自分教

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以前マスターが「宗教」マガジンで、「宗教をやってはいけません、それは本物の神(愛)に近づくためです」という記事を書いたんですが、覚えていますか?
世の中の宗教は、政治やお金、性的虐待などにつながるものがほとんどで、真面目に信仰するほど愛から遠ざかる場合があります。
ですから、宗教をやっていると愛にたどりつけないわけです。

「私は宗教なんてやってないわよ」なんていう声も聞こえますが、実はあなた自身が「自分教」という宗教の「教祖」ということもありえます。
「自分教の教祖」というのは、「自分こそ正しい・自分が中心」という考えに固執し、他人の意見を聞かず、自分と違う意見を感情的になって否定する人です。
熱心に自分を信じるあまり他人と争う図式は、宗教間の争いと同じです。


あなたが成長することが「愛に近づく」ということですから、自分が正しいと思い込んでしまい、自分教の教祖になった時が、あなたの成長が止まってしまった瞬間、つまり愛に近づけなくなった瞬間です。


「40歳を過ぎると自分と結婚してしまう」と言われることがあるのは、「人は40歳を過ぎると自分教の教祖になってしまう」ということなのかもしれません。
そしてそれは、愛へたどりつく旅を中断したことを意味します。


マスターはいつも「信じていいのは人間の不完全性です」と書いています。
偉そうなことを書いているマスターも、日々なにかミスをして、自分の不完全さを受け入れざるをえない毎日です。
人間の不完全性を信じるというのは、そうすることで他人に対しても自分に対しても寛容になり、ストレスから解放され、最終的に自分の中に愛を見つけることができるからです。
人は、自分は不完全だと信じ続けることで、成長でき、愛に近づけるわけです。


逆に、自分が正しいと信じ、自分教の教祖になると、愛に近づく旅はそこで終わります。

「私は無宗教・宗教なんかダメ」と言う人でさえ、「自分教」という宗教の教祖になってしまう場合が少なくありません。
人は誰もがそれまでの人生で、自分の不完全さを充分に証明してきたはずです。
にもかかわらず、人は「私が正しい」と主張し、自分教の教祖になろうとしてしまうんです。


長く愛されない理由は、あなたが自分教の教祖だからかもしれません。
「間違えたっていいじゃない、だって人間だもの」、このぐらいのスタンスで人間の不完全性と向き合い、そのうえで決して自分の成長を諦めず、地道な努力を続けていければいいですね。

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