宗教 9 宗教の勧誘は人助け?

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◎宗教の勧誘は人助け?


宗教の勧誘を受けて「迷惑だ」と思ったことはありませんか?
宗教の勧誘は、一般人にとっては、「迷惑」という場合がほとんどです。


しかし、信者の視点で見た場合、勧誘は「人助け」です。
その宗教を信じている人ほど、喜んで勧誘をします。
そして、入信しない人のことを「哀れな人」だと思っている場合もあります。
理由は、そう思わないと自分が哀れになってしまうからです。
また、宗教に半信半疑の信者もいますが、そんな信者に対しては、教団側から「人を助けることは悪いことではないから、自信を持ってやりなさい」などと言われ、自分の訓練の場として勧誘に取り組むこともあります。


そして教団にとっては、「人助け」と同時に「資金集め」でもあります。


問題なのは、宗教を信じていない人にとっては、勧誘は人助けではなく、ただの「迷惑」だということです。
信者は、「あなたのためを思って」と勧誘しますが、実際に本当にそう思っていたとしても、勧誘される側にとっては価値観の押し付けでしかありません。


「自分の力で問題を解決できない信者が多い」ということは以前書いたとおりですが、仮にそんな人から誘われても、喜んで入信なんかできないですよね。
尊敬している人がやっている宗教であれば、なんとか興味が湧きますけどね。


宗教の強引な勧誘について、マスターには以前から思うところがあります。
それは「ゾンビ」という映画です。
人間が怪物化した「ゾンビ」に噛まれた人は、次々にゾンビになっていくんです。
ゾンビが襲ってくるときの感覚って、どうも宗教の勧誘とかぶるんです。
宗教の勧誘をする人たちは、あくまでも「あなたのため」と言います。
ゾンビも、本人に悪意はなく、仲間が欲しいだけかもしれませんが、襲われる側からすれば、ゾンビになるということは、価値観の大転換になるわけです。
自分とは違う価値観に染まっていくか、あくまでも自分の価値観を通すのか・・・ゾンビの作者は、宗教の勧誘を受けて迷惑した経験があり、その思いを映画化したのではないかとマスターは感じています。


世の中、強引な勧誘ばかりではないと思いますが、宗教の勧誘は、「人助け」と「迷惑」の両面を持っていることは事実です。



◎教祖が生きている宗教はだめなのか


宗教をやるなら、教祖が生きている宗教はオススメできません。
教祖が生きていた方が、大きなご利益感やリアルタイム感はあり、信じる側としてもありがたみが出てきます。


つまり宗教をやるなら、教祖が生きていた方が、かけたコストに対して、「リターン」が大きくなるということです。
しかし、大きなリターンには、大きなリスクが伴います。


それが、「教祖の逮捕」です。


以前も書きましたが、たとえばあなたが30 年間信じてきた宗教があるとします。
あなたは自分の体調が思わしくなく、入退院をくりかえしていますが、その宗教を信じてきたおかげで、病気は深刻化せず、なんとか今の調子を保っていると信じていましたし、仲間の信者からもそう言われてきました・・・


その日あなたは、毎朝のお祈りの後、病院のベッドでワイドショーを見ていました。
するとそこに、「〇〇教の教祖、信者へのワイセツ罪と脱税容疑で逮捕!」などと書かれたテロップが、教祖の映像と共に出るわけです。
この30 年間、宗教の信仰を理由に夫とも別れ、子どもから反対されながらも信じ続けてきた宗教の教祖が、目の前で逮捕されている映像です。


隣のベッドの患者は、あなたがその宗教の信者だということは知りませんでした。


「まったく宗教ってねえ、教祖のおっさん、この歳で信者に手を出しちゃ困るよね」

などと聞こえてきます。


この状況であなたが冷静でいられるならいいんですが、通常はムリですよね。
家族と別れ、30年間、一人で信じてきたんですから・・・


これが、教祖が生きている宗教の「リスク」です。
マスターが知る限り、近年、ある程度メジャーな3つの宗教団体が、これと似た事態になっています。
(もちろんこれは氷山の一角です)


では、歴史のある古い宗教がいいのかというと、教祖が生きている宗教と比べると「インパクト」はありません。
教祖が世襲で成り立っている宗教であっても、信者の心をガッチリつかめる後継者ばかりではありませんから、刺激は少ないものになり、信仰も中途半端になる場合もあります。
教祖がいないと信者が増えず、組織幹部は、団体を維持することばかりを考えてしまうかもしれません。


いずれにしても、宗教を信仰するということは、自分で考えることを放棄して楽になろうとしているわけですから、楽をした分のリスクは常についてまわります。
そして、教祖が生きているとリスクが大きくなるということです。


補足になりますが、宗教が「痛み止め」だということは、人生の絶頂のときに宗教を始める人がいないということで充分に証明できると思います。
宗教は、苦しいときに始めるわけです。
そして、実際に、宗教は人を救います。
その結果、犯罪も減り、人類にとってもプラスです。


やはり今の人類の大半にとって、宗教は不可欠だと言えると思います。
どうしても宗教を始めるなら、教祖が生存中か過去の人物かは、自分のニーズに合わせて決めてください。


次回は、宗教に頼ることの弊害について書いてみます。

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