自分の運転にビックリします。


人生だと20代・30代です。



そして、周囲に迷惑をかけないような運転ができるようになってようやく一人前です。

人生だと、30代・40代になり、仕事が安定したり、家庭を持ったりと、どうにか自立するころです。



さらに運転が上達すると、周囲に気配りをし、交通全体の流れをリードしたり、初心者の保護ができるようになり、これが運転上級者です。

人生で言えば、他人に迷惑をかけず、本質的な意味での社会貢献や慈善活動ができ、ストレスが溜まっていない状態です。

人によっては生涯この領域に到達できないこともありますが、努力を重ねれば、40代までにはこの領域に到達できるかもしれません。



今、もしあなたが「私は悪くない、謝るのはあの人よ」と言いながらストレスを溜めているなら、明日からは、「私もあの人も不完全な人間ね、誰が悪いってわけでもないわね」と考えてみてください。
これで、「あの人」が謝らなければ解決しなかった問題が、自分主導で解決できる問題になります。
つまり、他人に頼らなくても自分で解決できる問題になるんです。
これが「自分の幸せに責任を持つ」ということです。


「あの人」に謝ってもらわないと解決できない問題なら、謝ってもらえなかったら悲惨ですよね。
マジメな話、もし謝ってもらえなかったら、あなたはどうしますか?
「あの人」をいじめますか?
それとも旅行、グルメ、買い物でストレスを発散しますか?
それともお酒を飲んで愚痴を言って発散しますか?
大人たちが自分の幸せに責任を持てる人になるところから、愛の世界が始まります。



◎無事故


「私は安全運転だから無事故です」・・・この言葉、どんな人から出る言葉でしょうか。


「安全運転だから無事故」・・・当たり前の言葉ですが、実はこれ、2種類の人から出る言葉です。

ひとつは、運転の初心者から出る言葉、もうひとつは、ある程度上級者から出る言葉なんです。


初心者と上級者では安全運転度は全然違いますが、なぜ同じ言葉が出るんでしょうか。


まず、運転初心者は、運転中に自分がなにをしているのかわからず、車を動かすことで精一杯です。
無事故でいられる背景には、周囲から保護されたり、周囲をイライラさせたりしている「隠れた事実」があるかもしれません。
極論すれば、初心者がはみ出し運転をして、それをよけた車がガードレールにぶつかっても、初心者自身はそれに気づかず無事故でいるわけです。


言ってみれば、「周囲の犠牲や負担による無事故」です。


次に、運転に慣れた上級者の言葉として出た場合です。
多くの動きを予測し、初心者の車がいたらそっと保護してあげ、その上で自分の運転もしっかりこなし、無事故でいるわけです。

言ってみれば、「自分の熟練度による無事故」です。


本質的な意味での安全運転は、もちろん後者です。


初心者が大きな事故を起こした場合、「それまでの無事故は、周囲の犠牲・周囲の熟練度によるものだった、決して自分の実力ではなかった」と考え、自分の未熟さを心から反省して運転技術を磨いていけば、「上級者」に仲間入りする日も早いでしょう。


逆に、他人のせいにして自分を変えようとせず、そのまま運転を続けてしまえば初心者のままです。


これは人生でも同じです。

周囲の犠牲や周囲の熟練度に頼った人生は、いつか大きなトラブルを呼び込みますが、そのとき、そのトラブルから何を学び、どう行動するかでその後の人生が変わります。


やがて人間として成長すると、「自分の熟練度による快適な人生」を送ることができます。


人生の初心者を保護しながらも、自分の責任で自分の人生を楽しめるようになるわけです。

車の運転で言えば、運転上級者の仲間入りを果たせる、ということです。


「周囲の犠牲や周囲の熟練度による無事故」とは、人生で言えば、周囲の気配りで楽しんでいる「受身」の人生です。
「自分の熟練度による無事故」とは、人生で言えば、周囲に頼らず自分で人生を楽しむ「自分主導」の人生です。


単に「無事故」でも、受身なのか自分主導なのかで、その意味は全く違うわけです。

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