「強く信じること」あれこれ
(読了目安4分)
「宗教」をはじめとし、「彼氏の言葉」「自分の気持ち」などを強く信じることが「良いこと」とされる風潮もありますが、それは危険な行為かもしれません。
「強く信じること」をキーワードに短編で8話、書いてみようかと思います。
1:
宗教を妄信する人は他人と争いますが、宗教を妄信的に否定する人も、争いを起こします。
宗教を妄信的に否定して争う人は、「宗教否定教」という宗教の妄信者と言えるかもしれません。
「強く信じること」が価値観の衝突を生み、やがて争いにつながります。
強く信じていいものがあるとしたら、「人間の不完全性」です。
2:
人間はストレスをかかえます。
自分そのものが愛だということに気づかないままストレスをかかえ、外側に向かって「愛をくれ!」と探しています。
愛を得るためになにかに頼ろうとしますが、大人になってしまったら親に「愛をくれ!」と甘えるわけにはいきません。
そのため、「完全無欠の存在」として神(宗教など)を作り、それを強く信じて甘えようとします。
しかし不完全な人間が作る神はいつもニセモノの神で、常にその神の名のもとに争いを起こします。
「強く信じること」は、「平和のための戦争」という矛盾を生み出しています。
3:
本物の神に近づくには、本質を求め続けることが不可欠です。
人間の不完全性を信じ、ニセモノの神を排除し続けることで、本物の神が浮き彫りになります。
以前「消去法」というタイトルで書いたように、本物の神に直接近づけないなら、ニセモノの神を排除し続けることで神に近づけるわけです。
みなさんは、「化石」を見て神を想像しないと思いますが、「化石」ができる仕組みをまだ知らなかった時代のヨーロッパでは、「神が創造して命を吹き込まなかったもの」として処理されてきました。
しかしこれらは科学者たちの地道な努力で、その仕組みが解明されました。
「雷・火山の噴火・地震」などは、研究の結果「神の怒りではない」とわかり、現代人はみんなあたりまえに知っていることです。
研究を重ねること、つまりニセモノの神を排除し続けることで、人類は本物の神に近づきます。
研究を重ねる原動力は、「これまで言われてきたことは正しくないかもしれない・本当のことが知りたい」という探究心です。
「探究心」とは、まさに人間の不完全性を信じるところから始まります。
自分が正しいと強く信じていたら、化石は今も神の創造物だったはずです。
自分が正しいと強く信じていたら、人はそれ以上進歩しないんです。
4:
自分を研究すること、つまり自分を客観視し続けることで、自分の中の愛に近づきます。
「愛を外側に求める」ということは、「自分は変わるつもりはない・自分が正しい」と考え、しかも、誰かに愛をもらおうとしているということですから、この考え方は自分を盲信していることになり、宗教の妄信者と変わりません。
妄信者は愛されませんから、自分を妄信している人は長く愛されなくて当然です。
5:
自分は不完全だと信じることで、ストレスなく努力をする気になれます。
自分は完全だと信じていると、現実・実力とのギャップによってストレスが生まれます。
6:
「自分も相手も周りも楽しい状態」を作れるなら、なにかを強く信じてもかまいません。
その好例として「人間の不完全性を強く信じる」というものがありますが、「自分も相手も周りも楽しい状態」を作れるなら、べつに違うものでもいいんです。
しかし多くの場合、人は自分に都合のいい信じ方をしているため、物事がうまく運ばないんです。
7:
彼氏の愛を強く信じるには、自分にそれ相応の愛する力が必要です。
たとえば、高価なプレゼントをもらったことで愛を信じ、そのプレゼントを見ることで安心しているうちは、まだ彼氏の愛を強く信じることができていない状態です。
相手の愛を信じるというのは、自分が相手を愛しているかにかかっています。
愛を欲しがるだけでは相手の愛を強く信じることはできません。
人は強く愛する力を身につけたときのみ、相手の愛を強く信じることができるからです。
8:
「彼は独身、私を愛している」、こんなふうに強く信じている女性が、ある日その男性に奥さんがいたことを知ります。
そんなとき、すぐに別れられる女性は愛に近づきます。
強く信じていたことが否定されたときこそ、現実を客観視してみてください。
空を飛ぶサンタクロースを強く信じていたあなたは、やがて現実を知り、サンタクロースを卒業できたはずです。
もしそのまま信じていたら、いまごろどんな大人になっていたでしょうか。
相手の男性を強く信じていたあなたも、やがて「男」という生き物の本質や、不倫の現実を知り、潔く卒業できる時が来ます。
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