状況に応じた気使い

(読了目安11分)

◎状況に応じた気使い


「歩くときは静かに」

「声は大きく」

これは他人に対する気使い、つまり「愛」ですが、状況によっては、愛ではない場合もあります。
たとえば以下のようなことは、愛ではありません。
一例として書きますので、他にも様々な状況に当てはめて考えてみてください。



・・・ある静かな夜のことです。


A子さんと2人でシェアハウスに住むあなたは、夜遅く、キッチンに立って食器を洗っていました。
一日の出来事を思い出し、会社でのちょっとしたミスについて考えていました。
「明日はどうやってお詫びをしようかなあ」と不安な気分で洗い物をしていると、いきなり背後から「ねえねえ!」とA子さんの声が聞こえました。


・・・夜のキッチンで急に声をかけられると、怖くないですか?
心臓が止まるような驚きを感じる人もいると思います。


しかしA子さんは、「静かに歩く・大きな声で」という愛の基本を実践しただけなんです。


それまでA子さんは共同生活をした経験がなく、単純に、静かに歩くことや大きな声で話すことが「気使い」だと思っていたんです。
しかし深夜のキッチンでそれをやられた場合、あなたは驚きますから、A子さんがその場でするべき本当の気使いは、「静かに歩くこと・大きな声で話すこと」ではなかったわけです。


つまり、「状況に応じた気使い」をする必要があったわけです。


では、夜のキッチンでA子さんはどのように声をかけることがあなたへの気使いだったんでしょうか。
急にならないように、少し離れたところから自分の存在を伝えることが大切ですから、A子さんに求められる気使いは、ノックをしてからリラックスした声を出しつつキッチンに入ることです。
それができれば、洗い物をしているあなたを驚かさずに済んだわけです。


人は「無言」で背後に近づかれたとき、それに気づいて驚きますし、急に背後から「大きな声」で声をかけられても驚きます。
ですから、「ちょうど良いあんばい」で音を出すことが気使いなんです。


大きくもなく小さくもなく、程よい音を出し、相手を驚かさないためには、逆の立場から考えることが必要になります。
もしA子さんが、キッチンに入る手前で軽く物音を立ててあなたの注意を引き、次に軽い口調で明るく「入りまーす」と言ってキッチンに入ってきたら、あなたはとても安心しませんか?
ですから、自分がキッチンに立って洗い物をしているとき、どうやって近づいてくれたら嬉しいか考え、それを行動に移せばいいわけです。


「静かに歩く・大きな声」は愛の基本になる大切な気使いです。
しかし、ただそれだけをかたくなに実践していても愛とは言えません。
本当の気使いというのは、愛の基本を知った上で、様々な状況に合わせて行動することです。


以下に続きます。




◎道を譲ることが気使いとは限らない


少し細かいですが、一例として、車の運転の「悪いパターン」についてです。
良かれと思ってやった気使いが、実は逆効果だったという話です。
人生がうまくいかない人は、これと同じようなことをしているはずです。
出てくる場面を想像しながら読んでみてください。


・・・


運転初心者のY子さんは、優先道路を走っていました。
少し先に、左側の脇道から優先道路に出ようとして待っている車を見つけたので、Y子さんは停止してその車に道を譲ってあげました。


これは、それだけを見れば「気使い」ですが、優先道路を走るY子さんの後ろに車がいなかった場合、脇道から出てきた車は、Y子さんが通り過ぎてからゆっくりと自分のペースで優先道路に出ることができたはずです。
実際、脇道から出てきた車は、Y子さんが通り過ぎたら優先道路に出ようと思っていたんです。
Y子さんが止まって道を譲ってしまうと、脇道から出てきた車の運転手は、「え?先に行ってよ」と思うかもしれませんし、さらに「自分が早く出なければいけない・譲ってくれた車(A子さんの車)に追いつかれないためにスピードを出さなければならない」などの気使いをさせてしまうかもしれません。
しかも、Y子さんも一度止まってからスタートすることになり、ブレーキもガソリンも余計に使うことになります。


さらに、もしY子さんのすぐ後ろに1台だけ車が走っていたらどうでしょうか・・・


Y子さんは初心者で、ゆっくり走っていました。
Y子さんのすぐ後ろを走っていた車は、ただでさえイライラしていたかもしれません。
そんな状況で、Y子さんがブレーキを踏んでわき道から出てきた車に道を譲ったら、Y子さんの後ろを走っていた車の運転手は、さらにイライラします。
また、脇道から出てきた車の運転手も、Y子さんとその後ろの2台が通り過ぎたらスタートしようとしていたのに、止まっているY子さんの前に出るために、スタートをせかされることになります。
相手も自分も、そしてその状況を見ている周囲の人も楽しくないですから、Y子さんがこの状況で道を譲るのは愛ではありませんよね。


ですから、この状況の場合、本当の気使いと言える行動は、「そのまま通り過ぎること」なんです。


しかしY子さんは、「譲ることが愛」だと信じ、自分は愛をそそいだつもりになっていました。
「譲ることが愛」だと信じていると、「私は愛をそそいでいるのに愛されない」と悩むことになるわけです。


また、もうひとつのパターンとして、優先道路を走るY子さんの車の前後が、「ゆっくり走る渋滞のような状態」だった場合、いつ車列が途切れるかわかりませんから、脇道から優先道路に出ようとしている車に対して道を譲ることは、ある意味「気使い」と言えます。
しかしその場合、Y子さんがただ急に止まっているだけでなにもしないと、脇道から出てくる運転手が初心者だった場合、その初心者は、自分がなにをしていいのか戸惑うかもしれません。
脇道から優先道路に入ろうとしている運転手の目を見ながら、パッシングや身振りで「どうぞ優先道路に入ってください・私は止まっていますから」と、手振りで促してあげれば、その運転手は安心して優先道路に合流することができます。


しかし、もしそのとき、Y子さんの車の左後方から「バイク」が走ってきていたら、そのバイクはY子さんの車の左側を走り抜け、脇道から出てきた車にぶつかるかもしれません(実際にある事故です)。


優先道路の車線の幅が広い場合、車の左側はバイクが通る程度の隙間があり、車が渋滞していても車の左を走りぬけるバイクや自転車は結構います。


わき道から出てくる車にY子さんが道を譲っても、譲られた車がスタートしなかった場合、Y子さんは「道を譲ってるのになんで出てこないの?」と思うかもしれませんが、わき道から出ようとしているドライバーは、迫り来るバイクとの事故を防ごうとした可能性もあるわけです。


また、Y子さんは、わき道から出てくる車に道を譲り「私は愛をそそいだのに、それに引き換え私の前の車たちは愛がないから譲らなかった」といい気分になっていたかもしれませんが、むしろY子さんの行動は、事故を誘発しただけだったかもしれません。
Y子さんの前を走る数台の車が道を譲らなかったのは、左のドアミラーを見てバイクを発見し、「道を譲ったらかえって危険」と判断したことによる「気使い」だった可能性もあるわけです。


それらの状況を把握しないまま道を譲ったY子さんの気使いは、完全な空振りどころか、事故を誘発する迷惑行為になっていた可能性もあるんです。


「わき道から出てくる車に道を譲る」という行動は、それだけを見れば「気使い」と言えます。
実際Y子さんは運転の経験が少なく、譲ることが「気使い」だと思っていたんです。
そして緊張しながらも、勇気を振り絞って道を譲りました。
しかしその行動は、その状況に応じた気使いではありませんでしたから、周囲は迷惑します。
迷惑するわけですから、周囲からクラクションを鳴らされたり、異様に長い車間距離を取られたりすることになります。
結局、Y子さんはなぜクラクションを鳴らされるのか、なぜ車間距離を大幅に取られるのかわからないまま、怯えながら運転を続けることになります。


ここまで少し長くなりましたが、上記のように、目の前の車に道を譲ることが必ずしも「気使い」とは限らないわけです。
そして人間関係も同じです。
人生経験が少ないと、その状況に応じた気使いがなんなのかわからず、それまでの経験内で判断した気使いしかできません。
現実は、「その状況に応じた愛」をそそがなければ、周囲から叱られたり、距離をとられたりするのは当然です。


その状況に応じた愛をそそがなくても「叱られない・人が離れない」のは、主に若い女性とお金持ちです。
若い女性ならセックスの対象として利用されますし、お金を持っている人はお金がなくなるまで利用されます。
そして若い身体もお金もなく、人間的な魅力もない人は、やがて孤立することになります。


いつも書くように、なにが愛なのか常に考え、愛だと思うことを実践することが大切です。
そしてそれが愛なら、そそいだ愛は必ず返ってきます。



◎共同生活(集団生活)の重要性


主に「平和な家庭・平和な人生」のための助言です。
車の運転は、貸し切り状態のサーキットで一人で運転するなら、難なくできます。
サーキットには歩行者もいませんから、子どもの飛び出しなどに気を使うこともありません。
時速200キロで走っても違反でもなく、むしろ程よい緊張があって楽しいかもしれません。
しかし、いくらサーキットでうまく走れても、交通社会に出たら、状況は全くの別物です。
自分の周りには数台、または数十台の車が走り、対向車線もありますし交差点もあり、人も歩いています。
そんな他車や他者とのかかわりの中で自分の行動が決まっていきます。
交通社会の中で試行錯誤しながら、ベテランドライバーになっていくわけです。


同じように、みなさんの周りには、何十人、何百人の人がいて、その人たちとのかかわりの中で、「ベテラン人間(平和に生きることができる人)」になっていきます。
ベテラン人間になっていくために必要なのは、もちろん人とのかかわりです。
人間社会の中で試行錯誤しながら、ベテラン人間になっていくわけです。
その中でも特に人を磨くのに重要な場が、共同生活と言える「家庭・学校・職場」、そして初めにも書いた「シェアハウス」などです。
中でも「家庭」では、家族たちが遠慮なく「ダメ出し」をしてくれます。
しかし、遠慮のないダメ出しの一方で、家族同士では「甘え」が出て口論になってしまうことも多いため、学校や職場でのダメ出しが大切になります。
ただ、感情的なダメ出しは愛情ではありませんから、感情的にならずダメ出しをしてくれる人の言葉を大切にしてください。


感情的になる人は、愛を誤解している人がほとんどです。
また、自分がやりたいことを、先にやっている人からの助言も大切です。
共同生活の経験がないまま結婚するのは、運転免許を取ってすぐに公道に出て運転する状況と似ています。
1人で生きてきた人が、共同生活を経ずいきなり結婚した場合、結婚生活でなにが起こるかは、容易に想像できると思います。
車の運転は、まずは運転歴がある誰かに隣に乗ってもらい、車の通りが少ない道で、ゆっくり運転するところから始めれば、徐々に上手になっていきます。
同じように、人生も、まずは周囲の先輩たちの助言を聞き、ゆっくりと愛について学ぶことができれば、徐々に楽しくなっていきます。



◎結婚してからでも


状況に応じた気使いができれば、人間関係はうまくいきます。
しかし、人間は完璧にはなれませんから、状況に応じた気使いができるようになるまで自分の成長を待っていたら、結婚などできないかもしれません。
ですから、状況に応じた気使いを学ぶのは、結婚してからでもかまいません。

しかし、そこでとても大切なことがあります。


それは、「自分が正しい」と信じないことです。


もし相手に「完璧な夫」を求めるなら、自分も「完璧な妻」にならなければいけませんよね。
そんなのムリなんですから、お互いに成長することを楽しみながら結婚生活を送ることができれば、結婚生活が破綻することはありません。
たとえ今は状況に応じた気使いができなくても、「結婚してから学ぶ」という意思があれば、結婚を迷う必要はありません。

「私はこうやって生きてきたんだよ、なにが悪いの!」

などと言わず、「いつも自分の悪い部分を見てくれる人がいる」「自分を鍛える絶好の場」と考え、お互いに成長してください。



◎まとめ


人間関係も車の運転も、単純ではありません。
「人生がどうもうまくいかない」「ストレスが溜まる」「人間関係がどうも・・・」と感じている人は、「気使い」を誤解しているかもしれません。
今回の話で言えば、「静かに歩くことが気使い・大きな声で話すことが気使い・道を譲ることが気使い」だと単純に信じ、さらに大切な「状況に応じた気使い」ができていないんです。


今後は「状況に応じた気使いとはなにか」と考えてみてください。
良かれと思ってやっていたことが、実は逆効果だったと気づくことがあれば、これからの行動が変わっていきます。

・・・

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