目の前に愛があっても ―あしたばの話―

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マスターが住む地域には「あしたば(野草)」が自生していて、マスターはときどきそれを採って食べています。


しかし東京から引っ越してきた当初は、「あしたば」という名前だけしか知らず、なかなか見つけることができませんでした。
「あしたば」がどういうものなのか、採っては人に尋ねたり、あらかじめもらった実物と比べたりして、徐々に「あしたば」という植物を理解していきました。


そして、慣れてくると、いたるところに「あしたば」があると気付くようになりました。


はじめのうちは違う植物を採ったこともありましたが、今は「あしたば」が目の前にあれば、それを「あしたば」だと理解することができ、手に入れたいと思えば手に入れることができるようになりました。
「あしたば」がどんな植物かわからなかったマスターは、もう過去のマスターです。


「愛」も「あしたば」と同じです。
世の中には、いたるところに「愛」があり、それを愛だと理解できる人たちは、愛に囲まれて生きています。
しかし、若いころは「愛」という言葉だけしか知らず、なかなか見つけることができません。
「愛」とはなにか、自分の経験をベースに、周囲の人たちの行動や本などを教訓にしながら、人は徐々に愛を理解していきます。



「あしたば」を手に入れることができるのは、「あしたば」がどんなものか理解している人です。
同じように、「愛」を手に入れることができるのは、「愛」がどんなものか理解している人です。


愛は誰もが求めるものです。
しかし目の前に愛があっても、それが愛だと理解していなければ、愛を手に入れることはできません。
愛を理解するには時間がかかります。
大人の愛は、欲しいと思ってすぐに手に入るものではなく、多くの失敗をしながら、試行錯誤の末に手に入れるものです。


その方法がだめなら次の方法、そしてまた次の方法と、あきらめずに努力し、一歩でも愛に近づきましょう。

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