世界の平和を望むなら 2話

(読了目安8分)


世界の平和を望むならどうすることが愛なのか、書いてみます。
同じような話を2つ書きます。
少し長いですがお付き合いを。


◎世界の平和を望むなら 1


あなたは「世界の平和」を望みますか?


今回は、「世界平和を望むなら、まず自分が平和になりましょう」、という話です。
「お酒」「厨房での作業」を例に書きたいと思います。

・・・

あなたはお酒好きの社会人だとします。
ちょっと飲み過ぎて、ミスをしてしまいました。


そんなとき、お酒を飲む男性の先輩から、

「お酒はトラブルの原因だし、身体に悪いから飲んじゃダメ!」

と言われたらどう思いますか?


素直に受け入れられないばかりか、矛盾を感じませんか?
そしてその助言をしてくれた先輩に対して、


「先輩ってちょっとヘンな人かも」
「なんで私があんたに言われるわけ?」


なんて思ったりしますよね。


さらにあなたが先輩に対して、


「そう言う先輩だって飲んでるでしょ?」


と反論したとします。


その時、

「オレは酒には飲まれないし、トラブルなんか起こさないから大丈夫。だれにも迷惑をかけないから飲んでいいの」


なんて言われたら、


「自分のことを棚に上げてこいつアホか? やってることは私と似たようなもんでしょ」


ってなりませんか?


これじゃ人間関係がおかしくなっていきます。


お酒を飲む人が、「お酒を飲むな」と言うと、矛盾・不信・不満などを原因としたトラブルになるんです。
ですから、「お酒を飲むな」というセリフは、お酒を飲まない人が言えるセリフです。


では、「ケンカをするな!」というセリフは、どんな人が言えるセリフでしょうか?


・・・そうですよね。
「ケンカをするな!」というセリフは、ケンカをしない人が言えるセリフです。


世界に向かって「平和」を訴える人、つまり「ケンカをするな!」と言う人は、まずなんと言っても、自分自身が平和である必要があります。
自分の平和を実現できない人が世界平和を願っても、トラブルになりかねません。


平和を望むなら、世界を変えようとするのではなく、まず自分を平和にすることが先です。


そして、ひとりひとりの大人が自己責任で自分を平和にすれば、その場で世界は平和になるんですから、世界の平和を望むなら、ひとりひとりが自分の幸せに責任を持つだけでいいんです。


大人たちは、自分を幸せにする実力を身につけた後、余力があるなら子どもや病気の人たちに貢献する、・・・これが順序です。


次に「厨房の作業」で例えてみますね。
いま厨房で、数人の大人たちが、お客様から注文された料理を作っているとします。


近くには幼い子どもがいて、

「ボクも役に立つんだ、ボクだってできるんだ!」

と一生懸命なにかを手伝おうとしています。
子どもは自分が信じる方法でなにかをしようとしますが、コップを手にとっては落として割り、水を汲んではこぼしてしまい、刃物を握ってはケガをし・・・大人が付きっ切りでその子の面倒を見ることになってしまいました。
厨房の作業スピードは遅くなり、目標時間に遅れる可能性が出てきました。
もしあなたがその現場の責任者なら、きっとその子に向かって言うはずです。


「いいからそこでじっとしてて!」


その子がいくらでしゃばっても、いまの実力でできる最善のことは、そこでじっとしていることだけなんです。
子どもは悔しいと思います、でもそれが現実であり彼の実力です。
厨房で役に立ちたいと望むなら、最低でも自分のことは自分でできるようになる必要があります。
そして、自分のことが自分でできるようになったら、余力を使って厨房の役に立てるようになります。

子どもの願いは、「ボクも役に立ちたい!」


大人からの要求は、「そこでじっとしていなさい!」


実力がない人がムリをすると、全体の足を引っ張ってしまい、料理の完成は遠ざかるばかりです。


そして、これは「平和活動」にも言えることです。


世界の平和を望んでいる人はとても多くいます。

「戦争反対!」、つまり「争うな」と声を上げている人もたくさんいます。
でもそんな人たちが私生活で争っていたら、説得力ゼロですよね。
もしみなさんが世界の平和を望むなら、まず自分の平和を実現してください。


自分の平和を実現し、一人前になった後、その余力で世界の平和を願ってください。
実力がない人がムリをすると、世界の平和は遠ざかるばかりです。


自分の平和を実現できる人は他人と争いませんから、個人が各々に自分の平和を実現できれば、その場で世界は平和になります。
争いごとが起こる度にそれを抑えるのではなく、争いごとが起こらないようになるんです。
つまり、ストレスを発散する生き方ではなく、ストレスを溜めない生き方を、人類そのものができるようになればいいわけです。


それができれば世界の平和を願う必要もなくなります。


自分の責任で自分を平和にするということは、平和の「土台」になるものであり、世界の平和に向けた「基本中の基本」です。


実はこの話、以前、平和を願う若い女性の平和活動に巻き込まれてしまったマスターの体験からのものなんです。
「平和のためにアレをしろ、これはダメだ、世の中はおかしい」などと熱く言うわけですが、まず本人が彼氏とケンカをしているわけです。
上の「厨房」の話で言えば、大人が集まって仕事をしている現場に入ってきた子どもが、自分の考えで大人に指示を出し、従わない大人を批判するようなものです。
こんな状況だと、大人としては、子どもをどうにか傷つけないようにしつつ、その場から追い出そうするわけです。
(さらに仕事が忙しくなってくると、「小僧いい加減にしろ、出ていけ!」となるかもしれません)


ということでみなさん、理想は高くていいですが、張り切りすぎて暴走しないようにしてください。
もし周囲から子ども扱いされてしまったら、「みんな明るく接してくれるのにどうも居心地が悪い」という状態になります。


みなさんは「本当に必要とされる一人前の大人」になってください。
それには、自分の実力をしっかり観察し、どうすれば社会の役に立てるか日々考える作業が欠かせません。


本質に近づき、それを実践する力がある人ほど必要とされます。
なにもできないなら、とにかく笑顔で元気にあいさつや返事をしましょう。
それだけで80%は合格です。
いくら実力があっても、いつも不機嫌そうで元気がない人は、やっぱりウザがられます。
また、平和を実現する実力がない人は、「せめてなにも言わないことが社会貢献になる場合も多い」ということを忘れないでください。


◎まとめ


「人にお酒を飲むなと言うなら、まずは自分が飲まないこと」

そうしないと説得力がないだけでなく、混乱を生み出します。

「人にケンカをするなと言うなら、まずは自分がケンカをしないこと」

そうしないと説得力がないだけでなく、混乱を生み出します。

「世界の平和を望むなら、まずは自分が平和であること」

そうしないと説得力がないだけでなく、混乱を生み出します。



◎世界の平和を望むなら 2


日本は80年前に「敗戦国」になりました。
すでに他界したマスターの祖父は、戦争体験者でした。
インドネシア方面で戦った経験があったそうです。


生前、マスターに話してくれました。


おじいちゃんの隣で友達が死んでいった・・・
おじいちゃんは食べ物がなくて、犬を食べた・・・
おじいちゃんは生き残りたかったから、逃げ回った・・・

みなさんの周りを見てください。
ケガをしている瀕死の人が隣にいますか?
空腹に苦しみ、犬を食べている人はいますか?
生き残りたくて敵から逃げ回っている人はいますか?


みなさんの周りにはきっと、食べ物、飲み物、エアコンが効いた部屋、そしてパソコンもスマホもありますよね。


お金がかかるにしても、欲しいものはすぐに手に入る時代です。
命の危険もほとんどありません。
日本は約80年前のどん底から、ここまで這い上がってきました。
多くの人は戦争を望まず、平和を望んでいます。


では、平和を望むなら、なにをすればいいんでしょうか。
たとえばダイエットの指導者自身が太っていたら、説得力はありませんよね。
ダイエットの方法を知らない人がダイエットの指導者になることはできませんし、知っていても、本人が太っていたら、実践していないわけですから説得力もなく、やっぱり指導者になることはできません。


そんな人が、「みんな、痩せようよ!細い身体の方がいいってば!」なんて真顔で言ったら、周囲も戸惑い、混乱を生むだけです。


ダイエット指導者は、まず自分が太っていてはいけません。
周囲の健康や幸せを願ってダイエットを薦めるなら、まず自分の体型をスリムに保つこと、これが「愛」です。


同じように、平和活動の指導者が周囲と争ってばかりいたら、説得力はありませんよね。
自分を平和に保つ方法を知らない人が平和活動の指導者になることはできませんし、知っていても本人がいつもイライラしていたら、実践していないわけですから説得力もなく、やっぱり指導者になることはできません。


そんな人が、「みんな、平和に生きていこうよ! 争いのない世界がいいよね!」なんて真顔で言ったら、周囲も戸惑い、混乱を生むだけです。


平和活動の指導者は、まず自分が争ってはいけません。
平和を願うなら、まず自分の平和を保つこと、これが「愛」です。


いつも書くように、人類の一人一人がそれぞれ自分の平和に責任を持つだけで、必然的に世界は平和になるんです。


世界の平和は、たった一人が平和になるだけで実現するんです。
「あなたが自分の平和に責任を持つ」、それだけです。


すでにこの世を去ったマスターの祖父と祖母は、静かに仲良く過ごしていました。
平和活動はしていませんでしたが、それで良かったんだと思います。
さて、みなさんは、残された人生の時間を「争うため」に使いますか?
世界の平和を望むなら、まず自分自身の平和を実現してください。

・・・

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