神を見るってどういうこと?

(読了目安8分)

今回のテーマは「神を見るってどういうこと?」です。
結論から書くと、「自分を見る」ということです。


・・・


神を見ると、ストレスがなくなるんです。
ですからみなさんも「神」を見てみたいですよね。


そして・・・


神は見えるんです。


すぐに見ることはできないかもしれませんが、人はみんな神を見ることができるようになっています。


ということで、「神を見る」とはどういうことか確認しましょう。


マスターは、「人類が愛にたどりつくためには、宗教を卒業する必要がある」と考えていますので、今回もそのスタンスで書いていきます。



「神」というと、どうしても宗教をイメージしますが、宗教では神を見ることはできません。
毎度書くように、宗教のプロであり、悩める人を救う立場のお坊さんだって悩みによるストレスはあります。
たとえ一部のお坊さんとは言え、檀家さんから集めたお金で高級時計を買ったり、家庭内でトラブルが絶えなかったりしますからね。


また、キリスト教の内情は、これまでに書いてきたとおりです。
以前、41億円の家を建ててしまった司教が停職処分になったり、信者に対して性的虐待をした聖職者たち400人が、辞職または解任され、被害者に対して、これまでに数十億ドルの賠償金を支払っています。


神の名のもとに信者をレイプし、その賠償金に「信者から集めたお金」を使っているわけですから、なんとも複雑な気持ちになります・・・


お坊さんも聖職者も、ストレスから解放されていないということなんですが、それは、神を見ていないからなんです。


みなさんは、「宗教のプロでもストレスから解放されないなら、一般人にはなおさらムリでしょ?」なんて思うかもしれませんが、そう思う必要はありません。
むしろ宗教という手段を使うから、ストレスから解放されないんです。


ストレスから解放される方法は、「熱心な信仰」ではなく「愛をそそぐこと」です。
しかも、「ストレスから解放されたい」と願って愛をそそいでも、解放されることは不可能です。
ストレスをなくすことを目的として愛をそそぐのではなく、「愛をそそいだ結果としてストレスがないことに気付く」と言ってもいいかもしれません。


宗教の奉仕活動で、たとえば「ゴミ拾い」などをやりますが、そこに見返りを求めている限り、愛をそそいでいることになりません。
また、知人を宗教に勧誘したり、お布施を納めたりしても、見返りを期待している限りストレスはなくならず、むしろ増える一方です。


宗教は、幸せな時に始める人はいませんよね。
体調不良やお金の問題、人間関係などで、頼るものがなくなってから始めることがほとんどです。
つまり、「痛みを止めてもらいたい」という「ご利益」を求めて始めるんです。
動機が「ご利益 (愛をくれ!)」ですから、愛が返ってくるはずはありませんよね。
愛が返ってきたと思っても、お酒を飲んだ快楽のような一時的なものでしかないんです。


このnoteで何度も書いていますが、宗教だけでなく、お酒やタバコ、ギャンブル、女遊び(男遊び)、過食、過趣味、ペット、それから、セラピーやセミナーなどでは、ストレスから解放されません。
これらは全て「外側」に向けて原因を求める行為であり、一時しのぎであって、根本的な解決にはならないんです。


「外側に向けて原因を求める」というのは、「なにかに幸せにしてもらう」という受身の考え方がベースになった行動です。
「受身では、愛を愛だと感じることはできない」と以前書きましたよね。
同じように、受身の生き方では、すでに神が見えていても、それを神だと感じることができないんです。




◎神を見るってどういうこと?

では本題です。
神を見るとはどういうことか、その一部を簡単に体験してみましょう。
まず鏡に向かって立ちます。
そしてその鏡を見てください。

・・・

はい、そこに映っているのが「神」です。

・・・

・・・

そうです、あなたが「神」です。


・・・いきなりこう言われても信じられない人、そして信じたくない人もいると思います。


しかしあなたにとってはあなた自身が本物の神なんです。
それを信じられるようになるには、それなりの人生経験が必要ですが、あなたが「本物の神を見たい」と願っているなら、やがてマスターの言葉の意味がわかるようになります。


本当の意味での「神を見る」というのは、もちろん鏡の中の自分を見ることではなく「自分が神だと気付くこと」です。
物事の本質をよく考えていけば、自分が神であると認められるようになります。
「無理やり認める」というわけではなく、「あ!そうなんだ!人間一人一人が神なんだ!」と、しっかり腑に落ちるようになります。


しかし残念なことに、多くの人が人生の途中で考えることをやめ、目先の快楽に飛びついてしまい、自分が神だと感じるまでに至らないんです。
ですから、ストレスから解放されず、人との争いは終わりません。


以下のような言葉を聞くことがあると思います。

「人生とは、自分が自分になるための旅」

「人生とは、自分を見つける旅」

「自分探しの旅」

これらはみんな、自分の中にある「神」に出会うための旅を意味しています。


今は分からなくても、あなたの中に神はいます。
神とは、完全無欠の万能の存在でもなんでもなく、人間の不完全さを認め、自分を見つけ、ストレスから解放された人のことです。


「原因を自分に求め、自己責任で生きていく」と決心すれば、ストレスはなくなります。
自分の幸せに責任を持ち、人として自立したとき、あなた自身が神になるわけです。


「神を見る」とは「自分が神だと気付くこと」です。




◎神が見えているか・・・


宗教で神を見ることができないのは、自分を見ようとせず、外側にある「神のようなもの」に頼ろうとするからです。
外側ばかり見て、自分を見ないからなんです。
ほら、あれです、本当は「体臭」が原因で人間関係がうまくいかないのに、宗教ではそれを教えてくれず、「先祖供養しなさい」とか、「勧誘をしなさい」と言って指導するわけです。
これじゃうまくいかないのは当たり前です。


ちなみに「私は神だ!」と言って威張っている教祖は、神ではないですよ。
威張るということは、まだ不安で、ストレスから解放されていない状態です。
神は威張りませんから、その教祖は神ではないということです。


それから、あなたに神が見えているかどうか簡単にわかる方法があります。
上にも書いたように、宗教、お酒、タバコ、ギャンブル、女遊び(男遊び)、過食、過趣味、ペット、セラピー、セミナーなどをやっていたら、まだ神は見えていません。
これらは「受身」の人がすることですから、やっているなら、あなたはまだまだ神に出会う旅の途中です。


たとえば、女性は妊娠すればお酒やタバコをやめますよね。
それが神に近づくということなんです。
見返りが欲しくてやっているわけでもなく、赤ちゃんのためならできるんです。


以下、毎晩自分に問いかけてみてください。

「私は今日、原因を自分に求めたか」

「私は自分とも他人とも争わなかったか」

「私は愛する努力をしたか」

「私の心は穏やかか」

毎晩問いかけていくうちに、全てに「はい」と言える日が多くなっていきます。


そして眠りの世界(無の世界)に入り、翌日生きてこの世に戻ることができたら、その日は前日より一歩でも神に近づこうと努力してください。


どんなことでも反復練習が必要です。
ダイエットを決心した翌日に目標体重になることなんかないように、努力を始めた翌日に「神を見る」なんてことはありませんから、焦らないでくださいね。
努力を続けるうちに、やがて自分の中の神が見え始めます。



◎補足 薬物使用で神を見るということ

神を見る方法のひとつに、意図的に脳を変性意識状態にする方法があります。
アルコールをはじめとし、マジックマッシュルーム、アヤワスカ(体験記など検索してみてください)、ヘロイン・コカイン・モルヒネ・大麻・LSDなどの薬物を使う方法などがありますが、それらで脳の変性意識状態を作れても、ほとんどの場合「いつもとは違った不思議なことが起こる」という程度で、神を見ることができたと思える人は少数です。
宗教的儀式でも薬物はよく使われるようですが、今の人類の知恵では、これらの薬物で確実に神を見る方法はありません。
たまたま見ることができても、それは不確実で一時的なものです。
また、その感覚を共有しようとして薬物仲間を作っても、みんなが同時にその感覚を共有することはできず、「私たち神を見たよね、すごいよね」と、お互いに確認しあうだけの非建設的な集まりになるのがオチです。


薬物の使用によって神を見ようとする行為は、人類が薬物の仕組みを知らなかった過去の方法です。
昔の人は、変性意識で得られる不思議な感覚を、「神」に結びつけたわけです。
薬物では本物の神を見ることができないとわかった現代、本物の神を見るためには、日常生活の中で「愛をそそぐ」という行為を、ひたすら反復する必要があります。
そして、人間はそれができるようになっています。

・・・

投稿タイトル一覧は以下です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?