神の究極奥義「脈止め」

(読了目安10分)


前回から続きます。


それまでかたくなに信じてきたものが、「ニセモノの神」だとわかったとき、あなたはその事実をどう受け止めますか?


自分が信じてきたものがニセモノだったという事実は、しばしば「受け入れがたいもの」になりますが、もしその変化「パラダイムシフト」を素直に受け止め、それまでの思考を変えていけるなら、確実に愛に近づけます。


以下、みなさんも簡単にできる神業、「脈止め」を例に挙げ、ニセモノの神が排除されるまでの話を書いてみます。


「脈止め」とは、脇の下にテニスボール(玉ねぎなどでも)を挟み、脇の下の動脈を圧迫することで、手首で測る脈がなくなるというものです。
現代でもその仕組みを知らず、「心臓が止まった」と誤解してしまう人もいます。
実際は、手首でとる脈拍が消えただけです。


・・・

まず「例え話」で書いてみますね。


 「脈止め」が、まだ「神の究極奥義」だと思われていたころ、あなたはインドに住んでいました。


そこには一人の「聖者」と呼ばれる男性がいました。
彼は実際に大変な修行を積んだ人で、長いヒゲをたくわえ、聖者としての雰囲気は抜群にある人でした。
当然のように多くの信者を集め、精神的指導者として信用されていました。


彼には人並み以上の知恵もあり、あなたの家族も含め、多くの人に助言していました。


あるとき、聖者は信者たちに向かって言います。


「修行の結果、ついに私に神が降りた! 神から授かった究極奥義で心臓を止めるから見ていなさい」


聖者は民衆を集めました。
火をたき、マントラを唱え、長めの祈りのあと、誰にもマネできないような力強いヨガのポーズをとります・・・


聖者の横には側近の弟子がいました。
その弟子から民衆の代表者が呼ばれ、聖者の手首に指を乗せて脈を測ります・・・


・・・


・・・


・・・



なんと・・・脈が止まっているんです。


民衆の代表が言います。


「確かに心臓が止まっているぞ! すごい、それでもしっかり生きている。聖者様に神が降りたんだぁ!」


それを見ていたあなたも感動に震え、


「彼は神だ!彼こそ本物の救世主だ!」 


心でこう叫びました。


聖者は、なにかあるごとに「脈止め」を披露し、神と自分は密接な関係があることを見せ続けます。
あなたを含む民衆たちは、いつも聖者の言葉を信じ、聖者の言葉に従いながら行動していました。


やがて彼は自他共に認める「神の化身」の存在になりました。
ズバ抜けたカリスマとして信頼を集めた彼の言葉と行動の影響力は、民衆の間で、より大きなものになりました。


彼はお金を集める気になればいくらでも集めることができました。
また、性欲を満たそうと思えば、「神のお告げ」ということで、いくらでも好きな女性を集めることができました。
物欲を満たそうとするなら、物を納めるように促せば、貢ぎ物は次から次に運ばれました。


究極奥義「脈止め」は、聖者が世を去った後も語り継がれました。
聖者が説いた多くの言葉は、その後何世代にもわたって「口伝」で伝えられた後、文字が書ける人たちによって、ついに一冊の本にまとめられました。
その本は現代、3千年前に書かれた「神の書」として伝えられています。


日本の出版社を通して印刷された「神の書 ー3千年の真実ー(日本語版)」は、爆発的なヒットになり、多くの現代人に影響を与えました。
中には、道場に聖者の肖像画を掲げて集まり、瞑想とマントラ、ヨガに明け暮れる人たちもいました。


「聖者様、私たちは日々神に感謝し、愛を実践していきます。脈止めはなかなかできませんが、いつかできるように、そして少しでも聖者さまに近づけるように日々努力したいと思います」


道場に集う人たちは、こんなことを思いながら、修行の日々を送りました。


・・・以上、「例え話」として書きましたが、もし実際にこの話を聞いたとしたら、今のマスターはこう考えます。


「脈止め」は、瞑想とか祈りだけじゃできないよ。
「神の書」にある言葉は、聖者の口から出た言葉じゃないでしょ。
きっと「伝言ゲーム」式に口頭で伝えられた出来事について、聖者の信者たちが書いたはずだから、事実からかなり曲げられて伝わっているはずだ。
何代にもわたって口伝で伝えられた言葉なんて、真実じゃないよな。
現代だってウソをつく人が多いし、きっと昔の人も自分の利益のためにウソをついて当然だろう。
実際、聖者とその側近たちは、脈止めのトリックで民衆を騙してるし、当時の民衆は、誰も聖者の心臓に直接手を当てて鼓動を確かめてはいないだろう。
「脈止め」なんか目指してないで、自分を見つめなおした方が、本当の愛に近づけると思うけどなあ。



・・・


時は流れ、1988年、場所はオーストラリア・・・


以下「カルロス事件」は、神の究極奥義、「脈止め」のネタをバラし、「ニセモノの神」が排除された話です。
脈止めが神の奥義だと信じていた人たちにとっては「パラダイムシフト」の瞬間です。




◎実話 「カルロス事件」


以下、ウィキペディアから抜粋し、一部わかりやすく変更しています。 

※文中の「ジェームズ・ランディ」は、ニセモノの神を排除する立場の人です


「カルロス事件」とは、オーストラリアのテレビ局により企画された「多くの人とメディアを騙した事件」。
もともとは、チャネリング(降霊術の一つ)の疑わしさを暴く企画を、オーストラリアのテレビ局プロデューサーが、カナダのマジシャン、「ジェームズ・ランディ」に依頼したことに始まる。



この企画の打診を受けたランディは、オカルトとは何ら無関係であった知人のホセ・アルバレスをチャネラーに仕立てるべく、綿密な仕込みを行なった。
仕込みの一つとして、脇の下にボールをテープで留め、これを押しつぶして腕の脈拍を止め、ニセの仮死状態を作り出すトリックなどが含まれていた。


そして、1988年に2人は「アメリカで話題」「2000歳の精霊とチャネリング」という触れ込みとともにオーストラリアを訪れ、TV局に売り込みをかけた。


アルバレスは名前を「カルロス」と変え、チャネラーらしく権威があり、もっともらしく見せるための細工や小道具を駆使して、オーストラリアのTV番組「sixteen minutes」に出演。


ランディの使った手口は、小型無線機を使った初歩的な手品とコールド・リーディング、そして、カルトでよく使われているような文言を、適当に散りばめた「カルロス文書」と名づけた即席の教義だった。
そして「カルロス」ことアルバレスの演技も相まって、大量の信者を生み、
テレビの人気者となり、様々な媒体が彼を「チャネラー」として報道した。


彼らの「興行」は、シドニーのオペラハウスのショウで最高潮に達し、このタイミングを見計らい、ランディが事の経緯を暴露。


呆然とする者や騙されたと知って怒り出す者、中には意味がわからずカルロスを擁護し、ペテンだと明らかになった後でさえ、カルロスと、その霊的でもなんでもないメッセージを信じ続けた者もいたといわれる。


豪州の視聴者を含むメディアは、「全てが仕込みとヤラセ」と知り、大騒動に発展。
カルロスを「本物」として扱った番組は大恥をかくことになる。


ランディは、「電話一本で確認すればペテンだとわかるネタが数多くあったのに、メディアはその確認すら行わず、検証も怠り、情報を鵜呑みにし、何の価値も無い電波を視聴者に向かって流し続けた。かように人が簡単に騙されやすいと同時に、メディアを騙すのも造作無い」と喝破した。



・・・

以上、ウィキペディアからの抜粋です。


テレビ局が事実確認をしないで情報を流してしまうニュースは、日本でもよく聞きます。
多くの人は、信じたいことを信じたいため、また、確認がめんどくさいため、事実の確認をしないんです。
メディア関連の人の中に、本質の探究をし、ニセモノの神を排除しようとする人がいたら、こんなことにはならなかったかもしれません。


※カルロス事件後日談
この企画を担当したオーストラリアのテレビ局のプロデューサーは、事件後、解雇されたそうです。
あまりの過激さに影響が大きくなりすぎ、誰かが責任を取る必要が出たのかもしれません。


ランディたちは、超能力の演出に「脈止め」を使っていましたが、これは、脇の下にボールを挟むことで、誰でも簡単にできるものです。
しかし人類の多くは20世紀を迎えても、まだそのような現象を知らないままでした。


彼らがこのままネタばらしをしなければ、何千人か何万人が、生涯ランディたちが作った宗教の信者になってしまったかもしれません。


このカルロス事件、「地球規模」とまではいきませんが「ニセモノの神の排除」による「パラダイムシフト」の一例で、「自作自演」なのが興味深いところです。
多くの人が、カルロスの超能力を信じたところでネタをバラしたため、そのインパクトは大きかったと思います。


いきなり話は身近になりますが、実は恋愛もカルロス事件と同じなんです。


以下、自分のこととして想像してみてください。

「浮気しないと信じていた彼氏が、浮気していた!」

●「結婚を誓った彼氏、実は家庭があった!」


あなたがこれまで信じていたことが180度転換しましたね。
これがある意味パラダイムシフトです。
彼氏が「ニセモノの神」だとわかったとき、ここで彼氏を排除しなければ、あなたに本当の意味での「パラダイムシフト」はありません。
ニセモノの神を排除できないなら、地動説を受け入れないキリスト教や、カルロス事件後もカルロスの脈止めを信じていた人と同じです。


ニセモノの神に依存して生きていくことはできるかもしれません。
しかし、みなさんが望んでいるのは、「長く愛されること」です。
ですから、場合によってはとても辛いですが、「ニセモノの神」は排除してください。
「ニセモノの神」を排除するときの辛さは、あなたを一歩前進させます。
これは「本物の神」に近づくためにどうしても必要なことなんです。


みなさんはもし「脈止め」を見たら、この投稿を思い出してくださいね。
また、確認したいなら、本人の心臓に手をあてて確認するか、もう片方の腕から脈をとってみてください。
心臓が動いていることを確認できると思います。



◎まとめ


カルロス事件でも「雰囲気作り」を念入りにやったように、人は「外見的な雰囲気がある人」を信じたくなるかもしれません。
しかし本当にすごい人は、普通の目立たないカッコをしてそのあたりにいるかもしれません。
そして本当にすごい人は、きっと「超能力」とか「不思議現象」で人集めをすることはありません。


世の中には、「本質の探究」に批判的な人がいます。
「ニセモノを排除しなければ本物が見えてこない」ということを知らないからです。
また、人類が未知のものに遭遇した時、人類の叡智を結集し、あらゆる方向から検証することが大切ですが、それをしようとせず、盲目的に神のせいだと信じてしまう人がいます。


「信じたい」という願望や、「楽だから」という気持ちがあるからです。


そんな人は、「本物の神」に近づく苦労よりも、「ニセモノかもしれない神」を信じ、自分で考えることをやめ、自分の責任で生きることを放棄しようとしています。
上記「カルロス事件」のランディは、そんな人たちに「本質の探究」の意義を示したように思います。

次回も似たような話が続きます。

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