マクロビの再確認

(読了目安9分)


先日、「マクロビ(食事で健康になる方法)」について考える機会があったので、再確認の意味で投稿します。


これまでに書いてきたように、マスターは、マクロビは愛ではないと感じています。
人間は、常に「幸せ」を求めて行動しています。
マクロビも、美容と健康、そして愛や平和を追求して生まれたものですから、熱心な実践者ほど愛と平和に近いはずです。
しかし調べるほど、現実は違うとわかります。


これからマクロビを実践しようとしている人は、以下の情報を自分で調べてみて、「全く問題ないと思う・私はそれでもやりたい」と思うなら挑戦してみてください。

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マクロビの創始者と言われる、故・桜沢如一(ゆきかず)さんの著書、「魔法のメガネ」の最後の3行には、「人生を楽しんでいるならなにを食べていようが関係ありません」とあります。
晩年は、ウソをつかないことが人間として大切なことの50%を占め、あとの50%が食事だと言っていたようです。
よほど人間不信になっていたようにも思いますが、彼は、良く言えば「熱い男」、悪く言えば「衝動的」で、「男の三悪」をやり、複数の逮捕歴があったそうです。


彼の一番弟子と言える故「久司道夫(くしみちお)」さんは、以下のように言っていました。

「マクロビで世界の平和と愛を実現」

「マクロビなら病気にならない」

「マクロビでガンが治る」

しかし妻をガンで亡くし、本人も大腸ガンの摘出後、すい臓ガンで亡くなっています。
そして久司道夫さんの息子の1人は西洋医学の医師になっています。
マクロビは、「医者いらず」の健康法ですから、息子が西洋医学の医師になることは、ある意味矛盾と言えるかもしれません。
また、久司道夫さんは妻を亡くした後、80歳を過ぎて、秘書(40歳ほど年下)の女性と再婚したようですが、これはもちろん愛ではありません。
自分の子どもより若い妻ですから、周囲の戸惑いなどを考えた場合、「愛があれば歳の差なんて」と言える立場ではないんです。
再婚の件では、多くのマクロビアン(マクロビを信じている人)たちが戸惑ったはずです。


西洋医学に見放された人が、マクロビで治ったり、健康を取り戻したりするのは事実です。
しかし、マクロビでも病気が治らなかったり、悪化したりする人がいるのも事実です。
マクロビの会社も経済社会の一部ですから、「病状が悪化した」という情報は流しません。
マクロビで病気が治った人に注目するのも大切ですが、病気が治らなかった人の数に注目することも忘れないでください。


※病気が治る理由は、「オーガニック教」マガジンをはじめ、他にも時々書いていますので、よかったら参考に


創始者の桜沢さんと、その弟子久司さんは、マクロビに対する考え方に違いがあり、やがてそれぞれが自分が信じる方法を説いています。
ということは、マクロビは完成されたものではないということです。
ひとつの分野で2人以上の指導者が現れて「私の方法が正しい」と主張する場合、あとに続く人たちは、「指導者を信じる力」だけでついていくことになります。
結局のところ、人は「栄養学」についていくのではなく、「人」についていくと言えるかもしれません。


マクロビでは「愛」を説いていますが、マスターが知るマクロビの師範資格所有者(独身女性)は、お客様に対して期限切れの調味料を使い、お客様の席で横になって昼寝をし、マクロビで指示されている繊細な切り方ができないコンディションの包丁を使っていました。
フライパンを焦げ付かせ、飼っている犬の毛が、お客様に出す玄米の上に乗っていたりもするんです。
また、店のオープンの時間を何度言っても守れなかったため、「次回オープン時間を守らなかったら契約を解除する」と伝えたところ、なんとか守れるようになりましたが、これは、時間を守る気になれば守れるということですから、それまで守れなかったのは、「お客様に対する愛がない」ということです。


繰り返しますが、マクロビは愛を説いています。
マクロビの師範が愛を実践できなくては、お客様や弟子に愛を伝えられるはずもありません。

そして、マクロビの本部がそんな人に師範の免許を与えなければならない理由は、マクロビの組織が資金的に苦しい、またはもっとお金が欲しいからです。
マスターなら、資格は無料で発行してもいいですが、実力がない人に資格は与えません。
たとえ組織が拡大しなくても、実力がある人だけに資格を出すことが愛だと思うからです。
マクロビ業界は、マクロビを背負って立つ「師範」という資格さえ「商品」にしていると言えます。


マクロビの本部が資金的に苦しいなら、「人が求めるもの」を売っていないからなんです。
ニーズが少なく、お金で買えるような資格を発行しても、愛に近づくことはできません。


みなさんは、「私を理解できない世間が悪い」と、社会を恨みながら人生を閉じる女性や、「この味がわからないお客が悪い」と、お客様を恨みながら閉店する飲食店を見て、表面的には同情しても、心の中では「あんたが悪いのよ」と感じると思います。


これはマクロビも同じです。


「マクロビは素晴らしいのに世間は無理解だ」と不満げな女性もいますが、仮にマクロビが素晴らしいものだとしても、それを理解できない人が悪いんじゃないんです。
世間に理解できるような道を示すことができないマクロビ業界の実力に限界がある、ということなんです。


マクロビはよく宗教に例えられます。
生まれながらに宗教をやっている家庭で育った場合などを除き、多くの場合、宗教は「苦しい時」に始めます。
具体的には、失恋や家庭内不和、事業の失敗、お金の問題、病気などです。
そして宗教を信じることで状況が改善すれば、それは宗教のおかげであり、「熱心にがんばった結果」とされますし、状況が改善できない場合は、「修業が足りない、祈りが足りない」と処理されます。


以前も書いたように、先祖供養に5万円かけてしまうと、それをムダにしないためにさらに10万円、気付けば100万円・・・となってしまいます。


マクロビでもこんな図式はよくあります。
妻がマクロビを実践しようとするほど、夫との間に亀裂が入るわけです。
「病弱な子どもをなんとかしたい」とマクロビを実践する母親もいるようですが、マクロビで体調が良くなれば「マクロビのおかげ」、体調が悪化すれば「もっとマクロビ」となります。
人間の体調は不安定ですから、やがてマクロビ信仰が過度になりすぎ、夫や祖父母、そして周囲も巻き込んで家族関係が崩壊してしまうわけです。


宗教の信者が暴走すると、その宗教そのものの社会的地位を下げてしまいますよね。
同様に、マクロビも1人で楽しむならかまいませんが、周囲を巻き込んでしまうと、マクロビそのものの社会的地位を落としてしまいます。
マクロビを実践するなら、まず自分が人生を楽しみ、周囲の見本になることが先です。


「自分の幸せに責任を持つ」ということ・・・マクロビの実践者がこれを実践できていれば、マクロビは愛なんです。
「マクロビから幸せをもらおう」という受身の考え方では愛から遠ざかります。



それから、マクロビで元気な人は、マクロビをやらなくても元気だと思います。
もしマクロビをやめて元気がなくなるなら、それはマクロビが原因ではなく、「マクロビがなくなったらどうしよう」というストレスからくるものかもしれません。
ということは、信じてしまえば元気になれる、つまり「病は気から・信じる力」という言葉に行き着くわけです。


世界でのマクロビ実践者は少数ですし、細かく分ければ40ほどの流派があると言われ、しかもそれぞれの流派の中にも、「ゆるマクロ・厳格マクロ・時々マクロ」などの考え方があります。
ですから、今後人類がマクロビの本質に迫ることはほとんど不可能です。
人は、「私が実践しているマクロビこそ本物!」と、それぞれの「信じる力」で自分を救っているわけです。


もしみなさんが、「マクロビは、有名芸能人がやっているから正しい」なんて言っていたら、それは「妄信」ですからね。
「妄信」は、「信じる力」で自分を救う(癒す)ところまではいいんですが、それだけでは愛を発信するには至りません。
「愛」とは、「自分も相手も周囲も楽しい」という状況で成り立ちます。
自分だけで楽しむならギリギリ愛かもしれませんが、個人の楽しみのために周囲が迷惑しているなら、それは愛ではありません。
もしマクロビに「意思」があるなら、マクロビはそんな状況を望んでいないはずです。


◎平均寿命40代


江戸時代の食事は、「全て自然食」と言え、「できるかぎり自然」という意味でマクロビの思想に通じるところがあります。
しかし、その時代の平均寿命は40歳代でした。
「医者いらず・ガンが治る」と言っていたマクロビの指導者は、夫婦ともにガンで亡くなり、息子は西洋医学のドクターになっています。
そしてマクロビの最高指導者は、自分の子どもより若い女性秘書と再婚し、有名な実践者たちは、複数の離婚をしています。


また、マスターの経験上、「マクロビ」に興味があったり肯定的な人は、神経質で元気がなく、信頼できるパートナーがいないことが少なくありません。
様々な食料を「危険なもの」と判断し、極論すれば、「玄米と無添加味噌じゃないと病気になる」と思っているように見えます。
「私の不幸はジャンクフードや添加物のせい」と言っているように感じることもあります。


初めに書いたように、創始者の著書「魔法のメガネ」の最後の3行には、「人生を楽しんでいるならなにを食べていようが関係ありません」と書いてあり、マスターも、彼が気付いたその部分には同感しています。
また、「大切なことは、ウソをつかないことが50%、あとの50%が食事です」ともあります。
マスターも、「長く愛されたいならウソはダメ」と書いているように、自分の利益のためにウソをついていた若いころは、幸せを感じることはできませんでした。
マクロビをやらなくてもウソをつかないことはできますから、彼の言葉を借りれば、ウソをつく人は、そのウソをやめ、人生をリセットすることで、今後の人生の50%を好転させることができます。



◎まとめ


マクロビは「愛」を説いていますが、マクロビの実践者たちは、食事を実践できても、「愛」を実践できていないことがほとんどです。
長生きや健康、そして愛に近づくために大切なことは、マクロビではなさそうです。

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