アーユルベーダ 5 愛に近いのは


(読了目安7分)

アーユルベーダについて、短編を3つ書いてまとめます。

◎平均寿命が長いということ


みなさんは、国民の平均寿命が40歳のA国と、国民の平均寿命が80歳のB国があったとしたら、どっちの国に住みたいですか?
また、出産し、子育てをするとしたら、どっちの国を選ぶでしょうか。


・・・もちろん、「B国」を選ぶのが愛です。


人間そのものの寿命の上限は、どの国の人でもほぼ同じなんだそうです。
マスターが知るネパールでも、90歳でも元気な人は元気です。
念のため書いておくと、たとえば平均寿命が40歳の国でも、「30代後半から寝たきりになって、40歳になると老衰で亡くなる」、というわけではないんです。
平均寿命を左右する要因のひとつは、「子どもの死亡率が高い」ということです。
生後まもなく亡くなってしまうと、そこに80歳の人がいても、2人の平均寿命は40歳、ということになりますよね。
ですから、「平均寿命が長い国」なら、その国は、「子どもの死亡率が低い国」と言い換えることができます。
日本は平均寿命が世界トップクラスだそうですが、子どもの死亡率の低さもトップクラスなんだそうです。
出産前から母体と胎児に対して念入りなケアをし、出産後の事故も少なく、さらに予防医学の発展によって病気も少なく、病気になっても多くの人が高度な医療を受けられるからです。

※子どもの死亡の原因は主に病気ですが、事故・事件・いじめなどによる自殺・災害被害などももちろん原因のひとつです


江戸時代後半の日本人の平均寿命は40歳、そして明治時代(1900年)の日本人の平均寿命は44歳、戦後、西洋文明や西洋医学が入ってきてから飛躍的に平均寿命が延び、現在は82歳だそうです。
ちなみにアーユルベーダの国、インドの1900年の平均寿命は、日本人の44歳に対して24歳、そして現在は飛躍的に伸びて64歳だそうです。
また、アフリカ諸国はいまでも平均寿命が50歳に満たない国が多いようです。
これはもちろん、子どもを含め、病気で亡くなる人が多いからです。
病気の理由は、衛生環境や医療環境、予防のための教育水準、社会環境などが悪いことです。
エイズも深刻な問題だそうです。
こんな国では、親の目の前で子どもが死んでいくことが日常です・・・
自分の子どもが息絶える姿を見て、悲しまない親なんていませんよね。
マスターと縁のあるネパールでも、親に背負われたまま息絶えていく子どもがいます。
親の気持ち、子どもの気持ち、周囲の気持ちは想像を絶するもののはずです。


そんな悲劇を繰り返したくないという気持ちが、医学を発展させてきたわけです。
アーユルベーダにしても西洋医学にしても、その他どんな健康法にしても、目指すところは、結果的に平均寿命を延ばすことに集約されます。
平均寿命を延ばす努力は、人類の歴史そのものと言ってもいいかもしれません。


一部では、

「平均寿命が長くても、健康でいられる時間が長いとは限らない」

「健康でいられる時間が短いんじゃ、平均寿命が長くても意味がない」

という意見を聞きます。
その意見には一理あります。
人生は「苦」の連続でもありますから、平均寿命が長いということは、苦しむ時間が長いということかもしれません。
しかし、平均寿命が40歳の国と80歳の国があった場合、みなさんは80歳の国を選ぶわけですから、人が求めているのは、平均寿命が長くなることです。


◎愛に近いのは


アーユルベーダと西洋医学では、どっちが愛に近いでしょうか。


たとえば様々な病気の1000人の患者がいたとして、彼らにアーユルベーダと西洋医学を施した場合、マスターは、西洋医学の方が優れた結果を出すと思います。


教育や経済状況の違い、衛生面、食料、病院数や搬送手段の違いなど、平均寿命の差が出る理由は様々ですが、日本とインドの平均寿命の差、「約20年」を知れば、病気の治療や平均寿命という面から見た場合、どちらが優れているか一目瞭然かもしれません。
仮にアーユルベーダが西洋医学に勝る理想的な「生命科学」なら、病気の予防もでき、平均寿命ももちろん延びるはずですから、インドには、健康で長寿の人ばかりが多く存在しているはずです。
しかしインドの現実はそうではありません。
ですから、もしアーユルベーダの考え方がこの5千年でインド中に浸透しているなら、アーユルベーダの力はこれが限界だと言えます。


平均寿命の短いアーユルベーダベースの生き方は、西洋医学ベースの生き方より、「長寿」という意味で劣るということになります。
また、「アーユルベーダは完璧だが、一部のインド人にしか理解されていない学問だ」「高度すぎて一般社会への浸透は困難を極める」と言うなら、アーユルベーダは極端に人を選ぶ学問ということになり、これも、優れた学問ではないということになります。


また、アーユルベーダになにか「完璧な薬」があるとしても、それを多くの人類に与えることができないなら、やはり優れたものではないということです。
たとえばわかりやすく書くと、「難病が100%治る薬がある、しかしそれは1年に1人分しか作れない」・・・
100%治るにしても、対象が1人では、トータル的に考えて優れた医療ではないんです。
1億人分のワクチンを用意できる西洋医学の方が優れていると言えますし、実際に多くの人がそんな医療を求めています。


それから、西洋医学は、「伝承のしやすさ」という点で優れています。
新しい学問なので複雑な翻訳を経ず、近代の言葉で伝えることができるからです。
写真や動画などを使い、近代の言葉で伝えることができる西洋医学は、次世代への伝承が容易です。


一方、アーユルベーダは、データや数字、言葉ではなく、「ニュアンス」で伝える部分も多いうえ、言語自体が古く、翻訳がバラつきます。
ですから、西洋医学と比べて、的確な伝承が困難だとされています。


インドでは子どもの生存率が低いこと、そして、「お金があるなら西洋医学で治療したい」と言う人も多いこと・・・
そんな視点からも、西洋医学はアーユルベーダより愛に近い医学と言えます。


◎ではなぜアーユルベーダが流行しているの?


現在アーユルベーダが流行しているのは、「本質に近いから」ではなく、「お手軽だから」です。
これは、以前も書いたように、ヨガブームとの相乗効果で若い女性に人気があり、無資格で手軽にアーユルベーダ関連の営業行為ができるからです。


たとえば、仕事を辞めたOLが、「私は今からアーユルベーダのセラピストです」と宣言すれば、その日からアーユルベーダサロンの経営者です。
一方、OLが仕事を辞めて6年間大学に行き、西洋医学のドクターになるのはとても難しいことです。


ただ、アーユルベーダの流行と言っても、本来とは違ったものが一人歩きしているのが日本の現状です。
「和製アーユルベーダ」をもじって「和ーユルベーダ」と呼ばれることもあるそうですが、マスターの言葉だと「商業アーユルベーダ」となります。


◎まとめ


マスターの難病は、アーユルベーダ療法では治りませんでした。
ネパールで受けたアーユルベーダ療法が、そもそも本物かどうかも疑わしいものでした。
「本物のアーユルベーダなら治る」と断言する人もいるかもしれませんが、本物のアーユルベーダに出会える確率は、宝くじのようなものだと思います。
アーユルベーダが現代医学の一翼として確立されるまでには時間が必要か、もしくは確立されないまま、過去のものになるかもしれません。
また、予防医学として考えた場合、本場インドの平均寿命の短さが、その限界を物語っています。


美容や健康法として考えた場合、「アーユルベーダ美容法・健康法」というものが日本で流行っていても、やはりそれが本物かどうかはわかりません。
インド人に習ったものであっても、そしてインド人が直接施術したとしても、それが本物かどうかわかりません。
仮にマスターが「和食の達人」という看板を出してしまえば、外国人はマスターの店で修行を積み、自国で「日本の味!」などと宣伝し、マスターが教えたヘンな和食を広めることになります。
同じように、インド人も「私はアーユルベーダの達人です」と宣伝して「自家製アーユルベーダ」を日本に輸出しているかもしれません。
その理由はもちろん「日本人を相手にすると簡単に儲かるから」です。



現在のアーユルベーダの多くは、商業ベースであって、本来のアーユルベーダではありません。
人生は短いです。
アーユルベーダに人生の全てをかけてしまうことがないようにしてくださいね。


アーユルベーダについては以上です。
今後は「マクロビ」の予定です。

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