愛は宗教を超えるか

(読了目安5分)

「私は愛されている」と信じることで、その場では癒されても、人が最後に望むのは、「愛すること」です。
今回は、「愛してくれるキリスト」より、愛したい「生の男性」を選んだ女性の話です。

・・・

以前、キリスト教の神父の父を持つ「U子さん(独身)」と話す機会がありました。
清楚なイメージの小柄でかわいい女性でした。


U子さんとの会話が進む中、マスターは、以下のように尋ねました。


マスター
「やっぱりさ、結婚までセックスしちゃいけないの?」

U子さん
「一応そういうことになってます」


マスター
「だけどU子は男性と肉体関係を持った経験はあるでしょ?」


U子さん
「・・・ あ、はい」


マスター
「戒律を守るなんて難しいよね」

U子さん
「そうなんですよ。ただ、私はとても後悔しましたけど」

マスター
「うん。他の人たちはどうなの?戒律を破る人は多い?」

U子さん
「はい、キリスト教徒って清楚なイメージがあるかもしれません、でも私の周りは軽いノリの人が多いですよ」

マスター
「肉体関係についても?」

U子さん
「そうですね、たぶん普通の人たちと変わらないと思います」



婚前に男性と肉体関係を持ったU子さんの実際の気持ち、どうだったんでしょうか・・・


背徳感、幸福感、絶望感など、複雑な気持ちだったに違いないと思いますが、ひとつだけ間違いなく言えることは、人は「私は愛されている」と信じようとするだけでは満たされない、ということです。


彼女は、すでにこの世にいないキリストから「愛される」だけでは満たされず、「愛したい」と思うようになり、その対象として「生の男性」を選んだわけです。
これは、「キリスト教徒」としては失格ですが、「人間」としては合格です。
U子さんは、キリスト教徒である前に人間ですから、人として正直に生きたかったんだと思います。


◎愛されていると信じるだけでは満たされない


あなたは「キモイ男」や「興味ない男性」から「愛してるよ」と言われて満たされるでしょうか。
相手は、「愛してる」と本人なりに本気で言っているんです。
しかしあなたはきっと満たされません。


では、愛している人から愛されたらどうですか?
それなら間違いなく最高の気分になるはずです。
ということは、愛している人から愛されることで、あなたは満たされるということです。


ですから、「愛している」ということが先です。
愛されるだけでは満たされず、愛しているという気持ちがあなたを満たすわけです。




◎「愛している」と伝えても

仮にあなたが、誰かに「愛している」と伝えても、それが本物の愛じゃなければ相手に伝わりませんから、相手から愛が返ってくることはなく、結果的にあなたは満たされないままです。


たとえば、キモイ男から「愛してるよ、なんでわかってくれないんだ?」と言われても、きっとあなたは「だってあんたキモイから」と即答して終わりです。
キモイ男は、自分の「愛し方」が間違っているため、あなたから「キモイ」と言われ、結果的に彼は満たされないままです。


彼氏ができない・長く続かない・不倫なら長く続くのに・最近ふられた・・・などと悩む女性は、極端に言えば、上記の「キモイ男」のように、「愛し方」が間違っているということです。


「愛している」と伝えるなら、言葉だけではなく、行動が伴う必要があります。


◎人はキリストを愛せない



「ねえマスター、だったらさあ、キリストのことを本気で愛していれば、自分は満たされるんじゃないの?」


という疑問も出ますよね。


確かにその通りです。


しかし多くの人は、「この世にいない人」を心から愛することができないようになっています。


特に若い世代は、その傾向が強くあります。


理由は、もしこの世にいない人を心から愛してしまったら、人はそれで満たされてしまうからです。
そうなると、子供ができなくなってしまうんです。
子供ができないということは、人類の絶滅を意味しますから、人類の誕生以来続く「本能」が許してくれないんです。
もちろんキリストだって人類の滅亡を望んでいないと思います。


ですから、多くの人は「キリスト(この世にいない人)」を愛せないようになっています。


人間の本能は、「生きている異性」と愛し合うことを求めます。
神父の娘だったU子さんも、その男性と知り合うまでは、この世にいないキリストに愛されているだけで、満足していたかもしれません。
しかし、やがて「愛される」ということだけでは不安になると、キリストを愛そうと努力しますが、どうがんばっても愛せず、「生の男性と関係を・・・」となったわけです。



◎愛は宗教を超える?


200万年と言われる人類の歴史の中で、ただひとつ人類が続けてきたことがあります。
それは、キリスト教を伝えることではなく、「子孫を残すこと」です。
みなさんは、その結果、ここに生きています。
U子さんも示したように、人は本来、宗教よりも愛に生きようとします。
愛は宗教を超えているからです。


◎後日談


U子さんはその後、「生の男性」と別れています。
「愛を求め、愛に破れ・・・」というパターンですね。
清楚でかわいらしいだけでは、愛をそそぐことはできない、ということです。
彼女にとって、「愛し方(知恵)」を身につけるための旅は始まったばかりです。


◎余談:「愛し方」のヒント


「愛してる」といくら言っても、実践しなければ周囲に伝わりません。
愛は言葉より行動です。
ということで、以下を混同しないように、生活のヒントにしてください。


「優しさ」と「弱さ」

「強さ」と「傲慢さ」

「気配り」と「でしゃばり」

「笑顔」と「嘲笑」

「大きな声」と「イライラした声」


たとえば人前で「ダイエットしてるからたくさん食べられないの」と言うなら、誰もが納得する結果を出しましょう。
言葉だけだと信用を失いますからね。


自分の信用を落とす行為は、自分を愛しているとは言えません。
自分を愛せない人に他人を愛することはできません。
まずは自分に愛をそそいでください。

・・・

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