父 人生を楽しんでいる人 7 NGO裏話

(読了目安21分)


「愛はそそげば返ってくる」・・・父はそのことを自分の生き方を通して教えてくれました。
今回は、マスターにとって大きな教訓、そして父を見直すきっかけになった話です。
結婚生活や恋愛を平和に続けるヒントにもなります。
これまでで最長の投稿です。
お茶でも飲みながらゆっくりどうぞ。


前々回の投稿で、父が反政府武装組織「マオイスト」の幹部から、以下のように言われたと書きましたよね。


「おまえはなんの得もしていないのに、なぜネパールにいるんだ?」


今回は、そのときの父の答えにまつわる詳しい話です。


まず、「反政府武装組織が生まれる理由」などについて書きます。


みなさんは、不正をしていることが明らかな国の役人や富裕層のせいで、本来最低限保障される「安心な生活」が保障されない場合、どうしますか?
たとえば年金が10万円約束されているのに、国の役人や富裕層が横取りしてしまい、3万円しかもらえなかった場合などです。


そんなことが10年、20年続き、貧困から抜けられず、子どもが病気になっても病院に行くお金さえもらえなかったら・・・


にもかかわらず、国の役人や富裕層が豪遊していたら・・・たぶんデモを起こしたり、裁判を起こしたりしますよね。
しかしデモが武力で弾圧されたり、裁判官が国の役人や富裕層からお金で買収され、判決が不公平だったらどうしましょうか。


そうなると、選べる手段は「暴力」しかなくなります。
これが反政府武装組織が生まれる主なシナリオです。


では以下、本題にいきましょう。



☆内戦が続くネパールで (父だけがネパールにいられた理由)


ネパールで内戦が続いていたとき、ネパールでNGO活動をしている父から手紙がありました。

「他のNGO団体は、みんな帰国しちゃいました」

※ネパールの内戦については「ネパール内戦」と検索してみてください


内戦が続くネパールで活動していた外国のNGO団体は、安全のため、次々に自国へ避難・撤退・強制退去させられることになりました。
そんな中、いったいなぜ父だけがネパールに居続けることができたのか・・・


これを結婚生活や恋愛に置き換えると、ケンカして実家に帰る・良好な関係を修復できず離婚する・良好だった関係が破綻する、そんなカップルが続出する中、いったいなぜあのカップルだけが何十年も仲良く暮らすことができたのか・・・

そんな疑問を解くヒントになります。


反政府武装組織「マオイスト」によるネパールの内戦は、父がネパールでNGO活動を始めてから数年後に勃発し、約10年間続きました。
10年で、「政府・反政府」双方合わせて1万以上の死者を出しました。
マオイストのスローガンは、「弱いものをいじめるな!不正に稼ぐヤツらは許さん!」というもので、政府や富裕層に対し、不正・堕落の是正、そして貧困層の解放を求めたものでした。
マオイストは、貧困層の解放を求めていますから、本来は貧しい人を救うためのNGO活動に好意的なはずです。


貧しい人を助けて貧富の差をなくす活動をしているはずのNGO団体が、なぜ活動できなくなるのか・・・


それは先日も書いたように、NGO団体の存在が、ネパール国内の貧富の差が広がる一因だからなんです。


以下、ちょっと想像してみてください。
ネパールに住む貧困層の村人たちはネパール語しか話せず、文字が書けませんし、お金もない状態ですからパソコンも買えません。
買えないというより、文字が読めないので「使えない」ということになります。
海のむこうには、食料や病気の治療のためのお金をくれる「日本」という国があり、申請をすれば支援をしてくれていることはわかっている・・・そんな状況だとしましょう。


村人たちは日本に直接支援を求めることができませんから、村人と日本を結ぶのは、ネパールにある現地NGO団体です。
現地NGO職員は、英語や日本語の教育を受けていますから、インターネットや電話、手紙などを使い、貧しい村人たちに代わって日本に支援の要請をすることができます。


さて、その現地NGO団体が、村人たちのために日本に支援の要請をしました。
そして日本からは10万円の援助金が振り込まれました。


これで村人たちは助かります!・・・


・・・いえ、ちょっと待ってください。


現実は、そんなこと、言っていられないんです・・・
大まかに書くと、以下のようなことが起こります。


日本に援助申請をしたネパールのNGO団体は、日本から10万円もらいました。
そして・・・貧困層の村人たちには3万円を分配し、あとの7万円はNGO団体の運営費と称して、職員の生活費と飲み代、そして政府に不正を黙認させるための「賄賂」に消えました。
日本側は、寄付した10万円の使い道の確認のためにわざわざ視察に来ません。
日本人は、ネパールで偽造された領収書と感謝状を手に、不正の追求もせず日本でニコニコしているだけです。
万一村まで来て村人と話をしても、言葉が通じませんから、同行した現地NGO団体職員の通訳者が、自分たちの都合のいいように訳してしまいます。


日本から10万円もらった現地NGO団体の職員は儲かりますが、村人たちの生活はほとんど変わりません。
現地NGO団体の職員たちは贅沢に暮らすことが目的ですから、不正をやり続けます。


村人たちは教育を受けていませんから、不満や不正を訴える術がありません。
そう、いい思いをするのは現地NGO職員たちなんです。
そしてその活動を監視するはずの政府機関は、NGO団体からもらう賄賂によって不正を黙認してしまうわけです。


・・・


ネパールではこんなことが何十年も続き、貧困層の村人たちは、怒りとあきらめで疲れ果てていました。


そんなあるとき、高度な教育を受けたネパール人の中に、「今の社会、このままでいいのか?!」と疑問を持つ人たちが現れ、「なんとかしよう」という話になりました。


彼らはネパールのNGO団体を調査する一方で、村人にも状況を尋ねると、NGO団体から聞いた報告に対してたくさんの矛盾が出てきました。
その矛盾をNGO団体に問いただすと、NGO団体は自分の利益のために、ウソばかりを並べて逃げようとしました。
NGO団体を統括する政府に、不正をやめさせるよう要望しても、政府はNGO団体から賄賂をもらっているため、取り締まりに動くことはありません。


「高度な教育を受けた正義感の強い人たち」は、腐敗の根源は政府役人にあると判断し、国との話し合いを申し入れます。
しかし国はその申し入れを突っぱねました。


高度な教育を受けた正義感の強い人たちは考えます。


「このままじゃNGO団体と政府役人ばかり儲かって、国内の貧富の差が広がるばかりだ。日本のNGO団体だって、本来は貧しい村人たちを助けるためにお金をくれている。どうにかしなければいけない・・・このまま話し合いで解決できない状態が続くなら・・・」



こうやって、「武力」で立ち上がったのが「マオイスト」という組織でした(現実はもっと複雑な経緯です)。


マオイストの幹部たちも、本来は話し合いで解決したいんです。
みなさんも、貧しい村人たちの代表者だったら、いきなり暴力は使いませんよね?
きっと国の役人や現地NGO団体には、「不正をやめて私たちにも支援金をまわしてくれませんか?」とお願いするはずです。


暴力に訴えるのは、何度言っても話を聞いてもらえないからなんです。


マオイストも同じでした。
NGO団体を統括する政府、そして不正に儲けている富裕層との話し合いが不可能となり、武力で状況を変えようとし、活動を始めました。


ざっくり言えば、「村人のために立ち上がった正義の味方」、これが「マオイスト」です。



以下、続きます。


上に書いたように、


「日本に支援要請をすることができるネパール人」・・・


この時点で、彼らにはすでにお金も教育もあるんです。
パソコンを使い、英語か日本語で支援要請ができるんですから、文字が書けない村人たちより、かなり裕福です。
しかし、教育とお金がある人は、外の世界を見て、もっと儲けようとしますよね。
貧しい人たちを利用し、いろいろと不正をして、外国からお金を集めようとするわけです。


そうやって私腹を肥やしてきた「インテリ」たちが、マオイストのターゲットになりました。
そして、不正を黙認して賄賂を得ている役人や、不正の温床になっている建物などもターゲットになりました。


さらに、そんな不正に付き合っている人や組織もターゲットになりました。
たとえば、民間の貧しい人たちでは到底通うことができない学費を取る外国系の学校があり、主にお金持ちの子たちが通っていたんですが、その学校もターゲットにされたりしています。
学校を作る側が、「高度な教育を」と言いながら、自分たちも不正にお金儲けをしていたからです。
もちろん子どもが殺されることはありません、子どもに責任はないからです。
マオイストは子どもがいない時間を狙い、建物を爆破します。


日本のNGO団体はもちろん、ネパール国内で活動する海外NGO団体の大半は、現地ネパールのNGO団体や民間組織と組んで活動をし、その活動の中で多少なりとも不正をしています。
「支援した」という事実だけが欲しいNGO団体は、お金の動きをよく調べないまま支援金を提供するため、結果的に不正を助長します。
「社会貢献のための会合だ、貧しい人を救うための会合だ」などと言って高級ホテルでディナーを楽しむNGO団体や、視察に必要な備品だと言って高級車を買い、私用で乗り回している団体責任者・・・
ネパール国内では、そんな人はキリがないほどたくさんいて、一部では、「ネパール人がNGO団体を作ると家が一軒建つ」と言われているようです。


こんな状況では、貧しい村人には支援金のごく一部しか届きません。
マオイストは、そういう不正について詳しく知っていて、不正、不平等の温床を、武力を使って解体していきました。
国という強大な組織に対して交渉が通用せず、武力を使わざるを得ないところまできてしまったわけです。


以下、マオイストの実力行使によるものです(全て父から送られてきたものです)。
主に不正をして稼いだ人の家や団体の建物が次々に破壊され、戦闘が続きました。
同じ国民同士で殺しあうなんて、子どものケンカよりタチが悪いですが、これが現実です。
そして、これでは愛は遠ざかるばかりです。



不正に利益を上げていた関係の建物らしいです(先日も掲載した写真です)

マオイストの攻撃を受けた建物

 

不正に関係した建物や車は破壊されました

不正に得た車も攻撃を受けました


マオイストによって破壊された建物


がれきの山


バスも


車も



不正をやめず話し合いに応じない政府に対して、「やむなく実力行使をした」というのが本質ですが、上の写真を見ると、マオイストが「悪」ということになってしまいますよね。
こんなことが続き、結局、マオイストと政府が話し合いをするために、1万人以上の犠牲者と10年という時間が必要になりました。
初めから話し合いに応じていれば、双方の犠牲はすくなかったんですが、こんな被害が出てしまっては、国民の悲しみや国全体の損害は膨大です。
国の役人や富裕層の目先の利益のために、国全体の発展が遅れてしまい、ネパールは国際的には、いまだに「最貧困国」のひとつです。


これは余談ですが、マスターも以前、病院の不正について病院に話し合いを求めたことがあるんです。
当時マスターの彼女の父親が医師で、マスターの母親が法律事務所に勤めていた関係で、病院の不正の証拠をつかんだんです。

どうなったと思いますか?


・・・もちろん話し合いの申し出は、病院から突っぱねられました。


そして院長に「配達証明郵便」を送ったら、「受け取り拒否」という対応をされました。
そのとき、「暴力事件を起こせば病院が話を聞いてくれるんじゃないか」と思ったことがありました。
しかしそれではマスターが加害者になってしまいますよね。
結局、マスターは暴力事件を起こさず、法的手続きをとったんです。
病院の不正を裁判所に申請し、裁判所からの命令で、病院のカルテや会計表を強制開示してもらうことにしました。
この「証拠保全」という手続きは、裁判所からの命令なので病院は無視できません。
証拠保全当日、裁判官とマスターが突然病院を訪れ、「今から1時間以内に全ての書類をそろえなさい」という命令を出し、病院がバタバタしているのがわかる慌てぶりでした。
(発展途上国でこれをやると、マスターはたぶん殺されます・・・)
病院が初めから話し合いに応じていれば、お互いに労力を使わなかったんです。
病院関係者の目先の利益のために、病院全体の利益が損なわれてしまうんです。


余談はこれぐらいにして、話はネパールの父のNGO活動に戻ります。
当時ネパールでNGO活動中だった父は、マオイストから様々な質問をされました。
代表的なものは以下だったと思います。

土地を買い占めるつもりでいるんじゃないか

人身売買の下調べをしているんじゃないか

買春をしていないか

鉱脈を見つけに来たんじゃないか

宗教を広めにきたのか

寺院のものを買い叩いて輸出しようとしていないか

村人を安く雇って商売をする気じゃないか

権力者と組んで不正をしていないか


こんな質問が出るというのは、過去にこんなことをしたNGO団体がたくさんあったということですから、父も疑われて当然でした。


しかし、父からの手紙にはこうありました。


「マオイストがぼくを疑っているのは知っていますが、ぼくは不正をしていませんから安心してください。よく調べれば、ぼくが潔白だということが証明されるはずです。“ミスターK(マスターの父)を国外退去させたらオレたちが許さない”って、村人たちがマオイストに言ってくれたみたいです。
マオイストは村人たちの味方ですし、ぼくも村人たちの味方です。悪いことは起こらないと思います」



マオイストは、「貧しい村人を助ける」という意味で父の目的と同じです。
マオイストは活動資金や活動中の食料などを、貧しい村人たちから分けてもらうことがありましたから、村人から嫌われるわけにはいきません。
もし父を国外退去させてしまうと、村人たちから反発され、マオイストたちも活動できなくなってしまうおそれもあり、結局父は「村人に守られる」という形で、ネパールでの活動を続けることができました。


村人たちにそそいだ愛が、返ってきたんです。
マスターにとってこの一連の出来事は、大きな教訓になりました。


以下は内戦の最中に父から送られてきた写真です。
何度かマオイストに呼び出されて様々な尋問や、金銭の要求などもされたそうですが、全て正直に説明し、マオイストの金銭要求には一切応じなかったそうです。
父の一貫した態度も、マオイストから信用され、滞在を認められた一因だと思います(マオイストの要求をのむということは他でも裏取引をしていると思われてしまいますよね)。


戦闘の後に落ちていた銃弾など
マオイストも父も村人たちの味方という意味で共存できました。

戦闘後に落ちていた銃弾



マオイストと遭遇
マオイストと父は「人民解放」という目的は一致していたので敵ではありません。
また、父は反政府勢力ではないため、政府軍から狙われることもありませんでした。

マオイストの武器?




父はネパールに残りましたが、ネパールで活動していた海外NGO団体が、ネパールから撤退した理由は以下のようなものです。

・不正がバレてマオイストから追放された

・追放される前に本国に逃げた


・日本のNGO団体から派遣されている職員は、本国からの命令で帰国せざるを得なかった


・宗教団体の派遣職員は、教団本部からの指示で帰国せざるを得なかった


・公の機関の職員は本国からの要請により帰国せざるを得なかった


・本国の家族が心配するため帰国したかった


・実際は村人から必要とされていなかったため村人から追い出された(政府と癒着していたため)



自分の判断だけで行動できない「団体職員」という立場の人や、世間の好評価を得るために「片手間」で支援活動をやっている人たちは、内乱が始まって早々に撤退することになったと思います。
そんな人や組織ほど「世界平和・慈善活動こそ愛・なによりも人の心」、なんて言っているかもしれません。


しかしそれが「社会の仕組み」と言えばそうなんです。


団体は、大きな事業を実行できる反面、大なり小なり不誠実な部分があったり、個人プレーや小回りが苦手という面もあります。


一方、父だけがネパールにいられたのは、以下のような理由でした。


・個人のNGO活動をしているため、「本国からの命令」で動く必要がなく、自分の意志で現場にいることを決められた
これは、「身の安全が保証されなくても、本当に困っている人を助けたい」
という思いを実現させるために、団体に所属しない方法を選んだ結果です


・無宗教なので宗教的な制限がない

宗教団体から布教活動や慈善事業のために派遣された職員の多くが撤退したそうです。
父は無宗教、無所属のため、布教活動には縁がありませんでした。
そのためマオイストから責められませんでした。
村人たちも、父から「改宗」を迫られることがなかったため、父を恨む人もいませんでした。


・ネパール語ができるので、ある程度正確な情報を自分で集めることができた
通訳を通すと情報が曖昧になりますが、直接ネパール語で情報を集めることができたため、ほかのNGO団体より周囲の状況を正確に把握できました。

その結果余計に不安になることもなく活動を続けることができました。


・家族(マスターとマスターの妹)からの理解を得ているので、家族から引き戻されることもない

マスターとマスターの妹は、父から充分な援助を得て成人させてもらったことや、父がネパールが好きなことを知っていため、「やりたいようにやらせてあげよう」ということで意見が一致しました。
また、父に依存することなく生活していたので、「死なれたら困る」ということもありませんでした。
父には、子供を親から自立させる実力があったということかもしれません。


・村人がマオイストに対して父をネパールに滞在させるように要請した
父が村人から買春や搾取をしていたら、村人たちはマオイストに対して、「ミスターK(父)を国外退去させてくれ」と頼んだかもしれません。

しかし実際はその逆で、村人たちが、「ミスターKを退去させたら許さん」とマオイストの幹部を説得したそうです。


・そして最後に、

「マオイストの幹部と直接話して、滞在を黙認された」
というのがあります。
この話は以下に詳しく書きますね。


・マオイストの幹部から滞在を黙認された


父はマオイストの幹部に何度か会って話したことがあるんですが、滞在を黙認してもらったある日、別れ際に質問されたんです。
マオイストの幹部からの質問は以下のようなものでした。


「おまえのことはしっかり調べさせてもらった、調べても調べてもおまえはシロだ。実際に話してみても、危険な人物ではないし不正もしてないことはわかる。村人たちもおまえのことを信用し、必要としている。だから、ネパールでNGO活動をしたいならすればいい・・・。でもミスターK、最後にひとつ教えてくれ、ネパールでNGO活動を続けて、おまえはなにも得をしていないじゃないか。なんでおまえはネパールにいたいんだ?」


この質問に父はひとこと、


「村人たちのことが好きだからネパールにいたいんです」


こう答えたそうです。
とても自然な理由ですが、マオイストには信じられないことだったそうです。


「好きだからって、おまえ命が危ないんだぞ、それでもいいのか?」

「場合によってはマオイストからも政府軍からも狙われるんだぞ?」


こんな気持ちだったのかもしれません。


父はそれまでに、雪崩事故とバス事故で、命を2度失ったも同然の事がありました。
この時点で、「ぼくの人生はオマケの人生」と考えていたようです。
すでに俗的な欲から解放されていたのかもしれません。
また、自分の責任で自分を幸せにできていたからこそ、周囲からジャマ者扱いされず自分の判断でネパールに滞在することを選べたんだと思います。


つまり、「ネパールに滞在したい」という欲に対して、相応の実力があったんです。


内戦以前、各国NGO団体の職員たちの多くは、「君たちが大切だ・心の交流だ・人類愛だ・私たちは家族だ」などと言っていたと思いますが、理由はともあれ、内戦が起こると帰国してしまいました。


皮肉なことに、内戦の一因はそれらNGO団体の不正行為にもあったんです。
今後の開発や援助をNGO団体に期待していた村人たちは、「ネパールから撤退」という判断にどんなに落胆したかわかりません。


一方で、「ぼくは君たちが好きだ、一緒にいたい」と言ってくれる日本人がいて、内戦の中、本当に一緒にいてくれたら、貧しい村人たちがどれだけ安心し、勇気付けられるかわかりません。
父が不正をしなかったのは、活動の動機が純粋に、「困っている人を助けたい」という気持ちだったからです。


たとえばネパール語を覚えたのは、村人と直接自分の言葉で話したかったからでした。
彼らと同じ食卓を囲んだのは、村人を知り、政府からも見放され、不安になっていた彼らを安心させたかったからでした。


これらはまさに「愛する努力」です。


父がマオイストの幹部に言った言葉、


「村人たちのことが好きだからです」


これはきっと本当なんだと思います。




感謝や歓迎を表す「フルマーラ(花の首飾り)」は、これだけの量になると本当に重いらしいです。
日傘をさしてくれているのに日陰になっていないところがネパールらしいです。

歓迎式典にて 父がそそいだ愛の大きさがわかる気がします



上にも書いたように、父が「ネパールに居たい」という欲をかなえられたのは、その欲に釣り合う実力があったからだと思います。
人は、恋愛や結婚をすると「ずっと一緒にいたい」という欲を持ちます。
しかしその欲は、相応の実力がなければ実現しません。
父は28歳の結婚の時に、おそらく「永遠の愛」を誓ったと思いますが、約20年後に「離婚」を経験しています。
当時の父は、「生涯愛する」という欲に釣り合う実力がなかったんです。
離婚は辛かったと思います、しかしその苦痛を経て大切なことを学び、ようやく自分の欲に釣り合う実力を身につけたのかもしれません。

内戦が続くネパールで父だけがネパール人と一緒にいられた理由は、「好きだから」という単純な理由ですが、一緒にいたいという欲に対して、実力が伴っていたからだと思います。


☆立ち上げるのはいいけれど


「貧しい人の役に立ちたい!」

こう言ってNGO団体を立ち上げる人はたくさんいます。
団体を立ち上げるところまではいいんです。
強い意志や大きな目標に向かって団結し、士気も高い状態です。
しかしその情熱が長く続く人は少数です。


「こんなはずじゃなかった、想像と違った、だまされた・・・」
こうやって、多くのNGO団体ができては消えていきます。


なんだか、人間関係、特に恋愛や結婚生活に似ていませんか?


「平和な家庭を作りたい」・・・こう言って結婚式を挙げる人はたくさんいます。


結婚式を挙げるところまではいいんです。
強い意志や大きな目標に向かって団結し、士気も高い状態です。
しかしその情熱が長く続く人は少数です。
「こんなはずじゃなかった、想像と違った、だまされた・・・」
こうやって、多くの夫婦ができては消えていきます。


上にも書いたように、父は結婚20年ほどで離婚しています。
マスターは当時、「幸せになるなら離婚に賛成だよ」と言いました。
父は離婚後、自分の中にある力を解放し、自己責任で幸せを手に入れたように思います。
結婚よりさらに大きな意味での「愛し方」を実践しているのかもしれません。


ヒマラヤをバックに
「愛し方」を研究し、実践中の父

ヒマラヤをバックに




初めて訪問したときは「外国人」を見て逃げ回っていた子供たちも、今は誰も逃げなくなりました。
滞在30年の父ですから、現在30歳以下の子供たちは、生まれたときから父を見ているので、父を外国人だと思っていないそうです。

子どもたちは父を外国人だと思っていません



病人や身体の不自由な人の家を尋ねておしゃべり
歩けないため、家に行って元気付けます。

訪問して元気づけます



こちらの少年も歩けないため父が尋ねていきます

身障者と共に



マスターは、父のようにNGO活動に専念することはできません。
実力がないからです。
父のように大学レベルの数学や英語力はなく、トライアスロンをする体力もありません。
現地の言葉も話せません。
ネパールのような不衛生な場所は苦手ですし・・・
しかし今現在、自分は幸せだと思っています。
(↑あくまでも今現在ですよ、未来のことはわかりません)
その理由はきっと、「自分はこれでいい」と、自分で認めているからかもしれません。
「少しでも誰かの役に立てば」と、このnoteを書くことも楽しいですしね。
自分の実力に応じた範囲で生活をすることが、幸せを感じるコツだと思います。


以上です。
長文でしたが、最後までありがとうございました。
次回で父の話は終わる予定です。
次回は、マオイスト対警察の銃撃戦に遭遇した父の話などです。

☆警察官の死体が

☆愛し続けるとどうなるか 父の場合
☆父の最期は
☆父が教えてくれたこと 親が子に伝えること

・・・

投稿タイトル一覧は以下です。