犬 4 「運命の出会い」なのか

(読了目安7分)

◎「運命の出会い」なのか


「犬との運命の出会い」という言葉があります。


以下の話ですが、これは運命の出会いだったと言えるでしょうか。




たとえば、あなたは犬だとします。
人間に人気の犬種で、売られるために生産された犬です。
ケージに入り、陳列棚に置かれた状態で外を見ていると、ひとり暮らしの若い女性が近づいてきてあなたの目を見ます。
あなたもとりあえず確認のために若い女性の目を見たところ・・・


「私を見てるのね、これきっと運命だと思うわ、私の家に来る?」・・・


こう言われ、やがてあなたはその女性の飼い犬として、一緒に暮らし始めました。


飼い主の部屋は、ペット可のマンションの7階、3畳のキッチンと6畳間がふたつです。
飼い主は土日のどちらかが休みですが、いつも家で過ごすため、あなたは外で遊ぶこともなく、与えられた「おいしいもの」をひたすら食べ続け、かなり太めの犬になりました。
太りすぎたあなたは動くのも辛く、毎日ごろごろしていました。
ある日、動くのも面倒でじっとしているのを見た飼い主は、「ねえ、調子が悪いの?」とあなたを病院に連れて行きました。
するとドクターがひとこと「ダイエットさせてください」。


翌日からあなたは空腹との戦いです。


毎日お腹がすいてしまい、帰宅した飼い主に食事をねだりますが、飼い主から出てくる言葉は「ごめんね、あなたのためなのよ・・・」ばかりでした。


あなたは思います。

「私のため?食べさせたり食べさせなかったり、いい加減にしてくれない?」


運動もしないまま食べたり痩せたりを繰り返し、やがてあなたは体調を壊しました。
そして飼い主が仕事に出ている日中、容態が急変し、この世を去りました。


実は動物病院に行ったとき、多くの病気が疑われていたんですが、「お金がない」という理由で、飼い主はあなたの治療を先延ばしにしていたんです。
あなたの急死は、必要な治療を怠ったのが原因だということは明らかでした。

帰宅した飼い主は悲しみに暮れます・・・・・・


「ごめんね・・・」


数日間の休暇をとり、悲しみが癒えはじめたとき、飼い主は考えます。


「次はもうちょっと長生きする犬がいいなあ、よし、明日買いに行こう。えーと、長生きの犬種はどれかな」




・・・どうですか?


これは極端な例ですが、実際にこれに近い状況は充分にありえます。
こんなパターンだとしたら、「運命の出会い」でもなんでもないんじゃないでしょうか。
飼われたあなたは、人にも犬にも愛をそそげない人間の犠牲になっただけです。
上記の場合、「運命の出会い」というのは、飼い主が自分を納得させるための理屈にすぎないということです。
子どもの思考の人が言う「運命の出会い」・・・犬としてはたまったもんじゃありません。


◎心を満たす
心を満たす方法には男女差があります。
男性の多くは、お酒やタバコ、女遊びで心を満たそうとします。
女性も上記の傾向がありますが、男性よりは少なく、そのかわり、宗教や趣味、ペットなどで心を満たそうとします。
犬を飼うことは、心を満たそうとする行為のひとつですから、他の方法で心を満たすことができれば、犬は無用になります。


◎おいしいもの依存症
「おいしいものがないと食欲がなくなり、喜べなくなる」・・・これは「おいしいもの依存症」ですから、不幸なことかもしれません。


世の中の犬の飼い主の中には、「高級なエサほどよく食べるわよ。おいしいものは喜ぶの」なんて言う女性がいます 。


しかし、はじめに高級なエサを食べさせたのは飼い主です。
そもそも高級なエサをあげなければ犬がその味を知ることはありませんから、そのエサを欲しがることもありません。
飼い主の自己満足のために、犬が「おいしいもの依存症」になってしまうんです。
これは「犬が喜ぶ姿を見たい」という飼い主側の欲です。
おいしいもの依存症になった犬の中には、太り続け、身体的なリスクを負う犬も多いんです。
犬が喜ぶ方法は、散歩など、食べる以外にもありますが、外出しない飼い主が手軽に犬を喜ばせるものが「おいしいエサ」です。
そして犬はおいしいもの依存症になっていきます。


犬に人間の食料より高価なものを食べさせ、高価な服を着させている女性がいたとして、そんな女性に、知恵のある男性が近づいてくるでしょうか。
「ボクも犬が好きなんだよねえ」と近づいてきて、肉体関係を持って飽きたら終わりだということは、他人から見れば明白だと思います。



◎生きるために
人が生きるためには食料を摂る必要があります。
人の命をつなぐために、動物も植物も、多くの命が犠牲になっているのは事実です。
犬を飼うことも、人が心の空腹を満たすために飼っているわけですから、「生きるための手段」と言えます。
人が生きるための手段なら、犬を飼うこともオッケーだと言えるかもしれません。


・・・が。


問題は、「心の空腹」を満たすために、犬の「命」を必要としている、というところなんです。
カラダの空腹は、食べ物がないと満たせませんし、食べないと人は死んでしまいます。
しかし、心の空腹は、動物の命を使わなくても満たせるんです。
動物の命を使って「心の空腹」、つまり「不安・不満・恐怖」から逃げようとするのであれば、「いけにえ」と変わりません。


人が生きるために他の動物の命を必要とするのは事実です。
ですが、心の空腹を満たすために動物の命を直接奪うのは愛ではありません。
奪ったところで次の命が必要になるだけです。
心の空腹は、愛をそそぐことで満たせます。
なにかをもらうことでは満たせません。



◎人はムリだから
独身女性の「愛する対象が欲しいけど、人はムリだから犬を飼う・・・」
という考えには大きく2つの意味があります。


まずひとつめです。
人は本来、人と関わることでなにが愛なのかを学び、やがて愛を発信できるようになりますが、人との関わりを放棄した人は、少しでも心を満たすための方法として犬を飼うことがあります。
否定的な人や元気がない人には人は集まりませんから、人間に近い生き物として、「犬」という動物に頼るわけです。


「自分のどこが悪いのか考えて改善していく」という「本当の自分磨き」をあきらめ、楽をしようとする気持ちが犬を飼うことに繋がります。
犬は基本的に飼い主に逆らわず、素直なリアクションの上、飼い主を批判しませんから、一緒にいて楽なんです。
そして飼われた犬は、楽をさせてくれる飼い主に依存するようになり、人と動物の共依存が始まります。


もし地球上の人間が、「人はムリだから犬を飼う」と、それぞれが犬を飼い、人と人が関わりを止めてしまったら・・・そう、人類の絶滅です。
命のバトンを未来へつなぐのが、今生きている人類の役割です。
愛を説いても、それを聞く相手がいないのでは、愛に満ちた世界と言えないような気がします。


ふたつめは、虐待の対象として、犬を飼う場合です。
虐待しようとしてペットを飼う人は少ないと思いますが、結果的にそうなってしまうことはよくあるようです。
犬は他のペットと比べると「喜怒哀楽」の表現が人間に近いですから、溺愛の対象としてだけでなく、虐待の対象としても筆頭なのかもしれません。
虐待は、その是非を問うまでもありません。



では今回はこのへんで。
次回以降は以下です。

◎殺生をしないことが目的のベジタリアンがペットを飼うということ
◎ペットブームの裏で
◎ビジネスのターゲット
◎本当に犬を愛しているなら
◎長く愛されるか
◎悪循環

・・・

投稿タイトル一覧は以下です。


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