おさらい ―争いの原因・信じていいこと―

(読了目安9分)

少し長めの投稿です。
以下太文字2行をふまえ、noteの要点の「復習」です。


争いの原因は、「自分が正しいと信じること」です。

人が唯一信じていいことは、「人間の不完全性」です。



人は「長く愛されたい」と願っています。
しかし「長く愛されない」と嘆いている人は多くいます。
愛は、愛をそそいだときに返ってきます。
長く愛されない理由は、長く愛をそそいでいないからです。


◎ストレスは溜めない
人間はストレスがなくなると、本来の力を発揮できるようになります。
ストレスをなくすことで本来の力を発揮できるようになると、愛をそそぐことができるようになり、その結果、愛されるようになります。
ですから、長く愛されるには、まずストレスから解放される必要があります。
ストレスから解放されるというのは、ストレスを「発散」するということではなく、ストレスを「溜めない」ということです。
ストレスを溜めてしまうと発散する必要がありますが、溜めなければ発散する必要がありません。
「ストレス発散」と毎日お酒を飲んでいる人を見ればわかるように、ストレスは発散できないものです。
緊急時や大きな病気など、極度のストレスは別として、仕事や人間関係など、日常生活上のストレスは、考え方次第で自分の中で消化できますから、「溜めない」ということは可能です。



◎他人依存の人生
人との争いごとはストレスになります。
そして争いの原因は、「自分が正しい」と信じることです。
「自分が正しい」と信じると、争いごとが起こるだけでなく、相手が謝るまでストレスを抱えたままになります。

相手が謝るまでストレスを抱えているということは、自分の幸せを相手の謝罪に依存しているということです。
言い換えると、「私の幸せはあなた次第です」と言っていることになり、それは「他人依存の人生」です。
みなさんは、「謝ってくれないと幸せになれない」と言っている大人を見て、その大人から愛や知恵を感じるでしょうか。
なにもできない赤ちゃんなら、「他人依存の人生」でもいいですが、大人になってしまったら、幸せは「自己責任」です。
幸せは自己責任ということを理解できない人が、「君を幸せにする」という言葉を信じて結婚したりしますが、その言葉を口にする人と、その言葉を信じる人が作り上げた家庭に愛があるかは疑問です。


「謝ってくれないと幸せになれない」と言っている大人と一緒にいて、幸せになれる人はいません。
ですから、愛されたいならまず、人は自分の幸せに責任を持つ必要があります。



◎尊敬できる人
人は尊敬できる人と一緒にいるときに幸せを感じます。
人は尊敬できる人と一緒にいたいわけですから、あなたが「尊敬される人」になれば、あなたは人を幸せにすることができます。
「ストレスを溜め、お酒でごまかしている人・愚痴ばかりの人」は尊敬されませんから、あなたがそうなってしまったら、あなたの周囲は不幸になります。
「尊敬できる人」に近づく努力が「愛する努力」です。


◎自分に愛をそそぐ
自分を愛せない人は他人を愛せませんから、「自分に愛をそそぐ」ということが第一です。
つまり、自分に愛をそそぐことが、長く愛されるためのスタートラインです。
たとえば愚痴を言うことが、自分に愛をそそぐことになるか考えてみてください。
また、理想の体重にならないことや約束を破ることが、自分に愛をそそぐことになるか考えてみてください。
これらは全て自分の価値を落とす行為です。
上記のようなことをする人は、自分を愛せない人ですから、他人を愛せず、結果的に愛されません。
ですから、上記のようなことをしている人は、「愛されない」とストレスを抱え、そのストレスがさらに愛を遠ざけてしまうわけです。



◎答えは「愛」
「自分が正しいと信じることをやめ、人間の不完全性を信じる」
「人を幸せにしたいなら、まず自分が尊敬される人になる」
「愛されないのは愛をそそいでいないから」
「自分を愛することができれば愛される」
「勝つべき相手は自分自身だけ」
「愛は自分の中にある」

これらがある意味「人生の答え」ですが、たとえば大学レベルの数学で、答えが「1」という問題が出るとします。
答えが「1」だとわかっていても、その中間の複雑な計算式がわからない限り、「理解した」とは言えません。
なによりも、本人に「解いた!」という充実感がないはずです。
同じように、人生の答えが「愛」だとわかっていても、その中間の複雑な体験がない限り、愛を「理解した」とは言えません。
なによりも、本人に「幸せ!」という充実感がないはずです。

答えは「愛」だとわかっているんですが、それを理解するために人は苦労しているんです。

noteに書いてきたように、自己啓発セミナーや宗教などでは愛を理解できません。
愛については、日常生活の中の「実践」を通して学んでいく必要があります。
マスターはチョコレートがおいしいと思っていますが、チョコレートを知らない人にとっては、おいしいもなにもありませんよね。
ですからチョコレートがおいしいか知るためには、その前に、チョコレートとはなにかを知る必要があるわけです。
同じように、自分が愛されているかどうかは、まず「なにが愛なのか」を知る必要があるわけです。


愛とは「人の幸せを願う気持ちの実践」です。


なにが愛なのか迷ったときは、

「自分がされたら嬉しいことを他人にする」

「自分がされたらイヤなことを他人にしない」

ということを考えてみてください。


元気な挨拶をされて嬉しいなら、自分が元気な挨拶をする、約束を破られたくないなら、自分が約束を破らない、などです。
「これは愛なの?」と考え、実践すれば愛が見えてきます。
愛はそそげば必ず返ってくるからです。


たとえば、「うたた寝している彼氏に優しい気持ちで毛布をかけてあげる」、これが愛だと思うなら実践してみてください。
自分が毛布をかけられたとき、「幸せ」を感じるなら、あなたがそそいだものは愛です。
自分が毛布をかけられたとき、「なにか裏がある」と感じるなら、あなたがそそいだものは愛ではありません。


また、自分が愛をそそげるようになったかどうかは、自分が異性なら、自分と結婚したいか判断してみてください。
「私が異性なら、私と結婚したい」と思えれば、愛をそそげている状態として良好です。


全てに愛をそそげるようになったとき、人は最高の幸せを手にすることができます。
しかし現実は、全てに愛をそそげげる人はいないかもしれません。
「宗教」マガジンにも書いたように、「人類愛」と言っている教祖でもストレスをかかえています。
実際は、「人類愛」を前面に出すことで、お金を稼いだり、人から褒められることを目的としているのが現実なんです。


人は自分に愛をそそげるようになっただけで幸せになれますから、世界平和は、各大人が自己責任で幸せを手に入れるだけで実現します。
そうなんです、人類の全てに愛をそそぐまでもなく、個人が自分に愛をそそぐだけで、人類は平和になるんです。
実力がある人は「人類愛」でもいいですが、多くの人は、良い意味で「自己愛」に専念し、自分に愛をそそぐ努力をすることが先です。
自分を愛せる人同士が関われば争いはなくなります。


答えは「愛」・・・多くの人がわかっています。
しかしそれだけでは幸せの実感はありません。
あとは実際の生活を通して学び、実践することで、人は「幸せ」になることができます。


◎このnoteはどんなものか

このnoteは、主に「父から子どもたちへのプレゼント」です。
人をだましてお金を稼ごうとするものではないので、みなさんも安心して読んでください。

マスターの仕事は自営業です。
営利団体や宗教団体の一員ではないので、なにかを売るためにウソをついたり、宗教に勧誘することもありません。
noteを長く読んでくださっている方々は、マスターのnoteに商品バナーがないことに気付いていると思います。

マスターの主な仕事は調理ですが、もしマスターが「くっつかないフライパン」を売ってお小遣い稼ぎをしていたら、みなさんに「このフライパンは最高です!」と勧めているかもしれません。
しかし現実は、「くっつかないフライパン」はどこのメーカーもほぼ同じです。
現在の科学では、まだブレークスルー(画期的大発明)はなく、同じようなフライパンに、あたかも画期的だと誤解させる「情報」をつけて高く売っています。
企業は本来「人々の幸せのため」にあるはずですが、現実は、ほとんどの企業が、

「どうやって儲けようか」

「儲けるためなら消費者を不快にさせてもいい」

「解釈の仕方でギリギリウソにならなければいい」

「訴訟を起こされたら、儲けたお金で対応すればいい」

などと考えています。
判断基準が、「お客様のため」ではなく「儲かるかどうか」になっているわけです。


あなたが働く会社(または学校)の「理念」と「現実」を比べてみてください。
企業理念では「人の幸せのために」という理想をかかげ、現実は「どうやって儲けようか」となっている場面もあるはずです。
幹部たちは、「顧客の幸せのためになにができるか」ではなく、「自分たちの利益のためになにができるか」という考えで仕事をしているかもしれません。
そんな状態は「愛は先払い」に反しますから、社員がストレスを抱えるのは当然です。
ちなみに、「くっつかないフライパン」なら、「セラフィットの告発」が有名です。
興味がある人は、「セラフィット 訴訟」などで検索してみてください。
企業の本質の一部を理解できると思います。
セラフィットは芸能人が宣伝していますが、「芸能人が宣伝しているから信用できる」などとは決して思わないでくださいね。
芸能界は「商業」の世界です。
もし芸能界が愛の世界なら、芸能人の離婚はありえません。
芸能人の多くは愛を手に入れることができないため、愛のようなものに変えることができる「お金」を欲しがります。
中にはパチンコやお酒の宣伝をしている芸能人もいます。
愛に反してお金を稼ぐ人たちと関わると、その考え方が染みつき、気がつけば愛から遠ざかってしまいます。


◎最後に
若い人ほど社会の仕組みや心の仕組みがわからず、いろいろなストレスを抱えてしまうと思います。
そんなときは以下の言葉を思い出してください。

争いの原因は、「自分が正しいと信じること」です。

人が唯一信じていいことは、「人間の不完全性」です。


人間社会は「自分が正しいと信じる不完全な人間」が作っています。
このことを理解した上で行動すれば、ストレスはなくなり、長く愛される人に近づけるはずです。

・・・

投稿タイトル一覧は以下です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?