「血も涙もないヤツ」に救われる

(読了目安2分)

「血も涙もないヤツ」

「人の痛みをわからないヤツ」

みなさんの周りにはこんな人はいますか?

今回は、そんな人たちに感謝できる話です。


マスターは、以前「胆のう」を摘出したことがあるんですが、その経験の後、自分や他人の「ケガの部位」を見るのが苦手になってしまったんです。
また、足のケガをしたときは8針ほど縫ったんですが、マスターはその部分を見ることなく処置をしてもらいました。
見ていたらきっと気持ち悪くなってしまったと思います。


マスターの知人の看護師でも、手術室に配属になったとき、患者の手術風景を見て失神したという人がいました。
世の中には、ケガや血に対して「繊細・敏感(過剰反応?)」な人がいるわけです。


逆に、人がケガをして痛がっていたり、心の傷で悲しんでいたりするのを見ても、比較的動揺が少なく冷静な人もいます。
そんな人たちは、周囲から「あいつは血も涙もない」「あいつは人の痛みをわからない」などと言われることがありますが、マスターの胆のうを摘出したり、切れた皮膚を縫い合わせてくれたのは、まさにそんな人たちなんです。


極論すれば、「血も涙もないヤツ」がいないと、マスターは死んでいました。
マスターは、冷静に人のお腹を切り、冷静に人の胆のうを取り除き、手が震えることなく冷静に人の皮膚を縫い合わせることができる人に感謝しています。


みなさんは、「冷たい人・非常識な人・理解できない人」など、否定的な視点から他人を判断することがあるかもしれませんが、人はみんな違うからこそ助け合えるという側面もあることを忘れないでください。
ケガや血に対して敏感な人たちは、主にケガの予防や内科的治療の研究に励み、比較的冷静な人たちは外科的治療を担当し、その「両輪」で医療は進化していきます。

人は自分と違う人を否定したくなりますが、自分との「違い」こそ、助け合いのベースになる部分です。
「血も涙もないヤツ」が、いつかあなたの救世主になるかもしれません。


少なくともマスターは、ケガや血を見ても冷静な人たちのおかげで助かり、そのことに感謝をしています。
そしてもし「血も涙もないヤツ」たちが、人間関係や男女関係、仕事などで悩んでいたら、その時は彼らのことを客観的に分析できるマスターの出番かもしれません。

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