完全主義者・不完全主義者

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人間は、完全でしょうか、不完全でしょうか・・・


そう、不完全です。
あなたも、あなたの周りの人たちも、みんなそうです。


人間は不完全ですから、完全でなければならないと思う人ほどストレスを溜める人生を送ります。
まず自分に対して絶望し、次に他人に対して絶望し、ストレスを抱え、人間関係がうまくいかなくなるからです。


「人間は不完全です、だから他人が不完全でもいいと思います」と言いながら、他人の行動にイライラしている人は、人間の不完全性について、頭でわかっていても消化しきれていない状態です。
頭でわかっていても消化しきれていない状態というのは、ダイエットで言えば、「食べなければ痩せる」とわかっていて食べている状態と同じです。


マスターは、自分を含めた人間を、完全に不完全(不完全性において完全)と認める努力を続け、他人の不完全性に対しては、うっかり批判しながらも笑ってスルーできるようになり、自分の不完全性についても、ある程度笑ってスルーできるようになりました。
努力の成果があったのか、最近は人間の不完全性に影響されてストレスを抱えることはなくなりました。
(たとえ他人を批判するとしても、人間の不完全性を認めていれば、ストレスなく前向きな気持ちでいられるはずです)


人が成長する努力をしなかったら、人類はまだ洞窟生活のままでしたよね。
ですから、人はそれぞれ人間の不完全性を受け入れながら、完全に近づくために努力を続ける必要があります。


愛に近づきたいなら、他人がどうであれ自分は努力を続ける必要があるわけです。


たとえば「あいつが約束を破ったから私も」という考えでは、あなたの成長はありません。


だれかが成長しなければ、人類の成長の平均値が上がらず、人類そのものが愛に近づけないことになります。
人間は愛を求めて生きていますから、「愛に近づけないこと」は不幸なことです。
「あいつが約束を破ったから私も破る」などと、約束を破ってしまう他人の不幸に影響され、その不幸に付き合う必要はありません。
他人の不幸に共感することは愛です、しかしその不幸が二度と起こらないようにするにはどうすればいいか、部外者が客観的に考えてあげることも愛です。

他人がどうであれ、あなたは成長し、人類の成長の平均値を上げてください。



◎不完全主義者


人間の不完全性を理解している人を「不完全主義者」と呼んでもいいかもしれません。


しかしその場合、不完全主義者にも2つあります。


ひとつは、「不完全だからこそ完全に近づこう」と努力するタイプ、もうひとつは、「どうせ不完全なんだからあきらめよう」というタイプです。


愛に近づけるのはもちろん前者です。


愛に近づくには、良い意味での不完全主義者になる必要がありそうです。

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