親の自立

(読了目安2分)


今回はマスターの父親のことについて少し書きます。


今朝、妻から「明日お父さんの誕生日だね」と言われ、父の誕生日だと気づきました。
普段から忘れているほど親の誕生日を気にしていない、ということなんですが、マスターはそれを、「親子お互いの自立」と考えるようにしています。

つまり、親が子どもに対して「誕生日だから親になにかをしなければならない」という心理状態を作らないように生きてきた、ということです。
ただ、子どもの誕生日には何かをしてやりたい、という気持ちはマスターにはあるので、「子どもは親のために生きる必要はないが、親は子供のために生きる必要がある」という本質に沿った教育はできている気がします。


さて、マスターが父親の誕生日を気にしないのは、父親が自立しているからです。
父は、「僕の誕生日を君が祝いたいなら祝いなさい、どっちにしても僕は幸せだよ、君は自分の幸せを追求しなさい」という空気を普段から出していて、子ども(マスター)としては「父は自分の機嫌は自分でどうにかできるか」と信じているわけです。


現在マスターの父は80歳を超えましたが、普段はネパールに住んで好きな事をしているため、マスターに絡んでくることはありません。
父親が自立してくれていると、マスターとしてはありがたいんです。
親の面倒を見なくていいわけですから、自分のことと、自分の子どもたちのことに集中できるからです。


父とマスターの関係は、年に1回、2時間ほど、食事をしながら近況をしゃべるだけです。
父が孫と会うのもこのときだけ、つまり年に2時間だけです。
そして、この状況に誰も不満はありません。
父はネパールが好き、マスターはレストランの経営や今の生活が好き、子どもたちはゲームが好き・・・みんな好きな事をしているから不満が出ないんだと思います。


親が楽しそうに生きていれば、子どもとしては親の顔色をうかがうことなく自分のことに集中できますから、結局「親の自立」は、子どもの幸せにつながります。
つまり、「親の自立が子どもの幸せ」「子どもの幸せを願うなら、親が幸せにならなければならない」ということです。



今日は親の誕生日をきっかけに、親の自立について考えました。
明日からマスター夫婦は結婚生活21年目に入ります。
これまでの楽しい生活を、できるだけ長く続けられたらと思っています。

・・・

投稿タイトル一覧は以下です。