新興宗教を信仰する理由

(読了目安4分)

マスターは、「愛に近づきたいなら宗教はダメ」だと思っていますが、宗教を信仰する人はいなくなりませんよね。
今回は、人間関係のストレスによって新興宗教を信じる人がいる理由についてです。



昔の宗教は、主に政治的な道具でした。
多くの人々を同時にコントロールするために、「神のお告げ」の一言で、効率良く民衆をまとめていました。
人類はまだ無知で、「神のお告げ」をある程度信じていたんです。



現代になると、人類が情報を共有できるようになり、宗教の裏事情が暴露されたり、科学の発展で日々ニセモノの神が排除されたりして、「神のお告げ」だけでは民衆をコントロールできなくなりました。
民衆が宗教に頼らなくても生きていけるようになった結果、宗教で民衆をまとめることができなくなり、旧来の宗教は形だけのものになりました。
しかし、それでも新興宗教が生まれ、支持される理由は、「自分が悪い」と認めたくない人が多いからです。
言い換えると、「それでも自分が正しい」と信じ、ストレスを溜めている人が多いからです。


人は幸せになりたくて日々判断し、行動していますから、判断が正しい人はすでに幸せです。
幸せですから、ストレスは溜まりません。
つまり、本当に正しい人に宗教は無用なんです。
ストレスを溜めている時点で「自分は正しくない」と証明しているんですが、世の中には、「それでも自分が正しい」と信じたい人はたくさんいます。



ストレスの本質は自分の中にあることは間違いありませんから、いくら他人を責めても自分は幸せになれません。
しかし自分は正しいと信じたい人は、自分の非を認めたくありません。



他人は悪くない、自分も絶対に悪くない・・・
しかしだれか悪者がいなければ私は幸せになれない・・・
悪者が欲しい!


こんな気持ちです。


「他人は悪くない、自分も悪くない」、それでも自分の不幸を誰かのせいにするためには、他人と自分以外に悪者を作り出す必要があります。
この新しいニーズに応えるために「新興宗教・先祖供養」ができたわけです。


新興宗教の教祖は、物事の本質はどうであれ、

「君は悪くない、他人も悪くない、先祖が悪いんだ」

と同情してくれるんです。
教祖はお金をもらっていますから、信者の不幸をいくらでも先祖のせいにしてくれ、信者を慰めてくれます(反論できない先祖はかわいそうですが)。

※「ご先祖様のおかげ」という考え方については、人は感謝すると幸せになれるので、基本的に「あり」だと思います



自分が正しいと信じている人は、一歩間違えればその不満を社会や人にぶつけてしまい、自分も他人も傷つけてしまいます。
新興宗教は、その危険を少しでも回避するために生まれた知恵と言えます。


マスターは、「長く愛されたいなら宗教はダメ」と書きますが、自分が正しいと信じたい人や、愛に近づく方法がわからない人たちにとって、宗教はまだしばらく必要なものかもしれません。
ただ、日本人は「いけにえの儀式」を卒業できたんですから、きっといつか宗教も卒業できると思っています。


ということで、宗教を信仰する理由は、「自分が正しいと信じたいから」です。
「他人は悪くないということはわかっている、でも自分も悪くない」、この理屈を成立させるには、自分の不幸を第三者、しかも反論できない「先祖」のせいにすれば都合がいいわけです。
そして、そんなニーズに応えてくれるのが「新興宗教」と言われる宗教です。


余談:
人間関係の不幸の原因は自分です。
先祖のせいではありません。
本人の考え方や行動に問題があり、人間関係がうまくいかないだけですから、自分の力でうまくいくようにすることができます。
多くの場合、自分を客観視できないことが原因です。
たとえばマイナス発言ばかりで、体臭と口臭がある体重80キロの女性がいたとして、その女性が先祖供養をすれば人間関係が良好になると思いますか?
まずは口ぐせ・体臭・口臭・体型などをチェックし、「自分が理想とする自分」かどうか、客観的に判断しながら修正してみてください。
客観視と修正がうまくいけば、先祖供養(宗教)は無用になります。


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