料理に愛をこめられるか

(読了目安6分)

15年料理を作る仕事をしてわかったことを書こうと思います。


みなさんは、「料理に愛をこめるとおいしくなる」という話、聞いたことありますか?


そして実際に、料理に愛をこめることはできると思いますか?



マスターは昔、料理に愛をこめることはできないと思っていました。
「アンパンマン」というアニメで、ジャムおじさんが、「おいしくなあれ」と言いながらパンを作るのを見て、「そんなことでおいしくなるはずないだろ」と思っていました。


しかし、自分が料理を作るようになってから、ちょっと考えが変わったんです。


料理に愛をこめることはできるのか、愛をこめるとおいしくなるのか、その答えは・・・

・・・ある条件では、愛をこめることはできます。
そして、愛をこめると実際に料理はおいしくなります。


こんな場面を想像してください。
いま、あなたのパートナーが、あなたのために料理を作ろうとしてキッチンで準備をしています。
あなたは隣の部屋で映画や本を楽しみながら待っています。
お互いに声をかけ合えば聞こえる環境です。



キッチンからなにやら声が聞こえてきました・・・

「あっ!間違えた!」

「あーあ、もういいか」

「仕方ない、これでいいね」

「あららら・・・やっちゃったー!」

「あーあ・・・」

「なんか違うんだよなあ」

「こんなのでいいのかなあ」

「もうダメだ」

「うわあーーー!」


・・・どうでしょう。
あなたはこれから出てくる料理をおいしく食べる気になりますか?
きっと素直に喜んで食べるのは難しいんじゃないでしょうか。


それでは次のパターンです。

キッチンからは、機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえてきます・・・

「う~ん最高!」

「おいし~い」

「いいね!」

「これだ!」

「いいのができた~!」

「オッケーーー!」

「うんうん!」



・・・どうでしょう。
こんどはおいしい料理が出てきそうです。


仮に、前者と後者が同じ味でも、作る側の態度次第で、味が変わってしまうんです。


では、もうひとつの状況を想像してみてください。


その日あなたは人間関係に疲れ、自分で料理を作るのが面倒で、中華料理店に行きました。
席に座ると、厨房から夫婦の言い争いの声がしています。
少し経ってあなたに気づいたのか、不機嫌そうな奥さんが出てきて注文を聞き、ほとんど表情も変えずに戻っていきました。
直後、その奥さんと旦那の口論の続きが厨房から聞こえてきました。


・・・どうでしょう。
あなたはこれから出てくる料理をおいしく食べる気になりますか?
なんとなくイヤ~な感じがしませんか?


では次のパターンです。

その日あなたは人間関係に疲れ、自分で料理を作るのが面倒で、中華料理店に行きました。
席に座ると、笑顔の奥さんが出てきて注文を取り、微笑んで挨拶をし、厨房に戻っていきました。
厨房からは、その奥さんと旦那の息の合った元気な掛け声が聞こえてきました。


・・・どうでしょう。
こんどはおいしい料理が出てきそうですよね。



たとえば同じ「ラーメン」でも、元気が良くて機嫌が良さそうで、清潔感のある女性がテキパキと運んできた場合と、疲れた表情で、機嫌が悪そうな女性が、ラーメンに親指をつっこんでめんどくさそうに運んできたラーメンなら、マスターは、前者のラーメンをおいしいと感じます。
そのラーメンの味を機械で測定したら、全く同じものだとしてもです。


マスターが前者のラーメンをおいしく感じる理由は、「愛」がこめられているからです。
料理は、作る側の愛で、よりおいしくできるということです。


「作る側の愛」と言っても、ただ頭の中で「私は愛をこめました」と念じるだけではダメです。
これまでにも書いたように、愛とは、人の幸せを願う気持ちとその「実践」ですから、食べる側が気持ちよく食べることができるように実践することが、「料理に愛をこめる」ということです。


実践するというのは、ひとことで言えば、「料理を楽しく作る」ということです。
ジャムおじさんの具体的な行動は「おいしくなあれ」と笑顔で言うことでした。
パン工場の横を通った人は、優しい声と笑顔の雰囲気を感じることで、よりおいしいパンを食べることができます。
ジャムおじさんが愛をこめて行動することで、バタコさんもアンパンマンも
「ジャムおじさんは、いつもみなさんのことを思って作っているんだよ」と、胸を張って気持ちよく宣伝することができます。
みんなが誇りをもって仕事をすることができるわけですから、パンがおいしくならないはずはありません。
ジャムおじさんは、料理に愛をこめていたんです(※)。


※厳密な話をすると、食品の前で「おいしくなあれ」と喋ると、口からの「飛沫(ひまつ)」でパンに細菌類が付着してしまい、衛生上不適切ではあります。
ですから、誰からも見られない環境なら、マスクをつけて、一切喋らず、黙々と仕事をすることが、本当の意味で「愛をこめる」と言えるかもしれません。
実際、大企業になるほどこれを徹底していますから、パン工場の見学などで、従業員がマスクをつけていたり、手洗いや機械の洗浄工程が何重にもなっていることを知ったときは、「そんなにキレイにして神経質になりすぎよ」と否定的に考えるのではなく、「これこそが愛なのね」と考えてみてください。
衛生管理がしっかりした工場で作られた画一的なパンであっても、それを「愛」だと感じることができれば、一層おいしく感じるはずです。


さて、ここで疑問が出てきます。
料理をする人が楽しく作ることが、料理に愛を込めるということなら、食べる側が、料理を作っている環境を知らなければ、味は変わらないはずです。

実際に、その料理がどんな環境で作られたか、わからない場合も多々あります。
日中は夫が仕事に出かけていて、妻は家で一人で料理をする家庭がほとんどですし、
たとえばキッチンとテーブルが離れていることだってありますから、その場合、キッチンからの楽しそうな声や鼻歌なんか聞こえません。
また、夫が夜中に帰宅する場合、料理だけ作って妻が先に寝ることもあるはずです。
「そんな状態で愛情なんかこめられるの?」と思うのも当然かもしれません。


しかし、それでも愛をこめることはできます。


まず、料理を運ぶ時に、楽しそうに運べばいいんです。
冗談を言いながらでもいいし、パートナーをひとこと誉めてもいいし、明るく元気にふるまうことでもいいです。
また食卓についてからも、あなたが明るく元気にふるまうことが、料理に愛をこめることになります。
それから、パートナーが夜中に帰宅する場合、あなたが先に寝てしまっても、なにかメモを添えてハートマークをつけるだけで、確実に愛はこめられます。


以上です。
次回、料理に愛をこめるということについて、もう少し詳しく書こうと思います。

・・・

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